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君に捧げる千の花束 34

 不思議な高揚感はあったけれどそれだけで、罪悪感とか焦り、もしくは嫌悪感は一切なかった。  言ってしまうなら、ゴキブリを潰した後のような興奮が残っている 程度の心の状態だった。  喜蝶は感情を無くしたガラスの瞳で後藤を眺める。  この男は、また人を襲うだろうか?  いや、股間を潰されて、そもそも機能が残っているのかすら怪しい。  それとも、そんな状況でなおも無辜の人間たちに向けてなんらかの悪意を向けるのだろうか?  それなら……いっそ、存在そのものを消してしまった方がいいのかもしれない。  喜蝶の自問自答は長くは続かなかった。  取り上げていた後藤の携帯電話が鳴り出したからだ。目の前の男は気を失っていて……もし意識があったとしても、歯のない口でしゃべる言葉は不鮮明で、きっと相手は不審に思うだろう。 「  ――――!」  喜蝶は携帯電話の画面を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。  『時宝』  明らかにおかしいとわかっていても確証が持てず、近づくことさえ叶わなかった相手からの電話。  出るか……でないか…………迷っているうちに、指がふと画面に触れてしまっていた。 「  おい! さっさと出ろよ、このぐず」 「っ!」  電話越しだというのにわかるプレッシャーに、喜蝶は思わず背筋を凍らせる。 「この間行ってた話の段取りが決まったからな、覚えておけよ。メモとか取るなよ」  そういうと時宝は、電話に出た相手が後藤かどうかも確かめないまま、『三日後、AXIS MALLの東出口に、狙ってるベータが出てくる。手伝え、いいな』と、それだけを一方的に告げて切ってしまった。  喜蝶は、結果として自分が一言も喋らなくて済んだことに胸を撫で下ろし、気を取り直して足元に転がっている金属バットを拾い上げた。 「つまり、あんたらはまだ気になった奴をレイプして回ってるってことなんだな?」  そう尋ねた喜蝶の表情には感情らしい感情は浮かんでおらず、ただ一つ、嫌悪感だけがその顔に浮かび上がっていた。  荷物をロッカーに預け直して、事務所が用意してくれたマンションに帰り着いたのは深夜も大きく回り、夜明けに近い時間帯だった。  喜蝶は一切眠気を感じず、むしろ高揚して今にも走り出したくなるような心持ちで部屋へとはい――――――――……人がいた。 「  ――――っ」  口の中を刺した苦味。  それは優性の強いαに会った時に起こる、喜蝶ならではの共感覚だった。  リビングに立ち尽くす男は……間違いなく、αとして自分よりも上の生き物なのだと、気づく。 「あ、あんたは……?」  それでも、喜蝶は怯えを隠して声をかけた。

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