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澄み渡るほとり 1 ※

 互いの熱に押され唇が重なり、衣が水に沈むように落ちていく。  池の水の冷たさに気づかないほど、肌は火照っていた。  カシアンの指が、首筋へと辿った。  「……この石は、お前のかつての瞳の色だな」  汗で濡れた首に張り付くように巻かれたチョーカー。その中心には青い宝石が煌めいている。瞬間、そこに残る記憶がキリエルの体を強張らせた。  「…………外して、くれ」  押し殺すような声は拒む響きなのに、震えは弱々しく、すがるようでもあった。  靄のかかった記憶が少しずつ姿を現す。  自分がされたこと、していたこと――悦んでいたこと。  澄み切った空気が霧を晴らしてしまう。  頭が割れるように痛み、吐き気が込み上げてくる。  カシアンと最後に会った日から一体どれほどの時間、体を弄ばれてきたのか。  肌を這い回る男たちの手の熱が鮮烈に蘇る。  全身の汗が冷え、手足が凍えるように震えた。  「…………は、やく」  うまく言葉を紡げないまま、カシアンの指を急かす。  自分で外すこともできるはずなのに、心は支配者の影に怯え続けている。  波のように押し寄せる記憶はキリエルを苛み、取り戻したはずの誇りさえ汚していく。  きつく地面に爪を立て恐怖に耐える姿は哀れなほど弱々しかった。  カシアンは慎重に留め具に手をかけ、チョーカーを外した。  見えない何かに怯え色をなくし、ただ背を丸める様子に胸が痛む。  迂闊に触れれば壊れてしまう、そう直感した。  「……外した……もう自由だ」  夜明けの薄い明かりに、痛々しい情痕が浮かぶ。  カシアンはハッと息を飲み、キリエルに刻まれた傷の深さを思い知った。  手の中にある装飾品は拘束具であり、自らの不在が覆しがたい凌辱を許したのだ。  「…………守ると誓ったのに」  掠れた声が、水面に落ちていく。  「俺は……お前ひとり守れずに…………すまない、キリエル」  カシアンの肩が震えていた。言葉にならない呻きが、鼓膜を震わせる。  その姿は、これまで誰にも見せたことのない心からの懺悔だった。  冷静沈着に見えた赤い瞳が、悔恨と怒りの涙で濡れて揺れている。  「俺が……もっと早く気づいていれば。お前にこんな目を負わせることは……」  「……ちがう、俺だ……俺が拒めていれば、抵抗して、触らせなければ……」  自分の身は自分で守れると過信していたのだと言い募るも、自責の念がカシアンに圧し掛かる。  「俺は……お前の隣に立つ資格がない……なのに、まだお前のそばにいたいと思ってしまう……本当にすまない」  矜持を脱ぎ捨て、情けないほどの弱さを曝け出して許しを乞う。  「どうか……離れないでくれ」  その懇願に、キリエルはそっと腕を持ち上げる。  強張る頬を撫で、落ちる涙を見つめた。  「…………汚れた体でも、愛してくれるか……?」  震える唇から、かすかな声がこぼれる。黄金の瞳は頼りなく揺れていた。  キリエルの冷えた指先を手のひらで覆い、体温を伝える。  胸の奥で身を焼く炎こそ、彼を愛する気持ちそのものだった。  「……当たり前だ……キリエル、お前のすべてを愛している」  目を見つめたまま、音もなく唇を触れ合わせる。それはまるで呼吸を与えるような口づけだった。気配を探るように指先が互いに伸び、おそるおそる肌を合わせる。  乱れた呼吸が鎮まり、互いの胸の鼓動だけが響く。  冷たい風が汗と涙を撫で、ふたりはしばらく抱き合ったまま動けなかった。  「……俺が、洗い流そう」  カシアンがそう囁くと、キリエルを抱き上げて池の中へ入っていく。  冷たいはずの水が、体をやさしく包み込む。  血も泥も、屈辱の痕跡さえも流れていくようだった。  カシアンの指先が体中を清めるようになぞる。  「もう誰にも触れさせない……」  燃えるような赤い瞳が水面の光を受けて揺らめいている。  朝の光を宿した風が梢を揺らし、世界に目覚めの時を静かに知らせる。    「…………カシアン、愛してる」  言えなかった言葉が、想いが溢れた。  声に出した瞬間に胸の奥が熱くなり、心が動き出す。  カシアンは泣き出しそうな顔をして笑った。  「……やっと、応えてくれた」  涙を隠すようにキリエルの首筋に顔をうずめ、力強く抱きしめる。  「愛してる、キリエル……」  唇が、指先が、全身が互いを求めて離れない。  水音に包まれ、ゆっくりと、与え合う愛に溺れていく。  次第に高ぶる下腹部の熱が触れ合い、舌を絡めて官能的な喜びを共有する。  「……、キリエル……いいのか……?」  荒い息を押し殺しながら気遣う様子に、キリエルは焦れたように唇を重ねる。  「洗い流してくれるんだろ……」  カシアンの指先を後孔へ導き、照れたように睨みつける。  まだ少しの恐怖が心に居座っているものの、すべてに触れてほしいと思う衝動が体を突き動かす。  初めて触れられたあの日の興奮が蘇り、胸の奥が切なく疼いた。  ゆっくりと押し込められる指を、柔らかく締め付けながら受け入れていく。  たったそれだけで膝が震えるほど気持ちがいい。  体の奥深くを触れられる喜びと、体が作り変えられてしまった絶望がない交ぜとなって胸が詰まる。  唇を噛み締めて耐えていると、カシアンが背中をさするように撫でた。  「……俺だから、こんなに感じてくれるんだろ?」  低く、甘い声の響きに、体の力を抜いて心ごとゆだねていく。  ――そうだ。カシアンだから、こんなに嬉しい。  指の動きに合わせて、喘ぎ混じりの息を吐く。  きゅうきゅうと指に吸い付くように内側が蠢き、甘い痺れが体中を走る。  「……ぁ、あ……あ……っ!」  水面を跳ねるしぶきの音に、キリエルのあえかな声が重なる。  再び舌を絡められ、節くれだった指がもう一本挿し込まれると、立っていられないほどの快感が脳を蕩けさせていく。  緩んだ唇からは唾液が垂れ、腰が抜けてしまう。波に攫われないようにカシアンの首に腕を回す。  至近距離で見た赤い瞳の奥には、欲望の炎がめらめらと燃えていた。  しかし触れる指先はどこまでも優しく、身も心も甘く溶かしてしまうほど熱かった。

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