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第60話
その日も、夢を見た。「番ごっこ」の夢だ。
夢の中の自分と崎田は、彼が引っ越す直前の姿をしており噛む力も実際番う時に比べたら随分弱いものだった。
しかし、噛まれた瞬間に軽い電流のようなものが走り、思わず崎田を突き飛ばす。
走って逃げ帰り、ひどい動悸とともに意識を失ったところで目が覚めた。
その時の萩山も、夢の中と同じように心臓をばくばくさせていてひどい汗をかいていた。
小学校三年生なんて、Ωかどうかわかる年齢じゃないはずなのに。噛まれたってどうともならないはずなのに。
大きなため息をついた萩山のスマートフォンがぶるりと震え、愛しい名前が表示される。
『おはよう。今日も仕事頑張れよ』
返信を打ち込もうと画面を開き、表示されたキーボードの上で指を浮かせてしばらく考え込む。
「番ごっこ」のことを聞くべきか、聞かざるべきか。
散々迷った結果、週末に会えないかと連絡をするだけに留めたのだった。
出勤してデスクに腰掛けると、隣の席の同僚が驚いた顔で話しかけてくる。
「おい、ひどい顔色だぞ。大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
「お前がそう言うならいいけどよ。せめて残業せずに帰れよな」
「ありがとう」
そんなに酷い顔をしているのだろうか、と頬に手を当てるとその手が驚くほど冷えていた。きっと夢見が悪かったせいだろうと思い直して仕事を始めたが、なかなか捗らない。
おかしいな、と思った時には視界が回り、バランスを崩して冷たい床に身体を打ちつけてからようやく状況を飲み込んだ。
「おい!萩山!?」
「由樹……!」
同僚の声とともになぜだか崎田の声がしたと思った時には、意識は暗い水底に沈み込んでいた。
目を覚ますと、酷い頭痛とともに妙な身体のほてりを感じる。身体を起こそうとしても、上手く力が入らない。
首に違和感を覚え手を当てると、またレザーのつるつるともざらざらとも言い難い感覚がした。
「りょう……?」
辺りを見回しても、崎田はいない。でも、確実に彼の家だと確信できるほど、香りが濃かった。
こんなに短期間に何度も強いヒートが来るなんて、やっぱりきちんと大きな病院にかかったほうがいいだろうか。
ひとまず薬を飲もうとポケットをまさぐり、二つセットになっているPTPシートを取り出す。
飲み物がないかと首だけ動かすと、ペットボトルに入った水が視界に映る。
それを取るために手を伸ばしたタイミングで、崎田が部屋に入ってきた。
「由樹……目を覚まして、よかった……」
「遼、ごめん。でもどうして……」
「手続き関係でたまたま来てて……」
「そっ、か……」
恥ずかしいやら申し訳ないやらで視線をあちこち動かしていると、手をそっと握られる。
「身体、辛いだろ」
「ん……でも、ちょっと眠いかも……」
「ゆっくり休みな。あ、薬飲むか」
崎田の助けを借りて上体を起こした萩山は、自力でPTPシートから薬を二錠取り出す。
いつの間にか開けられていたペットボトルの水とともにそれを流し込むと、ぼふんと枕に頭を押し付ける。
少し発情に近い熱感もあったが、それを上回る疲労と眠気が押し寄せてきた萩山は、そっと目を閉じた。
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