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第三話【部長】淫らな深夜の逢瀬

 青木の住むマンションの植え込みに座って、道ゆく車のライトを眺めていた時には、まさか会えるとは思っていなかった。  それでも万が一会えたら、時計と眼鏡で私だとバレる可能性があるのではないかと心配になり、両方を外しカバンに仕舞った。  視力は酷く悪いわけではなく、眼鏡無しでも困りはしないがくっきりとは見えない。  だから青木の部屋に入れてもらって、セックスまがいのことをしている間、輪郭がいつもよりぼんやりと柔らかく、夢で見る世界にいるようだった。  五十四才に戻った帰りのタクシーの中で、常温になった甘ったるい缶コーヒーを飲みながら、コンタクトレンズを買いに行こうと考えていた。  自宅マンションに戻り、眠れたのは三時間弱だった。明らかな寝不足だが、一晩が経った青木がどんな顔をしているのか早く見たいと思えば、身体が動いた。  机に着席する時、ごく普通に「おはよう」「おはようございます」と挨拶を交わす。当たり前だ。青木にしてみれば、昨夜私に会ったという認識はないのだから。  昼前、名古屋の本社から電話があった。長々とした要件を聞いている間、青木のところに経理の若い女性が来て、親しげに話をしているのが見える。  女性はあからさまに青木に気があり、スキンシップがやたらと多い。  なんとなくイライラし、何よりそう思ってしまった五十四才の自分が恥ずかしく、電話を切った直後にトイレに立つ。  トイレで用を足した後はそのまま誰もいない喫煙所に行き、一服しながら昨晩いや、今朝のことを反芻した。  股の間に挿れて擬似的にするセックスなんて、学生の頃に一度経験があるだけだった。  擦れる感触を事細かに思い出しても、五十四才の身体はピクリとも反応しない。それでも気持ちは高揚し、深夜に若返るこの事象がいつまでも続いてくれることを祈った。  ちょうど一本吸い終わったタイミングで、青木が喫煙所に来たから私はもう一本火をつけた。 「雨が降りそうだね」  黙っているのも気まずく、話しかける。 「そうですね」  相変わらず素っ気ないし、会話も続かない。  そんな青木が眠たそうに大きな欠伸をした。つられるように、私も大きな欠伸が出る。若返っている際に体力を使っても、五十代に戻った時その疲れは残っていない。けれど睡眠時間は、足りないままのようだ。 「あれ、山野部長も青木も寝不足ですか?」  喫煙所の前を通りかかった青木の同期が、声を掛けてくる。 「うるせー、遅くまで仕事してたんだよ」  青木がそんな白々しい軽口を叩くから「お疲れ様」と愛しい部下の肩に触れ、一足先に自分の机へ戻った。  仕事の合間に、メッセージアプリのサブアカウントを作る方法を検索する。今のままではアカウント名が山野良一郎になっていて「リョウ」としてヒビキとやりとりができないから。  その週の金曜の夜。  定時で帰宅して三時間ほど眠り、シャワーを浴びてから午前一時半に五十四才の状態で家を出る。  時計と眼鏡を外し、代わりに購入したばかりのコンタクトレンズを装着した。いつも使っているスマートフォン以外に、結局リョウの為にもう一台購入したピカピカの新機種も持った。  しかし大通りに出てもなかなかタクシーが捕まらなかった上に、深夜の道路工事のせいか道が混んでいた。  タクシーの車内で若返ってしまったら困ると心配になり、二時少し前に「その交差点で止めてください」とタクシーを降りる。ここから青木のマンションまでは、徒歩で十分程度だろう。  エントランスのガラスに自分の姿を映して二十才の姿になっているのを確認し、503号室のインターホンを押す。  普通なら寝ていてもおかしくない時間帯だ。一回鳴らして応答がなかったら、帰ろうと決めていた。  けれど直ぐに反応がある。インターホン越しに「リョウ?」とこちらが名乗る前に訊いてくれた。 