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第57話
家を出る直前に、スマホが震えてメッセージが届いたことを示す。車に乗り込んでから確認すると、崎田からだった。
『おはよう。仕事頑張ってな』
たったそれだけなのに、胸の奥に温かいものが広がって満たされていくのを感じる。
『ありがとう。遼も頑張って』
そういえば彼の仕事を聞いてなかったな、という疑問が頭の片隅によぎったが、幸せな気持ちと朝の慌ただしさですぐに消えていってしまった。
萩山が出勤すると、隣のデスクの同僚に「何かいいことでもあったのか」と聞かれる。
「ん、ちょっとね」
はにかみながら萩山が答えると、今度飲みの席で絶対聞くからな、と言われて苦笑しながらパソコンを立ち上げる。
午前の空気は冷たく、役場の中の暖房がゆっくりと身体を温めていく。
萩山はパソコンが立ち上がるのを待ちながら、指先でスマホを無意識に撫でていた。
画面の明かりはもう消えているのに、メッセージの余韻がまだ胸の奥で微かに波打っている。
――遼、今何してるんだろ。
そう思いながらも、仕事中に連絡するほど子どもではない。
むしろ、恋人になったばかりなのに落ち着かない自分のほうに呆れそうだった。
書類に目を通していると、町の防犯担当の職員が必要な資料を渡しながら言った。
「そういえばさ、昨日の夜、隣町の方で警察と何か合同の巡回があったらしいぞ。知ってた?」
「え?ああ、いや……」
急に話題を振られ戸惑ったものの、特に理由も思い当たらず曖昧に返す。
係の人は気にせず続けた。
「最近こんな田舎でもちょっと治安悪いらしいしな。お前らも帰り道気を付けろよ」
「あ、はい……」
言われながら、萩山はなぜか遼の横顔が浮かんだ。
昨日、だいぶ遅くまで買い物していたと言っていた。
あの優しい声が夜のざわつきに紛れてしまわないように、とふと胸がざわつく。
そのまま何事もなく午前が過ぎ、昼休みになる。食堂へ向かう途中、またスマホが震えた。
画面には遼の名前があった。
『昼、ちゃんと食べてるか?』
その一文だけで、空気が変わったように胸の奥がじんわりと温かくなる。
『今から。遼は?』
送信してポケットにしまおうとした瞬間、すぐに返ってくる。
『外。ちょっと移動中』
(移動?仕事で?)
一瞬だけ疑問がよぎる。
昨日から、どこか引っかかる。
彼は自分のことをよく気遣ってくれるのに、仕事の話だけ妙に避けているように思えた。
でも、すぐに思考は甘い方向へ戻ってしまう。
(移動中でも、俺に連絡くれてるんだ)
それが、それだけで嬉しかった。
席に着き、トレイのカレーを見つめながら微笑みが漏れると、向かいの同僚がスプーンを持ったまま呆れ気味に言った。
「……おい萩山、お前、絶対恋してるだろ?」
「なっ……!」
「わかりやす。なんだよその顔。にやけてんぞ? ほらほら、白状しろ〜」
「し、してないって!」
慌てて否定するものの、頬が熱くなっていくのが自分でも分かる。
スマホがまた震えた。
『午後も頑張れよ。終わったらまた連絡する』
文字を見るだけで胸がきゅっと締まる。
「……っ」
頬が熱くなった萩山はスマホを伏せた。そのまま熱を冷ますように深く呼吸をする。
恋なんて、慣れていない。
Ωとしての熱とはまったく違う、静かで優しい火が胸の奥で燃え続けていた。
――遼の仕事、今度ちゃんと聞かなきゃな。
小さな疑問がひとつだけ胸の端に残ったまま、午後の仕事へと向かうのだった。
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