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第27話
徒歩ではしばらくかかる距離は、車を使うとその時間が大きく短縮され、名残惜しさを感じるまもなく萩山の家の前に車が止まる。
エンジンが静かに沈黙すると、夜の音が急に際立って聞こえた。
虫の声と、遠くから聞こえる木々のざわめきが、寂しさを埋めてくれたらいいのにと思いつつ、萩山は目を伏せる。
何も言わずにドアノブに手をかけたが、その瞬間に崎田が口を開いた。
「……また、連絡するから」
短い言葉なのに、不思議と重みがあった。
萩山は振り返り、彼の表情を確かめようとしたが、暗がりのせいでよく見えない。
それでも、柔らかく笑っているような気がした。
「うん。待ってる」
そう言って車を降りる。
ドアが閉まる音が、胸の奥に残ってしばらく消えなかった。
振り返ると、車のテールランプが赤い線を引いて、ゆっくり遠ざかっていく。
ランプの光が見えなくなるまで見送った後に玄関を開けると、廊下の奥から母親の声がした。
「遅かったわね」
萩山は靴を脱ぎながら、ただ「うん」とだけ答える。
それ以上何か言葉を返す気にはなれず、そのまま風呂場へと向かった。
浴槽の蓋を開け、追い焚き機能がまだついており程よい温度のままだった湯に浸かると、ようやく身体の奥から息が抜けていく。
ぼんやりと天井を見上げながら、さっきの出来事を思い返した。
何度も唇が触れた感触。
崎田の指先の熱。
そして、スマートフォンの画面に浮かんだ名前。
――崎田遼。
登録された文字列が、まるで胸の内側に刻まれているようだった。
湯気の中で、そっと笑みがこぼれる。こんなふうに、誰かの名前だけで熱くなるなんて、今までの萩山からしたらありえないことだった。
風呂を出て、部屋の明かりを消す。
ベッドに倒れ込み、天井を見つめながらスマートフォンを手探りでつかんだ。
何も来ていない通知欄を見つめて、小さく息を吐く。
当たり前だ、少し前に別れたばかりなのにそう思いながらも、心のどこかでは「でも」と期待している自分がいる。
そして数分後。ぽん、とスマートフォンが光った。
画面には、待ちわびていた名前とたった一行のメッセージ。
『無事帰ったか?』
心臓が、どくんと鳴る。
指先が勝手に動いて、文字を打つ。
『うん、ありがとう。崎田も気をつけてね』
送信ボタンを押したあと、もう一度メッセージの履歴を眺める。
そこに並んだたった二行が、世界で一番尊いもののように思えた。
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