「はい、そうです。遅い時間にごめんなさい」  そう伝えたらオートロックが解除される。  エレベーターを上がり廊下を進めば、玄関ドアが開き「いらっしゃい」と笑顔で招き入れてくれた。 「何か食べる?何か飲む?」  青木、いやヒビキは配信で映画でも見ていたようで、リビングのテーブルに置かれたノートパソコンからは海外の映像が流れ続けていた。 「いいえ」と首を横に振る。 「映画、一緒に見る?」  また首を振る。 「そう。じゃセックスする?」  コクリと頷いた。  本当はゆっくり話をしたかったし、どんな映画を見ていたのか気になったけれど私には時間がない。  ヒビキはノートパソコンをパタンと閉じた。 「だよな。俺もそうしたかった。ゴムもローションも買っておいたから」  そう言って一歩二歩と近づいて背中に手を回し、ギュッと抱き寄せてくれた。  先日の夜は、キスの時つい私からグイグイと舌を絡ませてしまった。  未成年の頃からずっと、自分より経験の浅い年下としかセックスしたことがなかったから。挿れられる側なのに、年上ぶってリードしてばかりいたのだ。  今回だって青木より私の方が経験があるだろう。けれど、ヒビキにとってリョウは年下の男の子だ。だからもっと身を委ねて、してもらうべきなのだ。  受け身で受け身で、と自分に言い聞かせる。  ベッドに押し倒されキスをされれば、ヒビキの舌が唇を割って潜り込んでくる。  もたらされる快楽を全て受け入れようと全身の力を抜けば、早くも甘い痺れを感じ腰を捩ってしまう。溶かされたいトロトロに。身も心も。されるがまま、舐められるがまま、身体を投げ出す。  舌がピチャピチャと耳を舐め、首筋を這い、喉仏を通って胸を伝う。  指で摘まむように乳首をコリコリと弄られば「ぁっ」と早くも濡れた声が零れた。  今こうしてセックスしている身体は二十才でも、五十四才の頭脳は知っている。嬌声で伝えるという術を。とてもイイことを、気持ちがイイことを、喘いで喘いで伝えたほうが、ヒビキだって気持ち良くなってくれるのだと。  だから、照れも遠慮も無く「あぁっ、んっ、んぅ」と喉を震わす。  ヒビキは「リョウ、気持ちいいの?素直な反応がすげぇ、かわいい」と、太腿の裏を舐めながら言ってくれた。  たっぷりのローションとともに指を後孔に挿れられ、グチュグチュと掻きまわされれば、それだけでイってしまいそうになる。 「早く、早く、挿れて……」  縋るように懇願する。  ヒビキはわざと焦らすように、私の陰茎から滴る先走りを舌先で舐めとってくれた。そして「俺のも舐めて」とイヤらしい声で囁く。  言われるままにヒビキの陰茎を口に含んだ。奥まで咥えたり、浅く咥えたりを繰り返して擦れば、先走りの味が口の中に拡がる。 「んっ、リョウ。リョウは、キスも、うまかった、けど……、舐めるのも、あっ、うっ、うますぎだろっ……」  息を荒くして私の頭を撫でまわしながら、ヒビキが褒めてくれた。  だから、舌で裏筋を刺激しながら搾り取るように口をすぼめ、そのままイかせてあげようとした。切羽詰まって眉が下がって、気持ち良さそうに悶えるヒビキの顔が堪らない。  しかしヒビキは私の口から陰茎を抜く。そしてゴムをつけたかと思えば私の片足を持ち上げて、一息に挿れてきた。 「あっんぁぁぁっ」  繰り返し繰り返し、激しく腰を打ち付けられる。快楽に身体が揺さぶられ「はぁはぁ」と息が荒くなり「ふぁ、んぁっ」と甘い声が零れて。腹の中がヒビキのモノでいっぱいになって、苦しいのに満たされて。 「もっと、もっと、ねぇ、ヒビキさん、あっ、あっ、奥、ねぇ、奥、きもち、いい」  反対の足も持ち上げられ、角度を変えて奥へ奥へと突き上げてくる。 「き、きもち、いい。いい、あっ、すごい、きもち、いい。んぁっ」 「リョウ、リョウ」  名を呼んでくれる。 「ヒ、ヒビキさん、いい、あっ、イっ、イクっ。あぁぁぁ」  自分の腹に白濁が飛び散った。  