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【過去編】 9.あの髭とプレッツェル
よく晴れた春の日の昼間、二人は田舎道を歩いて町の中心部へ向かっていた。
リーヴェルには四季があり、今は春。昼間はぽかぽかと暖かいが、夜はまだ冷え込むことも多い。
果てしなく澄み渡った空を見上げながら、ラスヴァンがぽつりと口を開いた。
「……ミハイルに土産でも買ってくか。一応世話になってるし」
「うん、ミハイル喜ぶよ!」
蝶々を目で追っていたジェイスが、パッと明るい笑顔になり、ぶんぶんと頭を上下に振る。
(そうか、嬉しいか……)
ラスヴァンの胸はチリチリと焼けた。
(やっぱり、ジェイスの好きな相手はミハイルか……気を許してるしなぁ……)
いつもなら無表情を装えるラスヴァンだったが、今日はわかりやすく項垂れていた。
(……なんか、ラスヴァンちょっと元気ないかも)
そしてジェイスも、まったく違う勘違いをしていた。
(今日、ミハイルいないからかな……やっぱり、ラスヴァンの好きな人って……ミハイル?)
今朝、出かけようとしたとき、近所のおばさんが夕飯のおかずをお裾分けしてくれながら言った。
「ジェイスちゃんのうちにいる旅人さんと、ミハイルさんって仲がいいのねぇ、うふふ」
リーヴェルの人々は皆優しいが、噂好きでもあった。
(ミハイルとラスヴァンが……)
ジェイスは胸がズキンと痛み、思わず手で押さえる。
ラスヴァンと出かけることがデートのようだと浮かれていた自分が馬鹿みたいに思えて、ジェイスはしょんぼりと落ち込んでしまう。
「……ジェイス、道具屋や雑貨屋はどこにある?」
そんな様子を気にかけながら、ラスヴァンが声をかける。
ジェイスの家に世話になる間、宿代や食費、治療代、そして休んでいる間の花屋の売上分を支払うと申し出たが、ジェイスは「気にするな!」と頑として受け取らなかった。
だがラスヴァンも納得できず、ジェイスのタンスの引き出しにこっそり代金を忍ばせていた。
しかしその所持金も、いよいよ尽きかけている。格好悪くてジェイスには言えないが、持ち物を売って金に変えようとしていた。
「あ、買取は鍛冶屋さんしかやってないんだ。前は雑貨屋もあったけど、おじさんが腰を痛めて店を辞めちゃって……」
またもやしょんぼりしたジェイスを見て、ラスヴァンは肩を軽くポンポンと叩き、優しく笑って言った。
「十分だ」
「うん! 案内する!」
嬉しそうに目を細めて笑ったジェイスに、ラスヴァンの心はあたたかく満たされていく。
―――
田舎道から、綺麗なレンガ道へと入り、左右に小さな店や食べ物の屋台が並ぶ通りにつく。
「あそこ!」
ジェイスが小走りで鍛冶屋に向かおうとしたところ、ラスヴァンが肩を掴んで止めた。
「先に他の買い物に行っててくれるか」
「え……あ、うん、わかった。じゃあ、あそこの下着屋さんにいる」
「ああ、悪いな」
ジェイスはそそくさとその場を離れた。
本当は一緒にいたかったが、売る物に値がつかなかったら格好悪い――そんな見栄があった。
―――
「……この鉱石は、また珍しいな」
鍛冶屋の爺さんが、ルーペを使ってラスヴァンが拾ってきた大きめの鉱石を入念に観察する。
「ふん、五万ミルだそう」
「っ……そんなに金になるのか?」
思わず木のカウンターに拳をつく。
「ああ。これは“セレナイト”といって、刃物や武器に加工しやすい。しかもこの大きさはなかなか出回らん」
試しに拾った物だったが、リュックが引きちぎれそうになりながらも、持ってきた甲斐があった。ラスヴァンはまた拾いに行こうかと考えていた。
「だが、こっちはウチじゃ扱えねえな」
そう言って爺さんが返したのは、ラスヴァンが亡くなった獣から取ってきた牙だった。
「……そうか」
ラスヴァンは肩を落としつつも、牙を大事そうにリュックへ戻す。
すると、それを見ていた爺さんが言葉を続けた。
「勘違いするなよ。“ウチじゃ”扱えねえって言ったんだ」
「?」
「あんた、密猟者ってわけでもなさそうだから教えとく。それは、磨いて細工すれば“イーリファング”って牙宝石になる。王都じゃマニアックな貴族に、バカ高く売れる」
