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第54話

 荒い呼吸がようやく落ち着いたころ、車内には一瞬だけ、雨音のみが支配する静けさが訪れた。  指先に残る温度がじんじんと尾を引く。  それを自覚した瞬間、萩山は思わず息を呑んだ。 ――何してんだ、俺。  ついさっきまでの熱がじわりと引いていくのと同時に、浮かれすぎた自覚が芽生えて、頬から耳の裏まで一気に火でもついたように熱くなる。  手を引っ込めようとすると、逆にその動きが恥ずかしさに拍車をかけた。  どうしていいかわからず、膝の上でぎゅっと指を握る。  そんな萩山の様子に気づいたのか、崎田が静かに息を吐いた。 「……由樹、ちょっと待ってな」  そう言うと、少し身を乗り出してグローブボックスの中を探り始めた。  がさがさという控えめな音が、やけに胸に響く。 「ほら、これ……」  差し出されたのは、小さなウェットティッシュの包みだった。ご丁寧に蓋まで開けられて、中身を取り出すばかりの状態になっている。  萩山は反射的に中の濡れた不織布を取り出したが、触れた指先が震えた。 「……あ、ありがと……」  自分でも驚くほど弱い声が出た。  急いで俯くと、髪が頬にかかってさらに顔が熱くなる。  必死で手を拭きながら、同じ車の中で、互いに触れ合って……という事実がまざまざと脳裏に浮かぶ。  混ざり合った欲望を拭きとる動作さえ恥ずかしくて、うまく力が入らない。 「……由樹」 「な、に……」  そっと視線を上げると、崎田が少し困った顔で、しかし優しさを隠しきれない目つきでこちらを見ていた。 「そんな顔すんなよ。悪いことしてないんだから」 「……してるだろ」 「してないって。俺も……その……すごく、よかったから」 「そ、んな……っ」  顔から湯気が出そうで、もう隠せなかった。  萩山は思わずシートに背中を押しつけ、恥ずかしさから逃げるように視線を外す。  すると、その肩にふわりと上着がかけられた。 「汗かいただろ。あったかくしとけよ」  その声だけで、さっきとは別の意味で胸が痛くなる。優しさと余韻と、恋の熱がじわりと混ざって広がる。  上着の重みがじんわりと肩に馴染む。  萩山は唇を噛みしめ、そっとその布地を指先で握った。 「遼……やめろよ、そういう優しいの……余計、恥ずかしい……」  小さく呟くと、崎田が嬉しそうに笑った。 「いいじゃん。由樹、可愛いし」 「っ……!」  心臓がまたとくんと跳ねた。行為以上に危険な言葉に、胸が強く揺れる。  雨音が、まるで祝福するように静かに響いていた。

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