ヒビキも「んっ」と強く股間を突き上げてきて、そのままゴムの中へ解き放った。  私がまだ中をヒクヒクとさせているうちに、陰茎を引き抜きゴムを外し、新しいゴムに付け替えた。  そして、すぐにまた突っ込んでくる。 「帰らないと」  何度も吐精した後ウトウトしてしまっていたが、気がつけば残り十五分で四時だ。急いで洋服を身に着ける。 「送ってくよ」  そう言ってくれたけれど「大丈夫です」と固辞した。 「ヒビキさん、また金曜に来ていいですか?今日と同じ時刻に」 「もちろん。待ってる」  玄関先でメッセージアプリのIDを交換し、触れるだけのキスをしてもらう。 「リョウ」のアイコンは、うちのマンションから見える朝焼けの写真だ。  ヒビキのアカウントは「aoki」という名で、既に仕事で交換しているものと同じだった。  それからは毎週金曜の夜になると、ヒビキに会いに行った。  念の為、いつも金曜の夕方にメッセージを送信する。それも仕事中の青木がデスクに居るときに。メッセージを送信すると、青木がスマートフォンに手を伸ばし、私の送った文字を眺めているのが見える。 『今夜もおじゃましていいですか?』  青木は画面を見て嬉しそうな顔をするくせに、すぐには既読にしてはこない。しばらくして席を立ち、喫煙所から「待ってる」と簡素な返信をくれる。  真夜中にしか訪ねて来ない理由は訊かないでいてくれた。それでも毎回「朝まで泊まっていけよ」とやさしい声で言ってくれる。  桜が終わり青葉の頃に始まったリョウとヒビキの逢瀬。回を重ねる毎に日の出時間が早くなり、六月の帰路は空が明るい。季節が進むのを実感すると、一体いつまでこうして若返ることができるのかと、不安が押し寄せた。  夜でも気温が下がらず今年初の熱帯夜となった日。事後、脱ぎ散らかした服を身に着けようとすると、ヒビキが「これプレゼント」と紙袋を渡してくれた。  紙袋を開けると、黒をベースにした柄物のボクサーパンツが数枚入っている。 「履いてみて。……うん、似合う、似合う!」  そこで初めてストライプのトランクスでは、おじさんぽかったのかと気がついた。 「ありがとうございます」  慣れない履き心地にモゾモゾしていると「かわいいな、リョウ」と、愛おしそうに抱きしめてくれた。  毎週、毎週、欠かさずに訪ねて四ヶ月が経った。もう夏も終わり、秋の虫が鳴いている。  二人の関係に名前を付けるとしたら「セフレ」なのだろう。恋人同士になれないのは、分かりきっている。それでも、満ち足りていた。 「ねぇ、ヒビキさん。所有の証をつけて」  戯れにそんなことも言ってみる。  クスクスと笑ったヒビキが首元に吸い付き、皮膚がチリチリと痛んだ。  満足そうに私から離れたヒビキは、引き出しから手鏡を出し「ほら」と私に向ける。  首筋には巨峰のような真っ赤な痕が、ハッキリと三つも付いていた。  明日は土曜だから何個付けられても大丈夫だ。けれど月曜にも消えなかったらどうしよう、と五十代に戻った帰りのタクシーで考える。  しかし家に着いて着替えたときには、跡形も無く消えていた。セフレの証など何処にも残せないのだと、思い知った。  仕事では、新しいプロジェクトが始まって、私と青木が組むことになった。  素直に嬉しく張り切って取り組んでいるが、青木は仕事以外の無駄な会話はしてこず、つれないままだ。  再来週の木曜と金曜、名古屋の本社で行われるクライアントとの大きな会議に、東京支社を代表して二人で出席することが決まった。  我が社は本当にケチで、二人で出張のときにはビジネスホテルのツインを用意される。以前の私なら喜んだだろう。青木と同じ部屋に泊まれるのだから。  けれど真夜中に若返ってしまう今、それはピンチでしかない。  あぁ。出張中の二泊三日、どうしたらいいだろう。若返った性欲を抑える心配も、しなくてはならない。

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