そう言いながら、爺さんはキセルに葉を詰め始めた。
「……なんで俺に教えたんだ?」
「ん? 教えん方が良かったか?」
「いや……教えずにあんたの物にしちまえば、儲かっただろ」
キセルを小箱にトントンと叩きつけながら、爺さんはギョロリとした目でラスヴァンを睨んだ。
「そんなことしたら家族に顔向けできねえだろうが。あんたにもおるだろ、そういう相手が」
「……家族……」
胸の奥にしまいこんでいた言葉が、ふいに浮かぶ。
(ずっと一緒にいてくれるやつを見つける……大事にできる存在を……)
―――
火の香りのする鍛冶屋をでると、店先の植木鉢の前でジェイスがしゃがみこんでいた。
「……ん〜、もうちょっと水少なめのが良さそうだな。今度じいちゃんに言っとくな」
「ジェイス、買い物終わったのか?」
植物に話しかけていたジェイスの身体がビクンと跳ねて、慌てて立ち上がる。
「あ、ラスヴァン! ご、ごめん。下着屋に先に行こうと思ってたんだけど……でも、ここのじいちゃん、優しいけど一見ぶっきらぼうだから心配で……」
シャツの端を掴みながら、申し訳なさそうに縮こまるジェイス。
「大丈夫だ。問題ない」
「そうなんだ、良かったぁ……」
ジェイスの優しい微笑みに、ラスヴァンは思わず抱きしめたくなるほどの愛しさを覚えるが、拳に力を込めてそれを堪えた。
「あ、そうそう。さっきちょうどミハイルが通って、プレッツェルくれたんだ。半分こしようと思って……」
「ミハイル? あの髭か……」
「う、うん。忙しそうで、すぐ行っちゃったけど……」
ラスヴァンの声に、どこか棘を感じて、ジェイスは一瞬ひるんだ。
―――
むしゃむしゃむしゃ
むぐむぐ……
二人で楽しくプレッツェルを食べるはずが、沈黙のまま口に運ぶ。
(……なんでラスヴァン怒ってるの? ミハイルのこと、好きじゃないの?)
わけがわからず、胸の中でもやもやが膨らんで、苦しくなる。
ジェイスの心は、もう限界だった。
「……ラスヴァン、最近さ。ミハイルとよく泳ぎに行ってるよね? ……なんで?」
(ラスヴァンは前に「疑問があるなら、直接俺に聞け」って言ってた。それなら——聞いても、いいよね…)
ジェイスはプレッツェルを持った手を握りしめながら、ラスヴァンの顔を見る。
「ん……? ああ、湖がそこにあるから」
ラスヴァンはあっさりと答える。
「…あるからって! ミハイルがいるからじゃないの?」
「はあ? なんで俺があんな髭のこと! 俺はお前がっ……」
ラスヴァンは思わずジェイスの手を握り、胸の本音が口から飛び出しかけたが、プレッツェルと一緒にそれを飲み込んだ。
「オレが? なに?」
クリクリした青い目が、ラスヴァンをまっすぐ見つめる。
ラスヴァンは、その視線に思わず動揺する。
(……くそ……可愛い………)
ラスヴァンは感情がもう引くに引けないところまで来ていた。視線を逸らして、顔を赤らめたまま言う。
「お、お前こそ……」
「え、オレ?」
「そう、ミハイルに泣きついたり、甘やかされたりして……す…好きじゃねえのかよ?」
ラスヴァンには珍しくか細い声だった。
「そんなわけないじゃん!!」
「!!」
ジェイスが勢いよくラスヴァンの前に仁王立ちして叫び、ラスヴァンが目を丸くする。
「ミハイルはいい人だけど、兄貴がいたらああいう感じかなって思うくらいで……全然ちっともそんな風に見てないからっ!」
ジェイスが身体を震わして言い切ると、ラスヴァンは大きく息を吐き出した。
「………そうか」
「そうだよ……」
二人はプレッツェルを食べ切り、顔を合わせてふふっと笑い合った。
「……水が欲しいな」
「……うん、あそこに井戸あるから行こう。それから下着も買いに行かなきゃ」
「ああ、そうだな」
さっきまで険悪な雰囲気はなくなり、肩がくっつくくらいの距離で、再び下着が並ぶ店の方へ歩き出す。
(ミハイルが好きじゃないんだ……良かった)
(あいつじゃなかったか……良かった)
同じ想いを胸に抱えながら、静かに歩いていく。
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