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茶髪の男

「映画楽しかったね」 「そうですね」 休日。片桐君と二人、久しぶりに大型ショッピングモールに出かけていた。 「カフェか何か寄ります?」 カーキ寄りのブラウンカラーの半袖シャツ。 ラフな私服姿をした黒髪の片桐君が、俺の方へ振り返って尋ねる。 「あっ!あのさ、実は行きたいカフェがあるんだ。そこでも良いかな」 思い出すようにして言うと、片桐君はセンター分けした前髪から覗く鋭い目を俺に向け、ええ。と一言頷く。 「何処にあるんです?」 俺の手を取りながら片桐君が聞いてくる。 「確か…この店を出て、少し歩いて、右を曲がったところ?かな」 お店の裏手にある自動ドアを抜けると、昼下がりの街に夏の太陽が容赦なく照りつけてきた。 街には多くの人たちが行き交っており、賑やかな声や足音が通りに溢れていた。 「ああ…そうだ。星七さん」 「ん?」 人通りの多い大通りを歩いていると、隣を歩く片桐君に話しかけられる。 「こんなふうに一緒に街を歩くのも好きですけど。たまには、遠出しませんか?」 遠出? 「俺、車出しますよ」 「片桐君車持ってるの?」 「はい」 そうだったんだ、知らなかった。 「片桐君ってバイクも車も乗れるんだ」 すごいね。と驚くようにして言うと、片桐君は俺から横に目を逸らす。 「別に、そんなに大したことじゃないですよ」 「大したことあるよ!俺、車の免許自体は取ったけど、それっきりだし」 「いいですよ。星七さんは隣に座ってるだけで」 「ううん。申し訳ないよ」 「じゃあ、俺のお願い全部聞くって条件なら?」 片桐君のお願い? 分からず、首を傾げると、片桐君が俺の耳傍まで顔を近付けて囁く。 「……エッチなこと」 ――…!? 片桐君の顔が離れていく中、俺は左耳に手を当て顔に熱を浮上させる。 驚く俺を前に、片桐君は意地悪げで妖艶な笑みを浮かべて見てくる。 彼といると、心臓がいくつあっても足りない気がしてきた。 同棲もやり始めてるっていうのに、こんな調子じゃ先が思いやられる。ここは俺も対抗して、彼に何かドキッとさせるようなことをひとつ…… 「そ…そういう」 「?」 「え、えっちな片桐君も、すごく好きだな…!」 かあっと赤面しながら何とかそう口にすると、ちらっと彼の様子を窺う。 すると、 「…え…」 口元に右手を添え、心做しか戸惑っているような、狼狽えているような片桐君の姿を目にする。 あれ……絶対涼しい顔して、余裕そうな笑顔でも向けられるものかと思っていたのに。 「……えっと、ホテル行きます?」 「えっ!?」 な、何でそうなる!? 「え…今、誘ってきたんじゃないんですか?」 ――えぇっ!? 「違う違うっ!そういうわけじゃない!」 いつの間にやら、行き交う人のど真ん中で片桐君と立ち止まったまま会話を繰り広げていることに気づく。 片桐君の容姿もあってか、なんかやたらと視線を感じる気がする。 「と、とにかく歩こう、片桐君」 慌てて言って、片桐君の手を取って歩き出そうとした、そのとき。 ―ぶっ 足を1歩踏み込んだ先にいた、誰かの体に強く鼻をぶつけた。 いったたた……っ 俺、よく人とぶつかるな……。ちゃんと前見て歩けてないことが、あまりに多過ぎるような。 鼻を擦りながら、そっと顔を上げる。 視線の先に、少し長めの茶髪ヘアをした若い男が、顔を顰めて立っているのが分かった。 シルバーのネックレスに、英字のロゴが小さく入った白いTシャツ、だぼっとしたお洒落な黒いズボン。 そして両耳には――キラリと光るピアスが付いている。 気のせいかな。 なんかこの人、まるで昔の片桐君とそっくり…。 「何の用だ」 彼を見つめたまま呆けていると、視界を片桐君の大きな背中で覆われた。 ……片桐君の知り合い? 片桐君の後ろからちら、と茶髪頭の彼を覗く。 彼は、ふっと一度口端を上げて笑った。 「何だよお前、劇的な恋をしたとか何とか言ってたから、どんな美人捕まえたのかと思って見に来たら…まさか男かよ」 「……」 「おいおい、否定しないのかよ。ハハ、こりゃ驚いたぜ。ヤンキーたちの憧れだった、いつも羨望の眼差しを向けられてたお前が、まさか男にハマるとは」 彼は笑いながら話すと、表情を真顔に変えた。 「笑わせんなよ」 先程とは打って変わって、人が変わったように彼の目元がスっと細まるのが分かり、俺は慌てて2人の仲裁に入ろうとする。 「ちょっとま――」 「部外者は引っ込んでろ」 咄嗟に片桐君の前に出た瞬間、茶髪の彼に強く睨みつけられながら言葉を吐かれた。 「部外者はてめぇなんだよ」 ーと、すぐに片桐君に腕を引っ張られて、体を引き寄せられる。 周囲から向けられる視線が痛い。 「この間から何なんだよ、一々俺に絡んでくるな。昔といい今といい、鬱陶しいんだよお前」 片桐君が何やら喋っている中、俺は腰に回された彼の左腕を力づくで引き離そうとするが、両手を使ってもビクともしない。 俺が非力すぎるのか、彼が力があり過ぎるのか。 「ヤンキー上がって髪も黒に染めて?その男とハッピーエンドってわけか」 「だったら何だよ」 「俺は認めない」 「お前に指図される筋合いは一切ない」 「――片桐…… お前は、幸せになれない」 茶髪頭の男の台詞に、片桐君が黙る。 俺は腰を引き寄せられたまま、片桐君の顔を見上げる。 ていうか、さっきから何なんだ…この人。 認めないとか、幸せになれないとか。嫌なことばっかり言ってくるな。 昔の片桐君に似てると思ったけど、中身は全然片桐君じゃない。 「あの」 ようやく片桐君の手から逃れると、俺は再び彼の前に立つ。 「人に向かって幸せになれないとか文句言うのって、おかしくないですか」 「誰なんだお前は」 「相手に聞く前に自分から言うべきかと」 言い返すと、彼がじっと凄んできたが、俺も負けじと睨み返した。 間もなくして、彼の口が動いたのを目にしたとき。片桐君にまた腕を掴まれて、引っ張られた。 茶髪の彼がいる方向とは反対側へ、早歩きで街中を進んでいく片桐君。 後ろを振り向くと、彼は追いかける様子もなく、ひとり佇み、去っていく俺たちを見つめていた。

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