13 / 27

【過去編】 11. 食うことは生きる上でも魔法にも大切

「王都に行こうと思ってる」  教会の長椅子にぐったり横たわるミハイルに、ラスヴァンが静かに切り出した。 (え……ラスヴァンが? 一人で?)  思いもよらぬ言葉に、ジェイスの小さな胸がきゅっと縮む。 「……お前まで、そんなことを言い出すとはな」  ミハイルは震える声で上体を起こしながら、ゲンコツを握る。その様子に気づいたジェイスが、慌ててふたりの間に割って入った。 「落ち着いてミハイル……ラスヴァン、何か事情があるんだよね?」 「ああ。馬車と馬を借りたい。王都でしか売れない物を、売りに行きたいんだ」 「そういうことか……」とミハイルが納得したように呟いた。 「どうして、言ってくれなかったんだろう……」  胸の奥からこぼれた想いが、そっと言葉になった。  自分たちは、もう心を通わせていると思っていた。だからこそ、ラスヴァンの胸の内が見えなくなったことが悲しくて、ジェイスの瞳には耐えきれない涙がじわりと溜まり始めていた。 「理由はわかった。だが、お前……馬、乗れないだろ?」 「さっき少し乗ったら、いけそうだった」 「勝手に乗るな、危ねぇだろ……」  自信満々に言うラスヴァンをよそに、ミハイルはため息をつき、額に手を当てて黙り込む。  そのとき、奥のほうで神父が小さく手を挙げた。 「あの〜……それ、私も参加しちゃダメですか?」  ぎゅるるるぅぅう──  小さな教会に、空腹の音がこだまする。 「お財布がないと、何も食べられなくて……シクシク」  宝石のように綺麗な涙を流すが、それが腹の足しになる様子はなかった。 (……えっ……ラスヴァンと神父さんのふたり旅ってこと? そんなの……やだ……)  よくない想像が頭をぐるぐる回る。ジェイスは目をきゅっとつぶり、心のざわめきを振り払おうとした。 「邪魔にならねぇなら」 「やった……コホン……神に感謝いたします」  神父が神様に祈る姿を見て、その整った横顔に、ジェイスの心はさらにざわめいた。 (ラスヴァンと、あんな容姿端麗な神父様が2人きりで……。オレもついて行きたい。でも……何の取り柄もないし、邪魔になるかも……) 「おいおい、勝手に決めるなよ。馬の扱いも知らない奴と、へっぽこ神父で王都まで行けるわけねぇだろ。山賊にやられるか、馬が逃げちまうぞ」  ミハイルががばっと起き上がり、場の空気が一変する。 「へっぽこ……」  神父はショックで固まりつつも、お腹がぎゅるぎゅる鳴っていた。 「ラスヴァン、王都に行くなら三つ条件がある」 「……なんだ?」 「一、怪我を治すこと。二、馬に乗れるようになること」  ミハイルは太い指を二本立てて示す。それをラスヴァンが軽く払いのけ、肩をぐるぐると回し始めた。 「別にこのままでも行けるけどな」 「だめだよ!」 「だめだ!」  ジェイスとミハイルの声が同時に重なる。  肩にそっと触れてきたジェイスの目は潤んでいて、それにラスヴァンは心を締めつけられた。 「あー……わかった」  頭をかきながらも、ラスヴァンは渋々うなずく。  ミハイルの言うことはどうでもいい。ただ、ジェイスが嫌がることはしたくなかった。 「で、三つ目は?」 「ジェイスを連れて行くこと。これが条件だ」 サアアア──  教会の天窓から、優しい陽の光が差し込んでくる。 「ミハイル……」 「な、いいだろ? ジェイス」  ミハイルがこちらを見て、小さく頷いた。きっと気を遣ってくれたのだと思った。  でも──気になったのはラスヴァンの反応だった。 「当たり前だ。最初から、一緒に行くつもりだった」  ポケットに手を突っ込みながら、ラスヴァンはあきれたようにため息をつく。 「ふん、そうか」  ミハイルは「しょうがねえやつらだな」と笑って、再びベンチに寝転んだ。 「……ラスヴァン、本当にオレ、一緒に行ってもいいの? 足手まといになるかも……」  ジェイスがシャツの裾をきゅっと引っ張る。  ラスヴァンは少しだけ眉をしかめ、でも、真剣な目で見返した。 「俺はジェイスがいてくれるだけで安らぐ……嫌だったか?」  まっすぐ見つめる瞳に、嘘はなかった。  ジェイスもまっすぐに、その視線を受け止める。 「嫌なんかじゃないよ……オレも、ラスヴァンと一緒にいたい……」  ずっとこらえていた涙が、ぽろりとこぼれ落ちる。  それを見たラスヴァンは、そっとジェイスの背に手を回し、やさしく抱きしめた。 「怪我してるんですか?」 「あ?」  いい雰囲気だったふたりの横に、ジェイスよりも長身の神父がぬっと顔を出した。腹では怪獣が泣いている。 「背中かな?」  バッ 「なにするんだてめぇっ!」  神父がラスヴァンのTシャツをめくると、ラスヴァンは獣のような素早い動きで後ろへ逃げた。 「治療ですよー治療! すぐ終わりますよー!」 「さわんなっ!」 「痛くないですよー! すぐですよー!」  腹を鳴らしながらニコニコ笑顔で距離を詰めていく神父。  ラスヴァンは警戒した獣のように距離を取る。  ダ、ダ、ダ、ダダダ、ダダダダダッ!  その場でふたりはぐるぐる回りながら、教会の祭壇の前で攻防戦を繰り広げる。  ジェイスはその様子をオロオロと見つめていた。 「どうしようミハイル、ふたりともバターになっちゃうよっ!」 「バカタレ共が……教会で暴れるんじゃねえっ!!」  ミハイルが神父の後ろ襟と、ラスヴァンのTシャツの背中をがしっとつかんで、ふたりの異端児を一喝する。 「あんたも神父なんだから、わかってんだろ……」 「あ、ミハイル様。頬に傷がございますね」 「あ”っ?」  ミハイルが呆れたように呟いたその瞬間、神父の細く色白の手のひらがミハイルの頬に優しく触れる。  すると、掌から緑色の光が放たれ、ミハイルの頬をやわらかく照らした。  小さいけれど確かにあった傷が、光に吸い込まれるように消えていく。 「え……」 「!」  ラスヴァンとジェイスが、まん丸い目で自分を見てくるのを見て、ミハイルはただごとではないと察した。 「……何があった?」  頬にわずかに感じた温かな痒みを掌でなぞり、傷がなくなっていることに気づく。 「……何をした、神父」 「んっふふ、手先のマジックなんかじゃありません。これは、魔法ですよ」  神父は両手を見せ、小さな魔法陣が刻まれているのを得意げに披露する。

ともだちにシェアしよう!