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第23話
あっさりと帰っていった幼馴染に後ろ髪を引かれつつ出勤したが、どこか現実感が薄かった。
いつものように挨拶と、早退のお詫びをして席に着き、やりかけだった書類をまとめて窓口対応をこなす。
身体はちゃんと動いているのに、心だけが少し遅れているような感覚が抜けない。
午前中の業務が終わった頃、上司に声をかけられた。
「萩山、大丈夫か?顔色、少し悪いぞ。まだ体調が優れないのか?」
「あ、えっと……あはは」
笑ってごまかそうとしたけれど、喉がうまく動かず、言葉が途中で詰まった。
いわゆる「外の人」の上司はそれ以上は追及せず、「無理するなよ」とだけ言って去っていった
その何気ない優しさが、逆に胸にちくちくと刺さる。
仕事に集中しようとパソコンの画面を見つめても、頭のどこかではずっと昨夜のことが渦巻いていた。
――額に落ちた、あのキス。
意味なんてないと思いたいのに、思えば思うほど苦しくなっていった。
結局、いつもと同じように定時で仕事を終えた。外はもう薄暗く、いつの間にか風が冷たくなっていた。
母親から「帰ってくるなら牛乳を買ってきてください」と連絡が入っており、小さくため息をついた。
重たいアクセルを踏みながら帰路につき、家の玄関を開けると、台所から煮物の匂いがした。
「あら、あんた、やっと帰ったの? 昨日どこ泊まってたのよ」
振り向いた母の顔には、心配と苛立ちが半分ずつ混ざっている。
「友達んち。ほら、崎田遼って覚えてる」
「ああ。由樹と仲良かったあの子?……もしかして、遼くんってαさんなの?あなた、変なことやってないでしょうね。昨日だってあんな物つけて……」
ヒステリックな金切り声がいつもより強くて、返事をするのが遅れた。
どう答えても、どこか嘘になる気がした。
「……まさか。βだよ、あいつも」
それだけ言って、自室に逃げ込むようにドアを閉める。部屋の中は、昨日彼と過ごした部屋とは打って変わって静かすぎるぐらいだった。
ぼんやりとしながらスマートフォンを取り出し、無意識に画面を開く。
連絡を取りたい相手の顔が真っ先に浮かんだ。なのに――
彼の連絡先を知らないことに、ようやく気づく。どれだけ濃密な時間を過ごしても、どれだけ近づいても、その一枚の画面の中には崎田がいない。
それが妙に現実的で、どうしようもなく寂しかった。
送れないメッセージを何度も打っては消して、萩山はベッドの上に身体を倒した。
瞼を閉じても、あの朝の光と、まだ消えない額の熱だけが、鮮やかに残っていた。
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