7 / 35

ご飯

片桐君に、一緒に住もうと誘われてから、ひと月ほど経った頃。俺は一人暮らししていたマンションを出て、片桐君のマンションまで引っ越していた。 荷物の整理はここ数日である程度できたし、片桐君まだ帰ってきてないみたいだし、料理でも作ろうかな。 俺は腕まくりをしながらキッチンへ立ち、よし!と一度意気込む。 あ…いや、まてよ。 そもそも片桐君、食材とか冷蔵庫に置いているんだろうか。 思えば、片桐君の料理してる姿ってあんまり想像つかないな。 黒い冷蔵庫をぱかっと開けると、扉側に2Lのお茶と水のペットボトルだけが並んでいた。 こんなに大きいハイテクな冷蔵庫に、このふたつだけ……。 何となく、分かってはいたけれど。 片桐君…普段何食べてるんだ?まさかカップ麺とか? とにかく、買い出しに行くしかないみたいだ。 ―― 火の調整をして、作ったスープに鍋の蓋を取り付けたとき。 玄関から帰ってくる音が聞こえた。 出迎えようと動く前に、リビングに仕事帰りの片桐君が足早に現れる。 「あっ、片桐君おかえり」 キッチンから声をかけると、片桐君が一瞬驚いた顔をして俺の方へと振り向く。 「…何やってるんですか?」 ――え。 「なにって、料理だよ」 ジャケットを椅子の背もたれに掛けて、白シャツにネクタイ姿をした片桐君が、こちらに近付いてくる。 ……ていうか、もしかして、勝手にキッチン触っちゃダメだったのかな。 「……ごめん!勝手なことして」 「え?」 「片桐君、そういえば今日飲みに行ってたんだよね」 そんなLINEが来てたの、今思い出した。 うわあ、めちゃくちゃたくさんスープ作っちゃった!他にも色々買ってきちゃったし…。 「すごいですね」 軽く落ち込んでいると、そばに立つ片桐君が言う。 「え?」 「星七さん、料理もできるんですか」 も…? 「ううん、全然!簡単なものしか」 慌てて両手を横に振る。 片桐君は視線を伏せながら、薄ら顔に笑みを浮かばせていた。 白シャツ姿の片桐君が、俺の前に向かい合うようにして、大きなキッチンテーブルの席に背筋を伸ばして腰を下ろす。 片桐君が、静かに両手を合わせた。 「いただきます」 続けて礼儀正しくそう言うと、箸を手に取る。 片桐君と家の中で一緒に食事をしてるなんて、なんだか変な気分。 しかも、今から片桐君が食べるものって、俺が作ったご飯だし……。 味、口に合うといいけど。 そっと目線を向けると、片桐君が湯気の立つお椀を片手に、口元を緩ませている。 「……美味しい」 ――どき 「ほんとう?」 「ええ」 「よかった〜」 母親に教えられた、誰でも簡単に作れるコンソメスープだけど……とにかくよかったっ!美味しくて! 「この魚は?」 片桐君が、目の前に置かれたタラのムニエルを指し示す。 「ああ、これ?これは買ってきた魚に醤油とかバター入れて焼いただけ」 「へえ」 「あ、味濃かったらごめん」 というか、魚に合うのはスープじゃなくて、どう考えても味噌汁だったよな…。そこまで気が回らなかった。 「美味しいです」 反省していると、正面で、片桐君が微かに笑みを浮かべて口を開く。 「ほんとに?濃くない?」 尋ねながら、俺もぱくり、口にする。 ……うん、美味しい。だけど、ちょっと醤油が濃いかも。おかしいな、ちゃんとレシピ通りにやったはずなんだけど…。 「あ…ごめん、ちょっと味濃かったかも。はは」 頭の後ろに手をやりながら眉を下げて笑うと、いいえ、と言いながら片桐君が首を軽く横に振る。 「すごく美味しいです」 「…え」 「今まで食べた中で、一番」 片桐君はそう言うと、口元を綻ばせたまま、そっと視線を下に落としている。 …もしかして、片桐君。 こういう家庭料理食べるの、すごく久しぶりだったのかな。あの大きな家にいた時、どういうの食べてたのか知らないけど…。 ――『でも、俺が守る前に、母親は病気で若くして亡くなって。憎かった父親も、母の後を追うように、すぐ死んでいきました』 ふと、昔の彼の言葉が脳裏を過ぎる。 俺は持っていた箸をぐっと握り締めた。 「片桐君、俺、できる限り料理するよ」 「え?」 「毎日はちょっと……むりかもしれないけど。でも、できるだけ毎日する!」 栄養面のこともあるし! そう言ってニコ、と笑顔を向ける。 片桐君は一瞬の間のあと、穏やかに微笑んだ。 「嬉しいです」 その一言に、ドキリ、また胸が鳴った。 「でも、無理しないでください。星七さんにだって仕事ありますし」 「あはは、いやいやそんな。片桐君に比べたら全然だよ」 「それか、仕事辞めて料理だけしてくれてもいいんですよ」 ……へっ。 「嫌な上司とか、いないんですか?」 片桐君はすました顔で、ほぐしたタラのムニエルを箸で上品に掴んで口にしている。 「嫌な上司?うーん」 俺は頭を捻らせて考える。 「基本的には、皆いい人たちばかりだよ?」 答えると、片桐君は「それなら良いんですけど」と言って、ご飯を口に運んだ。 「片桐君の仕事って、どんな感じなの?」 何となく気になって訊くと、片桐君は一度食べる動きを止める。 「そうですね。大体は、会議か打ち合わせですかね。午前中は幹部と数字の確認、午後は取引先と顔合わせ。夜は会食」 「へ、へえ〜」 片桐君、俺より歳下なのにすごいなぁ~…。 こんなふうに普通に一緒にご飯食べてるけど、片桐君って多分、相当優秀なんだろうなぁ……。 「玲司さんとは、話したりしてるの?」 迷いながらも、ほんの少し緊張しながら尋ねてみると、片桐君はしばし黙った。 「まあ、……必要があれば話します」 「そ、そっか」 「何で兄の話を?」 向かい側から向けられる片桐君の視線にどきりとする。 「あ…ごめん」 俺は持っていた箸を手から離して置くと、膝の上に握った両手を置く。 その後、俺は意を決して片桐君の方へと顔を上げる。 「玲司さんは、少しだけ過去の俺に似てるから」 片桐君が俺を見て、僅かに目を開ける。 「だから、どうしても、気になっちゃって……」 「……」 「あ、もちろん!変な意味で気になってるわけじゃないよ! 俺の勝手な押し付けだって分かってるけど、2人が仲良くなったらいいなって、どうしても」 落としていた視線を恐る恐る上にあげると、片桐君は同じように目線を落としていた。 「星七さんのお願いなら、断る訳にはいきませんね」 え……。 「あっ違うよ!俺、強要してるわけじゃなくて!!」 「わかってます」 片桐君はそっと俺に視線を投げると、優しく微笑む。 「俺のこと、考えて話してくれてるんですよね」 片桐君の至極落ち着いた表情とその台詞に、俺はかああっと顔に熱がのぼる。 「精進しますよ」 「う、うん」 「ただ、時間をください。……許せるようになるまでの、時間を」 俺は、片桐君の切ない笑みを見つめながら、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。

ともだちにシェアしよう!