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洗脳の香 3 ※

 夜の帳が下りた。  月は日に日に細り、近く新月になるだろう。  寝台に横たわっても、ぼんやりとした気分は晴れなかった。  鼻の奥にはまだ、あの甘い香りがまとわりついている。  思考はとろりと溶け、けれど心臓だけが不安げに脈打っていた。  テーブルの上には、今日も届いたカシアンの手紙が置き去りになっている。  封蝋はまだ割られていない。  なぜだか、封を切ることさえ億劫だった。  (……頼ってはいけない。殿下に……負担をかけるな)  強く思うたびに、胸の奥で叫びがねじれていく。  眠れぬまま、ベレオンを呼んだ。  「……紅茶を」  「はい、聖女様」  彼は微笑みながら湯を注ぐ。  近衛騎士を含めた全員分を必ず用意し、まず自らの杯を口にする。  その律儀さが、なんだか可愛く思えた。  「これで朝までぐっすり眠れます」  囁きは子供のまじないのように耳に残る。  ベレオンは、湯気の向こうから楽しげな眼差しを向けてきた。  「聖女様は、いつから祈るようになられたのですか」  「……小さいころから」  「そのとき、女神様に何を訴えていたのです」  「……妹や……家の無事を……」  ぽつぽつと答えながらも、強烈な眠気が襲ってくる。  カップを置いた指が震え、やがて意識は深い底へと落ちていった。  ◇  夢の中では、すでにカシアンと後背位で激しく交わっていた。  熱い体が背を覆い、汗が滴り落ちる。  「あ"、ぐぅ、あひっ」  深くまで挿さった剛直が腹の中を掻き回す。  もっと、もっと。腰を反らし、律動に合わせて揺らす。  肉壁が摩擦し快感が全身を駆ける。  電流のようにビリビリと肌を焼き、悲鳴が喉を迸る。  「あがっ……!おぉ……っ!」  羞恥心を捨て、肉欲に溺れる。  カシアンの腰が臀部にぶつかり、乾いた音が鳴る。  獣のような行為に興奮が込み上げた。  「か、ひぃ……っお"、かはっ……!」  彼の名を呼ぼうとするも、激しく揺らされ言葉を紡ぐことができない。  精一杯の愛情表現として、肉壺を切なく締め上げた。  「……は、ぐっ……」  余裕のない吐息が背中にかかる。  背骨が痺れるほど嬉しい――。  そのまま中に吐き出して欲しくて、自らの手で尻肉を左右に開く。  「ん……っおく、突いて、出せ……」  胎内の熱が凶悪に膨らむのが分かる。  腹の奥がどろりと蕩け、肉をしゃぶるように蠢く。  とんだ淫乱になってしまった。  暗い後悔を凶暴な快楽が上塗りする。  ――好いた男の猛りを受け止めること以上の悦びがあるだろうか。  「あ"、あ"、あ"――ッ」  雷のような悦楽が脳に落ちる。  目の前が明滅し、全身がぶるぶると痙攣した。  「……気持ちいいか?」  慈愛に満ちた低い声。  好き、好きだ――。  言葉を仕舞い込むと、突き立てられた熱を不随意に締め付けてしまう。  「きもち、いいっ……もっと……!」  ぬかるんだ蕾から熱が一度引き抜かれ、向かい合う体位に変わる。  熱い息を直近に感じる。  「カシアン……っ早く……!」  宝石のように輝く赤い瞳が、ふと紫がかって見えた。  「……は、」  混乱しているうちに、囁く声の響きが変わっていく。  「僕を求めてくださるのですね……聖女様……!」  ――それは、ベレオンの声だった。  スミレ色の瞳が涙で濡れている。  月明かりを背負った男の顔は不明瞭なまま、濡れそぼる秘所に熱を潜り込ませる。  耳に届く水音さえ、妙に生々しい。  脳が高速で動き始めるも、強引に引き上げられる快感が思考を押し流された。  快楽によって再び意識が霞み始める。  目の前にいるのは確かにカシアンなのに、あの神官の気配が消えない。  熱に犯されながら、その境界は溶けて混ざってしまう。  これは悪夢だ。  祈りをせがむ声を聞きながら喘ぐ自分に、逃れられない恐怖と甘美な陶酔が絡みついていた。  ◇  瞼を持ち上げると、窓から差す光が白く霞んで見えた。  目覚めたはずなのに、現実感がない。  ――何か、大事なことを忘れている。  胸の奥がざわめき続ける。だが、何を失ったのかが霧のように掴めない。  「聖女様、祈りの刻でございます」  ベレオンの穏やかな声に導かれ、膝を折り、いつものように祈りを捧げる。  食卓に並んだ料理を口に運び、再び眠りにつく。  次に目を開けたとき、朝なのか夜なのか、もう分からなくなっていた。  兄との面会が何度あったのか、数も思い出せない。  時の流れは闇に呑まれ、ただ甘美な夢と現実が交互に訪れるだけだった。  常に体は倦怠感に苛まれ、甘く痺れている。  唇は艶やかに濡れ、全身はじっとりと汗に覆われていた。  自分の体の変化を漫然と受け入れる他なかった。  ふと机の上に目を向けると、赤い封蝋の手紙がいくつも積まれていた。  それは間違いなくカシアンからのものだ。  あの温かい愛情に触れたいと思うが、指先が強張る。  ――読んではダメだ。  定めを守るように、自分を律する。  殿下はお忙しい身、お手を煩わせるようなことをしてはいけない。  震える指先は宙をさまよい、力なく下ろされる。  部屋には甘い香りが満ちていた。

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