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ご飯
片桐君に、一緒に住もうと誘われてから、ひと月ほど経った頃。俺は一人暮らししていたマンションを出て、片桐君のマンションまで引っ越していた。
荷物の整理はここ数日である程度できたし、片桐君まだ帰ってきてないみたいだし、料理でも作ろうかな。
俺は腕まくりをしながらキッチンへ立ち、よし!と一度意気込む。
あ…いや、まてよ。
そもそも片桐君、食材とか冷蔵庫に置いているんだろうか。
思えば、片桐君の料理してる姿ってあんまり想像つかないな。
黒い冷蔵庫をぱかっと開けると、扉側に2Lのお茶と水のペットボトルだけが並んでいた。
こんなに大きいハイテクな冷蔵庫に、このふたつだけ……。
何となく、分かってはいたけれど。
片桐君…普段何食べてるんだ?まさかカップ麺とか?
とにかく、買い出しに行くしかないみたいだ。
――
火の調整をして、作ったスープに鍋の蓋を取り付けたとき。
玄関から帰ってくる音が聞こえた。
出迎えようと動く前に、リビングに仕事帰りの片桐君が足早に現れる。
「あっ、片桐君おかえり」
キッチンから声をかけると、片桐君が一瞬驚いた顔をして俺の方へと振り向く。
「…何やってるんですか?」
――え。
「なにって、料理だよ」
ジャケットを椅子の背もたれに掛けて、白シャツにネクタイ姿をした片桐君が、こちらに近付いてくる。
……ていうか、もしかして、勝手にキッチン触っちゃダメだったのかな。
「……ごめん!勝手なことして」
「え?」
「片桐君、そういえば今日飲みに行ってたんだよね」
そんなLINEが来てたの、今思い出した。
うわあ、めちゃくちゃたくさんスープ作っちゃった!他にも色々買ってきちゃったし…。
「すごいですね」
軽く落ち込んでいると、そばに立つ片桐君が言う。
「え?」
「星七さん、料理もできるんですか」
も…?
「ううん、全然!簡単なものしか」
慌てて両手を横に振る。
片桐君は視線を伏せながら、薄ら顔に笑みを浮かばせていた。
白シャツ姿の片桐君が、俺の前に向かい合うようにして、大きなキッチンテーブルの席に背筋を伸ばして腰を下ろす。
片桐君が、静かに両手を合わせた。
「いただきます」
続けて礼儀正しくそう言うと、箸を手に取る。
片桐君と家の中で一緒に食事をしてるなんて、なんだか変な気分。
しかも、今から片桐君が食べるものって、俺が作ったご飯だし……。
味、口に合うといいけど。
そっと目線を向けると、片桐君が湯気の立つお椀を片手に、口元を緩ませている。
「……美味しい」
――どき
「ほんとう?」
「ええ」
「よかった〜」
母親に教えられた、誰でも簡単に作れるコンソメスープだけど……とにかくよかったっ!美味しくて!
「この魚は?」
片桐君が、目の前に置かれたタラのムニエルを指し示す。
「ああ、これ?これは買ってきた魚に醤油とかバター入れて焼いただけ」
「へえ」
「あ、味濃かったらごめん」
というか、魚に合うのはスープじゃなくて、どう考えても味噌汁だったよな…。そこまで気が回らなかった。
「美味しいです」
反省していると、正面で、片桐君が微かに笑みを浮かべて口を開く。
「ほんとに?濃くない?」
尋ねながら、俺もぱくり、口にする。
……うん、美味しい。だけど、ちょっと醤油が濃いかも。おかしいな、ちゃんとレシピ通りにやったはずなんだけど…。
「あ…ごめん、ちょっと味濃かったかも。はは」
頭の後ろに手をやりながら眉を下げて笑うと、いいえ、と言いながら片桐君が首を軽く横に振る。
「すごく美味しいです」
「…え」
「今まで食べた中で、一番」
片桐君はそう言うと、口元を綻ばせたまま、そっと視線を下に落としている。
…もしかして、片桐君。
こういう家庭料理食べるの、すごく久しぶりだったのかな。あの大きな家にいた時、どういうの食べてたのか知らないけど…。
――『でも、俺が守る前に、母親は病気で若くして亡くなって。憎かった父親も、母の後を追うように、すぐ死んでいきました』
ふと、昔の彼の言葉が脳裏を過ぎる。
俺は持っていた箸をぐっと握り締めた。
「片桐君、俺、できる限り料理するよ」
「え?」
「毎日はちょっと……むりかもしれないけど。でも、できるだけ毎日する!」
栄養面のこともあるし!
そう言ってニコ、と笑顔を向ける。
片桐君は一瞬の間のあと、穏やかに微笑んだ。
「嬉しいです」
その一言に、ドキリ、また胸が鳴った。
「でも、無理しないでください。星七さんにだって仕事ありますし」
「あはは、いやいやそんな。片桐君に比べたら全然だよ」
「それか、仕事辞めて料理だけしてくれてもいいんですよ」
……へっ。
「嫌な上司とか、いないんですか?」
片桐君はすました顔で、ほぐしたタラのムニエルを箸で上品に掴んで口にしている。
「嫌な上司?うーん」
俺は頭を捻らせて考える。
「基本的には、皆いい人たちばかりだよ?」
答えると、片桐君は「それなら良いんですけど」と言って、ご飯を口に運んだ。
「片桐君の仕事って、どんな感じなの?」
何となく気になって訊くと、片桐君は一度食べる動きを止める。
「そうですね。大体は、会議か打ち合わせですかね。午前中は幹部と数字の確認、午後は取引先と顔合わせ。夜は会食」
「へ、へえ〜」
片桐君、俺より歳下なのにすごいなぁ~…。
こんなふうに普通に一緒にご飯食べてるけど、片桐君って多分、相当優秀なんだろうなぁ……。
「玲司さんとは、話したりしてるの?」
迷いながらも、ほんの少し緊張しながら尋ねてみると、片桐君はしばし黙った。
「まあ、……必要があれば話します」
「そ、そっか」
「何で兄の話を?」
向かい側から向けられる片桐君の視線にどきりとする。
「あ…ごめん」
俺は持っていた箸を手から離して置くと、膝の上に握った両手を置く。
その後、俺は意を決して片桐君の方へと顔を上げる。
「玲司さんは、少しだけ過去の俺に似てるから」
片桐君が俺を見て、僅かに目を開ける。
「だから、どうしても、気になっちゃって……」
「……」
「あ、もちろん!変な意味で気になってるわけじゃないよ!
俺の勝手な押し付けだって分かってるけど、2人が仲良くなったらいいなって、どうしても」
落としていた視線を恐る恐る上にあげると、片桐君は同じように目線を落としていた。
「星七さんのお願いなら、断る訳にはいきませんね」
え……。
「あっ違うよ!俺、強要してるわけじゃなくて!!」
「わかってます」
片桐君はそっと俺に視線を投げると、優しく微笑む。
「俺のこと、考えて話してくれてるんですよね」
片桐君の至極落ち着いた表情とその台詞に、俺はかああっと顔に熱がのぼる。
「精進しますよ」
「う、うん」
「ただ、時間をください。……許せるようになるまでの、時間を」
俺は、片桐君の切ない笑みを見つめながら、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
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