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皇太子の結婚 2 ※
婚姻の儀を翌日に控えた夕刻。
「祭衣の最終調整に参りました」
現れた仕立て屋は、先日採寸に来た者とは別の男だった。
礼儀正しく頭を下げながらも、仮面のように張り付いた笑みが薄気味悪い。
執務室の奥、小さな控えの間へとキリエルは通された。
「殿下は宰相と打ち合わせがございます。少々こちらで」
侍従の声にうなずき、キリエルは奥の小部屋に足を運ぶ。
カシアンは心配そうにこちらに目線を向けるが、宰相は淡々と書類の束を机に並べ、何やら小難しい話を畳みかけていた。
◇
「衣服をお脱ぎくださいませ」
促され、しぶしぶ上着をはだける。
褐色の肌が灯火に浮かび上がる。
滑らかで均整の取れた筋肉は、鎧の下で鍛え続けた証。柔らかな質感は、しなやかな力を湛えていた。
しっとりとした肌のきめ細やかさに、布が滑るたび淡い光沢が走る。
仕立て屋の目が一瞬、獣のように鈍く光る。
「噂は本当でございましたか……。殿下の寵愛を受けているとか」
「……くだらん。さっさと済ませろ」
苛立ちを隠さず吐き捨てる。
だが仕立て屋はどこ吹く風。
「なんと見事なお身体だ。張りのある筋肉に、柔らかそうな肌……色香を帯びて輝いている。祭衣がよくお似合いになるはずだ」
湿り気を含んだ声が、背筋にまとわりつく。
指先が肩口をなぞり、腰骨へと滑る。
腰布を纏わせながら、わざとらしく脇腹を撫であげた。
思わず体が震える。
今度は、薄衣が張り付いた胸板を指先がくすぐるように行き来する。
あからさまな動きに鳥肌が立った。
「やめろ」
振り払おうとした瞬間、冷たい刃が喉元に押し当てられた。
「動かれますと危険です」
低い囁きが耳を撫でる。
――ついに来たか。
キリエルは力を抜き、諦観した笑みを浮かべた。
「……ああ、やっとか」
「……なんと?」
仕立て屋の目が細まる。
「殺されても構わない」
掠れた声で吐き出す。
意外そうに眉を上げた仕立て屋は、笑みを深める。
「死にたいのですか。惜しい……なんといい身体だ。ああ、もったいない」
祭衣をぐいと引き上げ、胸板を露わにする。
舐めるような視線が褐色の肌を這った。
ハリのある胸筋を鷲掴み何度か揉むと、先の飾りを指の腹でくすぐる。
キリエルは「さっさとやれ」と短剣を持つ腕にすがるが、仕立て屋は低く笑い、ざらついた指先を下腹へと忍び込ませる。
「――離れろ!」
轟く怒声と共に扉が弾け飛んだ。
烈火のごとき形相でカシアンが飛び込み、瞬時にキリエルの体を仕立て屋から引き剥がす。
刹那、刃が翻りカシアンを狙う。
だがキリエルははだけた祭衣を握り、布で暗殺者の首を強引に絡め取った。
「がっ……うぅ……!」
呻きと共に崩れ落ちる仕立て屋。
遅れて駆け込んできた近衛騎士たちが、倒れた男を引きずり出していく。
キリエルは息を荒げながらも、悪態をついた。
「俺はどうでもいい。……だが、殿下の安全は絶対守れよ」
騎士たちは一瞬、憮然とした表情を見せるが、何も言わず退出する。
宰相が駆け寄り、蒼白な顔で殿下を案じた。
「……首謀者を必ず見つけろ」
カシアンの声は鋼のように冷たい。命令が広間を震わせ、重苦しい沈黙を残した。
◇
人払いが済んだあと、キリエルは壁にもたれ自嘲気味に笑った。
「……殺され損ねた」
「……生きてもらわなければ困る」
怒気を含んだ声音が小部屋に響く。
かさついた指が頬を撫で、ゆっくりと顔を持ち上げる。
「……昔、教官に殴られたときも、撫でてやったな」
懐かしむように囁きながら、乱れた祭衣を丁寧に脱がせていく。
汗ばんだ肌を確かめるように撫でた。
次第に境界を探るように彷徨いはじめる。
「どこを触らせた」
嫉妬に燃える瞳に、キリエルは食われてしまうかもしれないと、背筋を粟立たせた。
足先からふくらはぎ、膝裏、内ももと、刻印を残すように愛撫される。
「……そんなとこは触られてない」
高鳴る鼓動がバレないよう、浅い息をゆっくり吐く。
「では、ここか?」
腰骨から脇腹をじっくり撫で上げられる。
「……ん、ぅっ……!」
嚙み締めた唇から震える吐息が漏れる。
羞恥で体温が一気に上がる。
カシアンは胸に一つ口づけを落とすと、肩へ、首筋へ、愛おしそうに繰り返した。
「……っ」
力が抜ける。熱が広がり、皮膚の下が痺れるようだった。
とろけた蜂蜜色の瞳に、カシアンの赤が映る。
呼吸を奪うように、唇が重なった。
最初は静かに離れる。だが次第に熱を帯び、互いを貪るように深まっていく。
「……お前を失うくらいなら、皇太子の座を捨ててもいい」
激しい呼吸の合間、カシアンが告げた。
胸の奥を鋭く抉る言葉。
拒絶も肯定もできず、ただ心が激しく揺さぶられる。
絶望したはずなのに、体は裏切るように熱を求めてしまう。
何度も重なる唇。
舌を絡ませながら、カシアンの両手はキリエルの腰まで撫で下り、熱く滾った自身へ押し付ける。
キリエルのものも熱を持ち、カシアンの手に促されるまま、腰を揺らしてしまう。
衣擦れと熱の混ざる音が狭い部屋に溶ける。
理性が感情と欲に押し流されそうだった。
キリエルの腰が痙攣するように跳ね、カシアンの上着を掴む。
「もう、だめだ……止まれって!」
心は拒絶の言葉を繰り返しながら、体の熱に打ち勝てない。
力んだ指先がかたかたと震える。
甘苦い声がカシアンの耳元で反響し、微かな理性さえ掻き消えそうになる。
「――そうだな、祭衣を汚したら、まずい……」
カシアンはきつく目を閉じ、獣のように荒い息を整える。
押し付け合っている下肢からびりびりと痺れが広がる。
キリエルは、その甘美な余韻を逃がすように、ひんやりとした壁に頭を預ける。
カシアンはゆっくり体を離すと、床に落ちた衣服を投げて寄越した。
横目に見ると、カシアンの脈打つ熱が腰布を押し上げている。
ごくりと唾を飲み、恐々とカシアンの顔を見た。
汗が浮かんだその額には、激情を耐えるように皺が刻まれ、猛々しい色香を放っていた。
「執務が終わるまで、自室にいろ。すぐに片付ける」
キリエルは、この獅子に骨まで食われてしまうのだと予感し、体を甘く震わせた。
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