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君に捧げる千の花束 35

 ゆっくり男の視線が動き……前髪の下から冷ややかな両目が喜蝶を捉える。  その瞬間、口内の刺すような刺激に全身の血の気が下がって……膝の力が抜けてバタンとその場にへたり込む。 「…………、あ」  リビングに立ち尽くしていた男は、喜蝶が立てた音に小さく間抜けな声を漏らした。  纏う雰囲気からはかけ離れた声に喜蝶が戸惑っていると、男はぱちんと一度だけ深く目を閉じる。 「あ、あー……そう! アゲハさん!」 「えっ」  近いようで遠い名前を叫ばれて戸惑っていると、男はサッと髪を掻き上げてみせた。  そこから現れたのは昨日の昼に出会った時宝尊臣だ。  喜蝶は思わず目を擦り……リビングで立ち尽くしていた男を思い出して目の前でニコニコ笑っている尊臣を凝視する。 「アゲハさん、どうしたの?」 「ど……」  どうしたのと尋ねられても、そのことに答えるよりも何が起こったのか、その方が先だった。 「なん だって、さっきは  」 「? あ、今台本読んでて……ちょっと怖かったよね? 俺もちょっとこの役怖いなって思ってて」  パタパタパタ と喜蝶の側に駆けてくると、尊臣は大きな体でうずくまるようにして座り込む。 「どしたの?」 「ぇ、あ……」 「あ! ユーリくんが言ってた新しい子ってアゲハさん?」  あざといと思えるキョト とした表情で首を傾げる尊臣に、喜蝶はこくりと頷き返した。 「あー! そっか! おかえりぃ」  えへへと笑うと、尊臣は喜蝶の手を引っ張って立ち上がらせる。  そのまま引っ張っていくと、四人がけのテーブルに座らせて「ちょっと待ってて!」と言ってキッチンの方へとバタバタと行ってしまった。  何が起こったのか、喜蝶は台本が置かれたテーブルの上を見つめてから、キッチンでゴソゴソと何かをしている尊臣の背中に視線を動かす。  ユーリ達に紹介されなかった最後の一人は海原コーエイではなかったのか? と、飛び跳ねるようにこちらに向かってくる尊臣を見上げた。 「これねぇ、いらっしゃいのお祝いー」  そう言って差し出してきたのは小さなケーキだ。  真っ白なクリームにイチゴが乗ったショートケーキ。 「渡したくて待ってたんだよ」 「え……と……それでこんな時間まで?」 「こんな時間?」  尊臣はやはりキョトンとした様子でリビングに飾られた時計を見て…… 「ええっ⁉︎ アゲハさん、朝帰り⁉︎ あああ、あー……しゃちょはそこんところ厳しめだから、気をつけたほうがいいよ」  目の前にケーキを置くと、尊臣は大きなあくびを一つこぼす。 「じゃあ食べてねー」 「あ、あのっオレが帰ってくるの、待ってたんですか?」 「うんー? 台本読んでたら夢中になっちゃってただけ〜」  えへへ と笑い、尊臣は肩をすくめてみせる。    

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