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第8話 過去と未来
「まあ、本当に頭が硬ぇのは、俺のほうなんだろうな……」
そう言って、煌誠はゆっくりと瞳を閉じる。
瞼の裏に思い描くのは、自分と母親を捨てていった、αの父親だ。
αの父親は、美人だったβの母親を気に入って、猛アタックの末に結婚にこぎつけた。
ところが煌誠が五歳の時、「本当の番を見つけた」と言って、二人を捨てて家を出て行ったのだ。
前日まで確かに、父親は母親と仲睦まじく、そして確かな愛情がそこには存在していた。
それが、たった一人のΩの存在だけで、粉々に砕け散ったのだ。
傷ついた母親は精神を病み、買い物やお酒に依存するようになった。
家の借金は膨れ上がり、闇金業者が出入りするようになった。
風俗店で働くようになった母親は、父親似の十歳になった煌誠を捨てて、客の男と一緒になった。
そして煌誠の手元に残ったのは、家族の愛ではなく、運命の番によって狂わされた人生と膨大な借金だけだった。
そんな煌誠を拾ったのが、今の組長だ。
煌誠は借金を返済するため、そして返済し終わったあとは拾って貰った恩義を返すために、組に忠義を尽くしている。
だからαの愛は、信じられない。
運命の番だかなんだか知らないが、簡単に人の家庭を壊す、Ωも大嫌いだ。
好きだのなんだの甘い囁きを繰り返す女やΩの愛よりもよっぽど、βの契りのほうが信じられるというものだ。
そしてそこに、たまたまΩのフェロモンを感知できなくなった、αの氷岬が仲間入りした。
普段ならαなんて気にもとめないのに、煌誠と同じく親ガチャに失敗した氷岬を自分と重ね合わせて、拾わずにはいられなかった。
苦い過去の思い出を振り返ってしまった煌誠は、軽く頭を振って時計を見た。
集会のあとは普段そのまま飲みの会が催されるが、姐さんの調子が思わしくないとかで夕方には解散になった。
事務所に戻って仕事をしてもいいが、いつもならこの時間は既に酒が入っている頃だと思った煌誠は、運転席にいる氷岬に声を掛ける。
「なぁ氷岬、この後ちょっと付き合え。ちょっと早いが遠出して、美味いもんでも食いに行こう」
「すみません、煌誠さん。このあとちょっと、会社の人間に呼ばれていまして。煌誠さんだけ送り届けます」
「ああ? なんでお前が呼ばれるんだよ、そんなの、開発部の人間に任せておきゃいいだろうが」
アプリの開発は当初氷岬自ら手掛けていたが、事業規模が大きくなるにつれ代表の仕事で忙しくなると、実務だけは優秀な人材に任せるようになった。
「いえ、それが……私でないと駄目なお話だそうで」
珍しく、どんなに遅くなってもいいから、一旦本社に寄るようにと氷岬は秘書から電話で頼まれていた。
そんなことは初めてのことで、氷岬も慎重にならざるを得ない。
一番の危惧は、組がバックについていることがどこかにバレて、アプリの運営が中止になることだ。
しかし、そんなことはもう政府や警察の上層部はとっくに把握しているだろうし、ここまで潰しにこなかったということは、むしろアプリを育てさせてから乗っ取るほうが甘い汁が吸えると考えている可能性もある。
そうであれば、どこかの企業が、会社の運営について社長と、つまり氷岬と相談したいと言って乗り込んできたのか。
「お前の一番は俺であるべきだろ」
むっとした顔をする煌誠に、氷岬は苦笑する。
「ええ、煌誠さんが私の一番です。ですから行くんですよ、私の一番大切な人への重要なシノギを失うわけにはいかないので」
両親に捨てられた過去を持つ煌誠は、こうして自分への忠義を測ろうとする。
そのたび氷岬は、煌誠への忠誠を真っ直ぐに示した。
「……わかった、俺もついて行ってやる」
「時間がかかるかもしれませんよ?」
「いい、ひとりで食べたって、美味かねぇし」
拗ねたように言う煌誠に、氷岬は「すみません」と謝る。
「では、付き合わせたお詫びに今日の夕飯は奢りますよ」
「誰が七歳も年下の部下に、奢らせるかよ」
「その言葉を期待していました」
こうした軽いやり取りに、煌誠の気分は晴れていく。
恐らく氷岬は自分と相性が良いんだろうな、と思いながら煌誠は煙草を灰皿に捨てた。
それは、分岐点だった。
煌誠が、氷岬に付いて行くと言ったこと。
氷岬が会社に呼ばれた日に、たまたま二人が一緒にいたこと。
それが、二人の未来を運命づけたのである。
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