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【過去編】 20. 寝落ちの果てに崖下

 神父一行は、小雨の降る中、宿を出発した。  危険でモンスターが出るという噂のある近道を選んだのは、王都へ早く着きたい一心で神父が駄々をこねたからだった。  崖沿いに続く細い山道は、足元に緑が生い茂っていたが、すぐ横は断崖絶壁。  一歩でも踏み外せば、谷底へと転げ落ちそうな危険な道だった。 ――― 「………………」  褐色の肌に、黒く深いクマが浮かんでいる。 「ラスヴァン君、君、クマがすごいですよ。眠れなかったんですか? 回復しましょうか?」  あまりに酷い顔色に、神父が声をかけた。 「………イラン」 「え、声ちっさ。なんて?」  あまりに小さな声で神父には聞き取れなかったが、自分から離れていったところを見るに、回復の必要はないのだろうと判断した。  そんなラスヴァンの様子を見て、次にミハイルが声をかける。 「……なあ、おい。昨日、ジェイスと二人で寝てたけど……ああいうことはしてないよな? 旅の間は、そういうのは連携を乱すというか……」 「……ウルセエ、デブ」 「なっ! デブじゃないわい、筋肉だわい!」  ラスヴァンは八つ当たりしていた。心身ともに、かなり弱っていた。  昨日、エロいことは諦めてジェイスの腕枕で眠ろうとしたラスヴァンだったが――  その夜は、想像以上に過酷だった。  ジェイスの寝相があまりにも悪かったのだ。  身体が足と手で巻き取られたと思ったら、蹴られ、押し出され、ベッドから何度も落とされては戻り……  それを夜通し、繰り返していたのだった。  それでも、そんな状態でも、「一緒に寝たい」という気持ちを捨てきれず、ラスヴァンは明け方まで耐え抜いていた。  そのせいで今、眠気とジェイスのぬくもりの記憶に囚われ、野生の獣のような力は完全に弱まっていた。  ――歩きながら、寝ていた。  目を閉じ、よろよろと崖のほうへ近づいていき、  スッ……と、静かに崖から落ちた。 ――― 「……ね、ラスヴァン……え、あれ?ラスヴァンがいない?」 「あいつ、ひじきみたいな細い目して歩いてたから、寝ながら歩いてたんじゃないか!?」 「……とりあえず探しましょう!」  三人とも「まさか」と思いながら、一斉に崖下を覗き込んだ。  わっさわっさと茂った太樹の葉。  その奥に――一本、いや三本。しっかり交差した太い枝の上に葉が密集し、ラスヴァンはうつ伏せに倒れていた。  葉がクッションの役割をしたようで、大きなイビキが響いている。無事なようで、完全に眠っていた。 「……いましたね。あんなところに」 「なんつう奴だ……」 「良かったラスヴァン……ほんとに良かった……」  ミハイルは驚きながらも深いため息を吐き、ジェイスは手を合わせて祈るように涙ぐんでいた。  ラスヴァンは、何度話しかけても起きなかった。 「オレが下に行って連れてくる」  ぷるぷる震えながら崖下を見つめ、ジェイスが言った。 「だめだ、ロープはあるが、あそこまで届かない。……くそ、俺が崖を伝って担いで戻ってくる!」 「そんな危ないこと、だめだよ! ミハイルは体重もあるし、余計危ない!」 「……体重……」  さっきラスヴァンに「デブ」と言われたのを思い出し、ミハイルの口元がぴくりと引きつった。 「私が行きますよ。戻ったら、打ち上がったところを受け止めてください」  神父がひょいっと崖から飛び降りた。 「えっ、なにを……おいいいっ!!」 「わあああーーー神父様ーーー!!!」  神父は、飛び降りる際に  ボウォンッ!!  魔法で衝撃波を地面に打ち、身体を少し浮かせて落下の衝撃を防いだ。その姿はまるで宙を舞う天使のようだった。 「おお! すげぇ!」 「浮いてる! 神父様すごい!」  崖の上から見ている二人は、神のみ業を目の当たりにし、拍手したり祈ったりしながら見守った。  ボウォン! ボウォン!  衝撃波を何度も地面に打ちつけながら、体勢を調整してラスヴァンの近くに向かう。  しかし、神父の顔が苦痛に歪む。 「やはり……きついな……」  肩から、小さくミシリという音がした。 (……でも、救わねば……)  神父は何度も衝撃波を打ち込み、ラスヴァンの元まで辿り着くと、肩に担ぎ上げた。  思っていた以上に重く、足がガクンと揺れる。  唇を噛み、両手の魔法陣から衝撃波を放つ。 「うらああぁああっ!!」  チュドンッ‼︎ チュドンッ‼︎ チュドンッ‼︎ チュドンッ‼︎  バトル漫画のような速さで衝撃波を繰り出しながら、崖を上がってくる神父。 「あいつ、神父らしくない声を上げてるな……」 「雄々しいね……」  崖の上で腹ばいになって下を覗くふたりは、のほほんとそんなことを言っていた。  神父は突風のように登りきり、ミハイルとジェイスの真上にふわりと浮上。  二人は慌てて立ち上がり、彼らをしっかりと受け止めた。 「ラスヴァン、起きて、ねえ!」 「ぐーーがあーー」  ラスヴァンは小雨に濡れ、ジェイスが頬をペチペチ叩いても起きない。 「そいつは寝てるだけだ、放っておけば大丈夫だろ……やばいのはこっちの方だ……」 「はぁ……はぁ……」  神父の呼吸は荒く、衝撃に耐えきれなかった腕は脱臼しており、裂けた布のように腕の傷が開き血がにじんでいた。 「回復には時間がかかります……私はここまででしょう。ここに置いていってください。後はなんとかします……」  珍しく俯いて力のない神父を、ミハイルとジェイスは見つめ、顔を合わせてこそこそと小声で話し合った。 「私はだいじょ……モガッ」  ジェイスがクッキーを神父の口に押し込む。 「あんたのためにも王都に行くんだろうが!」  ミハイルが神父を抱き上げて立ち上がる。 「お菓子ならたくさんあります。大怪我は自分で治してください! オレだって薬草で回復の手伝いくらいできます!」  神父は驚いた顔をしたあと、「ふっ……」と小さく笑った。 「困った人たちですね……老体に鞭を打つとは……」  三人は顔を合わせて笑い合う。  そこには、あたたかな空気が流れていた。 「むにゃ……ジェイ、ス……ぐーー……」  ラスヴァンはピンタでも起きなかったので、馬に荷物のように担がれていった。 ――― 「ふあ〜あ……」  雨が止み、再び四人と一頭は崖道を歩いていた。  ラスヴァンは馬の綱を引きながら進んでいたが、ジェイスの強烈な往復ピンタによって、両頬がぷっくりと赤く腫れている。 「……もう寝ないでね」  ジェイスがやや怒った口調で言うと、 「寝ない……。……そんな可愛い顔するな……」 「な、なに言ってるの! か、可愛くないし……べつに……///」 「ふふ……」  よく寝て機嫌が直ったのか、ラスヴァンは柔らかく微笑んだ。  顔を真っ赤にして抗議するジェイス。だが二人のいちゃつきは止まらない。  今回はツッコミ役も呆れているのか、誰も「ちちくりあうな」とは言わなかった。 「…………ふぅ……」  回復魔法と休息を繰り返す神父は、さすがに余裕がない。 「大丈夫か」  胸元に抱くようにして歩くミハイルが声をかける。 「はぎふぶうなら」 「食べたあとでいい」  マドレーヌを口いっぱいに頬張りながら、神父の傷は確実に癒えていくのであった。

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