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【過去編】 7.初ケンカー俺の本能が暴走してー後半
ラスヴァンは、ジェイスと出会った川辺に戻っていた。
(……やっちまった。なんで……俺は……)
ドサッと地面に座り込み、拳で草を殴りつける。
「……ジェイス……なんで俺は、あんなことを……」
ばかをやって、はじめて気づいた。
自分がどれほどジェイスの存在に救われていたのか。
どれだけ、あの場所が“帰る場所”になっていたのか。
(……俺は、ここにいていい人間じゃないな…)
「……ヴォルクに戻るか……」
ふらつきながら立ち上がろうとした、そのとき――
「それはやめとけ。あんなとこに、お前の幸せはねぇだろ」
軽快で太い声が、背後から響いた。
振り返ると、自分より二回りは大きな男が立っていた。
大きな斧を背負い、木こりのような服装。肩幅がやたら広い。
「……誰だ?」
身構えようとしたが、足元がふらつき、バランスを崩す。
「木こりのミハイルだ。無理すんな。ジェイスが心配するだろ」
ラスヴァンはジェイスの名前に項垂れたが、ミハイルは迷わずその身体を抱き上げ、近くの小さな小屋へと運び始めた。
―――
小屋の中には、あたたかな火が灯っていた。
ミハイルは手際よく、鍋でどろどろの緑色の薬を温め、スプーンで口に流し込んでくる。
「う゛……なんだこれ…人間の飲み物じゃねえっ」
「黙って飲め。効きゃいいんだよ。ほら、毛布かけるぞ」
そう言ってラスヴァンを寝かしつけると、ミハイルは暖炉に薪をくべながら言った。
「ただの風邪だ。高熱だが、寝ときゃ明日にはジェイスんとこに帰れる」
ラスヴァンはジェイスの名前に一瞬だけ反応したが、そのまま天井を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……どうせ、もう戻れねえ…」
「無理に迫って、嫌われたと思ってんのか?」
その言葉に、ラスヴァンは驚いてミハイルを見た。ミハイルはストーブの前で、ふっと笑っていた。
「ジェイスから聞いたよ。お前のこと、心配してた」
「……そんなの、あんたにわかんねぇだろ」
「わかるさ。……ジェイスは、さっきからお前を村中訪ねて回ってた。泣きそうな顔してな」
「……っ」
信じられない気持ちで、ラスヴァンは身体を起こしかける。
「……なんで…ジェイスは……」
「本人に聞け。……ちゃんと向き合え。逃げるな」
静かに言いながら、ミハイルは立ち上がり、ラスヴァンの額に手のひらをぺしりと当てた。
「ジェイスに“ここにいる”って伝えとく、明日帰れ」
その言葉に、ラスヴァンは目を閉じた。
(……ジェイス。もう一度、会えたら…俺は…)
薬の苦みが、身体の熱を鎮めていく。
ジェイスの姿を思い浮かべながら、ラスヴァンは眠りに落ちていった。
―――
翌日。
ラスヴァンは、ゴツい男に背を押されながらジェイスの家へ向かう。
「ほら、行け!」
ドアの前で手が震える。開けられないでいると――
ガチャ。
「ラスヴァン?」
目を赤く腫らしたジェイスが出てきた。
一日しか経っていないのに、こうしてまた会えたことが嬉しくて、胸がいっぱいになる。
少し目を伏せ、深く頭を下げて呟いた。
「ごめん……」
それは、ジェイスだけに向けた、心の底からの謝罪だった。
ふわっ。
次の瞬間、ジェイスがラスヴァンを優しく抱きしめてきた。ジェイスの優しく安心する香りだ。
「おかえり…ラスヴァン、いつもと違うなんて言ってごめんね……ラスヴァンにも色々な面があるってわかってる…」
「………」
「昨日のことは、ちょっとよくわからなくなって、びっくりしたけど気にしてないよ……それより、ラスヴァンがでていっちゃたほうが辛かった…せっかく仲良くなれたんだから、一緒にいたい…」
『一緒にいたい。』
ジェイスはラスヴァンがいちばん欲しい言葉をくれた。
しかし、
(きっとそれは、自分の気持ちとは違う、友人的なものなんだろう)
ラスヴァンの胸はズクンと痛んだ。
ジェイスの頭を撫でる。
「わかった、ジェイスが寂しくならない様にそばにいてやる」
