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【過去編】 11. 食うことは生きる上でも魔法にも大切
「王都に行こうと思ってる」
教会の長椅子にぐったり横たわるミハイルに、ラスヴァンが静かに切り出した。
(え……ラスヴァンが? 一人で?)
思いもよらぬ言葉に、ジェイスの小さな胸がきゅっと縮む。
「……お前まで、そんなことを言い出すとはな」
ミハイルは震える声で上体を起こしながら、ゲンコツを握る。その様子に気づいたジェイスが、慌ててふたりの間に割って入った。
「落ち着いてミハイル……ラスヴァン、何か事情があるんだよね?」
「ああ。馬車と馬を借りたい。王都でしか売れない物を、売りに行きたいんだ」
「そういうことか……」とミハイルが納得したように呟いた。
「どうして、言ってくれなかったんだろう……」
胸の奥からこぼれた想いが、そっと言葉になった。
自分たちは、もう心を通わせていると思っていた。だからこそ、ラスヴァンの胸の内が見えなくなったことが悲しくて、ジェイスの瞳には耐えきれない涙がじわりと溜まり始めていた。
「理由はわかった。だが、お前……馬、乗れないだろ?」
「さっき少し乗ったら、いけそうだった」
「勝手に乗るな、危ねぇだろ……」
自信満々に言うラスヴァンをよそに、ミハイルはため息をつき、額に手を当てて黙り込む。
そのとき、奥のほうで神父が小さく手を挙げた。
「あの〜……それ、私も参加しちゃダメですか?」
ぎゅるるるぅぅう──
小さな教会に、空腹の音がこだまする。
「お財布がないと、何も食べられなくて……シクシク」
宝石のように綺麗な涙を流すが、それが腹の足しになる様子はなかった。
(……えっ……ラスヴァンと神父さんのふたり旅ってこと? そんなの……やだ……)
よくない想像が頭をぐるぐる回る。ジェイスは目をきゅっとつぶり、心のざわめきを振り払おうとした。
「邪魔にならねぇなら」
「やった……コホン……神に感謝いたします」
神父が神様に祈る姿を見て、その整った横顔に、ジェイスの心はさらにざわめいた。
(ラスヴァンと、あんな容姿端麗な神父様が2人きりで……。オレもついて行きたい。でも……何の取り柄もないし、邪魔になるかも……)
「おいおい、勝手に決めるなよ。馬の扱いも知らない奴と、へっぽこ神父で王都まで行けるわけねぇだろ。山賊にやられるか、馬が逃げちまうぞ」
ミハイルががばっと起き上がり、場の空気が一変する。
「へっぽこ……」
神父はショックで固まりつつも、お腹がぎゅるぎゅる鳴っていた。
「ラスヴァン、王都に行くなら三つ条件がある」
「……なんだ?」
「一、怪我を治すこと。二、馬に乗れるようになること」
ミハイルは太い指を二本立てて示す。それをラスヴァンが軽く払いのけ、肩をぐるぐると回し始めた。
「別にこのままでも行けるけどな」
「だめだよ!」
「だめだ!」
ジェイスとミハイルの声が同時に重なる。
肩にそっと触れてきたジェイスの目は潤んでいて、それにラスヴァンは心を締めつけられた。
「あー……わかった」
頭をかきながらも、ラスヴァンは渋々うなずく。
ミハイルの言うことはどうでもいい。ただ、ジェイスが嫌がることはしたくなかった。
「で、三つ目は?」
「ジェイスを連れて行くこと。これが条件だ」
サアアア──
教会の天窓から、優しい陽の光が差し込んでくる。
「ミハイル……」
「な、いいだろ? ジェイス」
ミハイルがこちらを見て、小さく頷いた。きっと気を遣ってくれたのだと思った。
でも──気になったのはラスヴァンの反応だった。
「当たり前だ。最初から、一緒に行くつもりだった」
ポケットに手を突っ込みながら、ラスヴァンはあきれたようにため息をつく。
「ふん、そうか」
ミハイルは「しょうがねえやつらだな」と笑って、再びベンチに寝転んだ。
「……ラスヴァン、本当にオレ、一緒に行ってもいいの? 足手まといになるかも……」
ジェイスがシャツの裾をきゅっと引っ張る。
ラスヴァンは少しだけ眉をしかめ、でも、真剣な目で見返した。
「俺はジェイスがいてくれるだけで安らぐ……嫌だったか?」
まっすぐ見つめる瞳に、嘘はなかった。
ジェイスもまっすぐに、その視線を受け止める。
「嫌なんかじゃないよ……オレも、ラスヴァンと一緒にいたい……」
ずっとこらえていた涙が、ぽろりとこぼれ落ちる。
それを見たラスヴァンは、そっとジェイスの背に手を回し、やさしく抱きしめた。
「怪我してるんですか?」
「あ?」
いい雰囲気だったふたりの横に、ジェイスよりも長身の神父がぬっと顔を出した。腹では怪獣が泣いている。
「背中かな?」
バッ
「なにするんだてめぇっ!」
神父がラスヴァンのTシャツをめくると、ラスヴァンは獣のような素早い動きで後ろへ逃げた。
「治療ですよー治療! すぐ終わりますよー!」
「さわんなっ!」
「痛くないですよー! すぐですよー!」
腹を鳴らしながらニコニコ笑顔で距離を詰めていく神父。
ラスヴァンは警戒した獣のように距離を取る。
ダ、ダ、ダ、ダダダ、ダダダダダッ!
その場でふたりはぐるぐる回りながら、教会の祭壇の前で攻防戦を繰り広げる。
ジェイスはその様子をオロオロと見つめていた。
「どうしようミハイル、ふたりともバターになっちゃうよっ!」
「バカタレ共が……教会で暴れるんじゃねえっ!!」
ミハイルが神父の後ろ襟と、ラスヴァンのTシャツの背中をがしっとつかんで、ふたりの異端児を一喝する。
「あんたも神父なんだから、わかってんだろ……」
「あ、ミハイル様。頬に傷がございますね」
「あ”っ?」
ミハイルが呆れたように呟いたその瞬間、神父の細く色白の手のひらがミハイルの頬に優しく触れる。
すると、掌から緑色の光が放たれ、ミハイルの頬をやわらかく照らした。
小さいけれど確かにあった傷が、光に吸い込まれるように消えていく。
「え……」
「!」
ラスヴァンとジェイスが、まん丸い目で自分を見てくるのを見て、ミハイルはただごとではないと察した。
「……何があった?」
頬にわずかに感じた温かな痒みを掌でなぞり、傷がなくなっていることに気づく。
「……何をした、神父」
「んっふふ、手先のマジックなんかじゃありません。これは、魔法ですよ」
神父は両手を見せ、小さな魔法陣が刻まれているのを得意げに披露する。
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