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第5話 気の置けない仲
「おい氷岬、今日はこの後、久々に付き合えよ」
「いえ、私は会社に戻って」
「氷岬」
仕事あがりの送迎時、煌誠にじっと見つめられた氷岬は苦笑した。
氷岬は仕事人間で、上手に休息を取ることが出来ない。
アプリの開発中に一度過労で倒れたことがあり、以来煌誠は氷岬の疲れがたまっていそうなタイミングで、自分の趣味である釣りやキャンプに強制参加させるのだ。
「わかりました。お供します」
「当然だ」
煌誠は後ろの席で鷹揚に頷き、足を投げ出すと腕を組んだ。
「女はどうします?」
「いらない」
氷岬は煌誠をバックミラー越しにちらりと見ると、「かしこまりました」とだけ言った。
氷岬を拾ったころの煌誠は、女好きだった。
正確に言えば、性欲を発散させることが好きだった。
だから、女でもΩでも、「濡れた穴さえありゃいい」と言って、割り切った関係の出来る相手を日替わりで楽しんでいたものだが、いつの頃からかそうした遊びを控えるようになったのだ。
恐らく、煌誠の楽しんでいる現場に居合わせた自分が吐いてしまったことが原因だろう、と氷岬は申し訳なく思う。
自分のせいで人並以上に性欲の強い煌誠を我慢させることは本意ではないのだが、それを言えば「別にお前のためじゃねぇ」と返されてしまう。
たまに家とは違うシャンプーの臭いを漂わせて帰宅することもあるため困ってはいないのだろうと思うが、毎回ホテルでお金をかけさせるのも申し訳なくて、「私もプライベートが欲しいです」と言って、氷岬は煌誠のマンションから出て一人暮らしを始めた。
徒歩五分以上の物件は許されなかったが、それでもこれで自分に気兼ねなく女やΩを連れ込むだろうという予想に反し、氷岬が家を出てからも煌誠は誰かを連れ込んだ形跡はない。
「……今回は釣れるといいですね」
「うるせぇ、今度こそ負けねぇ」
釣りが趣味の煌誠だが、たまにしか釣りをしない氷岬のほうが格段に上手かった。
そしてそれを、七歳年上の煌誠はふくれっ面を隠さないまま、それでも「お前すげぇな」と褒めるのだ。
仕事では常に隙のない人間だがプライベートとなると一気に童心に返る煌誠は、氷岬を含め、組の若い連中から好かれている。
「煌誠さんは圧が強いんですよ。魚だって逃げ出したくなります」
「そう言われたからこの前は座ってやったのに、結局一匹しか釣れなかったじゃねぇか」
「座れば圧がなくなるとは言っていません」
図体の大きな煌誠が、魚を釣るために小さな岩のように座って釣りをやっていた姿を思い出し、氷岬は必至で笑いをかみ殺す。
「くそ、勝ったら今度はお前が俺の言うこと、何かひとつ聞けよ」
「いつも聞いているじゃないですか。聞き続けて十年ですよ」
何かと勝負をしたがる煌誠に、氷岬は今度こそくすりと笑いながら返事をした。
氷岬がαであろうがなかろうが、煌誠には関係ない。
ただ、悔しいから勝負を挑むのだ。
煌誠は、人を男や女、αやβという色眼鏡で見ない人間だ。
氷岬の成功を、組の者は掌を返して「αなんだから」という理由で成功して当然だと言ったが、煌誠だけは氷岬の苦労を労い、アプリの成功を「お前の努力の賜物だ」と評してくれた。
「ああ? お前たち、本当に氷岬がαだったから上手くいったと思ってんのか? いいか、よく聞け。氷岬がαかどうかなんて、関係ない。αだから壁にぶつからないわけじゃない。氷岬が成功したのは、なにを言われようが諦めずに踏ん張り続けて、頑張って開発し続けた結果だ」
氷岬の成功をやっかむ組の連中に、煌誠がこう言って窘めていたのを聞いた時、改めてこの人について来て良かった、と思ったものだ。
「そうか……お前を拾ってから、もう十年か」
「ええ、そうですね」
煌誠が黙ったので、氷岬も口を噤んだ。
沈黙が流れても、二人の間に流れる空気はとても穏やかだった。
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