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【過去編】 14.魔法と愛

 ――ラスヴァンが店を手に入れる数日前の話。  教会で魔法陣を授かり、帰ろうとしたジェイスに、神父が声をかけた。 「……あまり無理して魔法を使うと、気絶します。気をつけてくださいね」 「えっ!?」  神父はにこやかに頷いた。 「普通、魔法を使うと精神力が減るのですが……私の場合は、なぜかお腹も減ってしまうんです。つまり、私の力を授けたヒヨコ君も同じことになります。想像してみてください。気力もなく、お腹が極限に減った状態──」  想像するまでもなかった。  目の前に、目の下に真っ黒なクマをつくり、頬をげっそりとこけさせて、さっきまで教会の椅子で気を失って倒れていたその神父が、まさにその状態で立っていたのだ。  ジェイスはゾクリと背筋を冷やした。 「は、はい。ご助言ありがとうございます。神父様も……どうか、お気をつけて」  日も暮れてきたので、ジェイスはラスヴァンと、今晩の食事の買い出しへ向かった。  その途中、ふと心に決める。 (今度、神父様にクッキーでも差し入れしよう……) ―――  ――翌朝。 『馬に乗れないカッコ悪いとこを、ジェイスには見せたくないんだろ』  そう言われたけれど、ジェイスは納得できずにいた。 「……ラスヴァンの、バカ」  思わず、逆ギレ気味に呟いていた。  ついて行きたかった。  一緒にいたかった。  ラスヴァンのカッコ悪いところなんて、もうたくさん知ってるのに。  芋料理を食べたらすぐおならするし、  昼寝のあともちょいちょい、ちんちん勃ってるし。 「……でも、かっこいいところのほうが、多いけど……」  ジェイスは、しんみりと思い出していた。  ラスヴァンの、ふと見せる貴重な笑顔。  そっと優しく包み込むように抱きしめてくれる大きな腕。  困ったときは、ふざけずに真面目に話を聞いてくれる。  どれも、胸の奥がじんわりとあたたかくなるような記憶だった。  頬の魔法陣を隠すためにほっかむりを被って、ぽつんと置いていかれたジェイス。  花屋の仕事に行っても手につかず、家の裏にある、枯れかけていた自然の花や植物を魔法で回復させたりして、ささやかなことをして過ごしていた。 「元気だして……今日はいい天気だよ」  花を励ます声が、自分の胸にも染みてくる。 「綺麗な空……ラスヴァンも見てるのかな……」 ―――  ラスヴァンは夜遅く帰ってきて、夕飯を食べても疲れてすぐ寝てしまう日々が続いた。  あまり会話もできない。 (寂しいなぁ……)  ベッドでよく寝ているラスヴァンの二の腕に、魔法陣の頬をぺちょっとくっつけて、疲れ切った彼の身体を回復する。  一瞬クラッと眩暈がした。 (…そうだ、なにか食べなくちゃ…)  パンを一口だけもそもそと口へ運ぶが、なんだか食欲がなくて、あとは明日の朝のために残した。 ―――  三日がたち、魔法陣が消えたので、ほっかむりをとり、外に出る。  ジェイスの胸は、ラスヴァンに会いたい気持ちでいっぱいになり、ついこっそり、彼の練習場所まで足を運んでしまう。  ミハイルの小屋の裏手にある広場。  柵の中で、二頭の馬が走っていた。  その背に乗ったラスヴァンは、少しぎこちないながらも笑っていた。 (――笑ってる)  ジェイスは、木陰からこっそり覗いていた。  目には涙がにじんでいた。 「……ラスヴァンのそばに、いきたいな……」  つい、呟いてしまう。  そんな自分が、どんどん嫌になってくる。  トボトボと帰ろうとした時。  湖の前を通りかかると、人の気配がない。  ラスヴァンもミハイルも、広場にいる。  今なら、裸で湖に入っても誰にも見られないかもしれない。  そっと服を脱いで、木箱に入れる。  湖の水は冷たくて、気持ちよくて。  張りつめていた頭の中が、少しずつほぐれていく。 「……ラスヴァン……」  小さくつぶやいて、ジェイスはため息をついた。  けれど、胸の苦しさは増すばかり。  そのとき。  ジェイスの白くもっちりとしたお尻に―― 「う、あっ!?!?」  湖にいた大きな魚が、餌と間違えてパクリと噛みついた。  まったく意識していなかったジェイスは、驚きすぎて足をばたつかせた拍子に足がつり、バランスを崩して水中へ。 「あっ! ラス、ヴァン!! んぷっ!!」  思わず愛しい人の名前を叫ぶ。  でも、ラスヴァンはミハイルの小屋の裏側。ここからは遠い。 「っん、はあっ……たすけっ……ぷぁっ……!」  トプン。  もがくが、水を飲みすぎた身体は沈んでいく。 (いつもなら、もう少し泳げるのに……)  そのとき、神父の注意を思い出す。 (……あぁ、そんな……)  身体に力が入らず、左手だけが、水面に向かって必死に伸びていた。 (……もう、だめ、かも……)  沈んでゆく視界の中、歪んだ太陽を見上げたその時――  バッシャァン!!  水面が割れ。  腕が、強く引っ張られた。 「っぷはあっ!!」  ラスヴァンが服を着たまま飛び込んできたのだ。 「大丈夫か!?」 「早く、岸にっ!!」  ミハイルの声が響く。  ラスヴァンはジェイスを抱え、水をかき分けて泳いだ。 ――― 「毛布、持ってくるから待ってろ!」  ミハイルが小屋へ走っていく。 「ッゲッホ!! ゴホッ、ゴホゴホ!!」  ラスヴァンに抱えられながら、ジェイスは苦しげに水を吐いた。  無言のまま、ラスヴァンは自分のシャツを脱ぎ、ジェイスの身体にそっとかけてやる。  ジェイスはようやく、自分が全裸だったことに気づいて、顔を赤らめる。 「……ッゴホ……ありが、と……」 「無理して話すな」  濡れて顔に張りついた前髪を、ラスヴァンが左右にやさしくかき分ける。  そのまま、ゆっくりとジェイスを抱きしめた。 「……おまえを、失うかと……」  その言葉と、ラスヴァンのぬくもりに。  冷えきった体の奥から、涙が滲み出してくる。 「……ラスヴァン……好き……」  心の奥からあふれ出た想いが、涙と一緒にこぼれ落ちた。  ジェイスの口から出た小さな掠れた声に、ラスヴァンは少し驚いたように目を見開いたあと、すぐにふっと、やさしく笑って、 「……ああ」  ただ、それだけを言って、  もう一度ジェイスを包み込むように、優しく抱きしめた。

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