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第45話

 朝の気配が、まだ薄く部屋の隅に漂っていた。  カーテンの隙間から差し込む白い光が、静かな寝室を淡く染めている。  隣で眠る崎田の寝息を確かめながら、萩山はそっとシーツを抜け出した。  冷えた空気が肌を撫で、夜の余熱を奪っていく。その感覚が、少しだけ心地よかった。  床に散らばった衣服を拾い上げながら、何度か指が震えた。  昨夜のことを、まるで夢のように思い出す。  触れられた場所がまだ疼いており、あの熱が幻ではないと、身体だけが覚えている。  理性は「忘れろ」と囁くのに、指先は何度もシーツの皺をなぞってしまう。  強いヒートが崎田に抱かれると収まってしまうのも、ありがたい半面どこか恐ろしいものを感じた。  洗面台の前に立つと、鏡の中の自分が見知らぬ人のように見えた。  頬が少し赤く、目の奥がまだ眠っている。  そして、首には――冷たい革の輪が残っている。中心で存在感を放っている金具をそっと指で押すと、かすかに音が鳴った。  その小さな音が、部屋の静けさを破る。萩山は息を止めたまま、金具を外した。  「カチリ」と、微かな音が響く。  それはまるで、自分が誰かの所有から解放される瞬間の音だった。  手の中に残った首輪は、思っていたより軽かった。  けれど、その軽さがなぜか痛い。  もとの「街役場で働く萩山由樹」を手にしたはずなのに、胸の奥で何かが崩れる音がした。  首筋をなぞると、そこだけがまだ熱を持っている。  まるで噛まれることを望んでしまった場所が、まだ夢を見ているみたいに。  リビングを抜け、玄関に向かう途中で、足が止まった。  振り返ると、寝室のドアの隙間から、朝の光が細く漏れている。  その奥に、崎田がいる。  眠っているはずの彼の姿を思い浮かべると、胸の奥がきゅっと縮んだ。 ――このまま何も言わずに出て行けば、きっと、彼はまた笑って迎えてくれる。  でも、その笑顔の裏にある痛みを、自分はもう見ないふりができない。  靴を履き、ドアノブに手をかける。  外の空気は冷たく、頬に触れる風が現実を告げる。  深く息を吸い込むと、夜の名残が肺の奥から溶けていくようだった。  それでも、首の内側はまだ熱い。  首輪を外したはずなのに、何かが確かにそこに残っている。  萩山は小さく笑って、呟いた。  「……これが、元の生活か」  けれど、歩き出す足取りの先で、世界が少しだけ色を失って見えた。  息が詰まるような、この小さな街での日常は戻ってきた。  ただ、その中に、もう昨日までの自分はいなかった。

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