「あ! 子供扱いしてんだろ」
「実際年下だからな」
「5歳しか違わないのに」
笑い合い、一見元に戻れたふたりだったから、ラスヴァンはジェイスを友人として大切にしようとしていた。
しかしラスヴァンは気づいていなかった。
ジェイスの中でも、無意識に芽生え始めた想いがあることに。
―――
翌日、ラスヴァンとジェイスは、ラスヴァンを一緒に探してくれた町の人々に、順番に頭を下げて回った。
町では、「高熱でうなされたラスヴァンが自我を失って迷子になった」ということになっていた。
田舎の町では噂が広がるのは早い。しかも、尾ひれがつく。
「旅人のラスヴァンが怪我をして、ジェイスの家に世話になっていること」
「ジェイスが最近、図書館で“例の本”を借りていたこと」
――そのどれもが、誰かの耳に届けば、すぐに話のタネとなった。
だが、町の人たちはジェイスを幼い頃から知っていた。
少しぽやんとしているけれど、心優しい子だと皆が思っていた。
だからこそ、旅人のラスヴァンに“手籠めにされているのではないか”と心配する声もあった。けれど、ジェイスの祖母はいつもこう言っていたのだ。
「好きに生きさせてやりな」
――その言葉があったから、村人たちは余計な口を出さず、静かに見守っていた。
もし、今回の騒動で「ジェイスが泣いた」という話が広まっていれば、ラスヴァンはジェイスを“可愛がっている村人”たちから袋叩きにあっていただろう。
だが、ジェイスが涙をこぼし、本当の事情を打ち明けたのは、深く信頼している木こりのミハイルの前だけだった。
そしてミハイルは、その話を村人の誰にも漏らさなかった。
「ミハイル、無理させないでな」
ジェイスは、そう頼んでラスヴァンを送り出す。
ミハイルは「ちょっと散歩」と言ってラスヴァンを連れ出した。
ジェイスはその間少し心に余裕ができ、洗濯をしたり、しばらく休んでいた花屋の様子を見に行った。
その頃――
ラスヴァンは、きこりの小屋の裏にある湖に連れてこられていた。
「服、脱げ」
「……あ?」
ミハイルの唐突な指示に、ラスヴァンは眉をひそめた。
「俺は抱かれる趣味はねぇ」
「バカタレ」
ミハイルはため息をつき、湖を指差す。
「裏の湖で泳いでこい。欲求不満、少しは解消されるだろ」
「……チッ」
「それから服は、あの箱の中にしまっとけ。動物に持ってかれるぞ」
ラスヴァンはしばらく黙って湖を見つめる。
小さな湖ではあるが、泳ぎがいはありそうだ。
怪我もほとんど癒え、もう身体を動かしても大きな痛みはない。
ジェイスに知られたらきっと怒られるだろうが、久しぶりに体を動かしたい気持ちもあった。
しかし、ラスヴァンは湖を見つめたまま、動こうとはしなかった。
「…なんだ、泳ぐのはすきじゃねえか?」
「……ボソッ」
「ん?」
「……だから、泳げねえんだよ」
ぼそっと呟いた声は、プライドを傷つけられたようなやけくその響きだった。
「あー……」
ミハイルは深く頷く。
「そういえば、ヴォルクに泳げる場所はなかったな」
「……!? お前、ヴォルクを……?」
「そうだ。お前くらいの歳の頃、あそこからきた」
どこか似た匂いがすると思っていた。ラスヴァンは納得したように頷く。
パサッ。
ミハイルが服を脱ぎ始める。
「……心底迷惑だ」
ラスヴァンは真顔でつぶやいた。
「誰が好きでやるか。泳ぎ方、教えてやる」
そう言うと、ミハイルは木陰に置かれた箱の中へ服を仕舞い、裸のまま湖へ飛び込んだ。
「溺れたら助けてやる。力抜いて、水に身を預けてみろ」
ラスヴァンは小さく舌打ちしたが――
悔しいが、泳いでみたかったのも事実だ。
脱いで、飛び込む。
運動神経はもともと良かったので、あっという間にコツを掴んでいった。
……そして。
裸で、きゃっきゃと泳ぐ筋肉質な男二人を見かけた通行人がいた。
町ではこう噂されるようになる。
「できてたのはミハイルとラスヴァンで、ジェイスはそれでちょっと“そっち”に興味を持ったんだってよ」
……田舎町の噂とは、そういうものだ。
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