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過去の面影

「……俺、大学を出て就いた会社を、半月もしないうちに辞めたんだ」 片桐君が立ち去ってから、ベンチに腰かける茶髪の彼が、顔を俯かせながら話した。 「俺の父親は元S大出身のエリートで、頭のキレる秀才で。それもあってか、俺は母親に、小さい頃から英才教育を受けてた。 塾に通いながら好きだったスポーツもして、それなりに彼女もできて…。昔は全部、それで人生が上手く回ってた」 だけど、県外の国立大を卒業して会社に入ってから、なんか一気にダメになって。と、彼が続ける。 「俺は自分の能力を、過信してたんだろうな。 仕事で上手く成果が出せないことが多くて、周りの奴らより、俺のが遥かに劣ってることがボロボロ分かってきて… 俺はそれが恥ずかしくて、逃げるように辞めた」 そこからはもう、何もかもどうでも良くなって。 ベンチの背もたれに両腕を置いて、彼は顔を上にあげた。 「みーんないなくなった。彼女も、友人も、次々と。……いや、俺から遠ざけたんだ」 「…」 「俺は責めた、母親を。俺の人生を狂わしたのはあんただって、とんだ八つ当たりをした」 彼はそう言って、どこか自嘲気味に口元を緩めた。 「どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、よく分からなくなって。それであるとき、夜の街を歩いてたら、たまたまアイツと会って」 彼は椅子から手を離し、体を前かがみにして、昔を思い出すようにして話す。 「あいつは、騒ぐ男たちの中で1人だけ、ひとつも笑ってなくて。 煙草ふかして夜の空を見上げてるあいつの姿見て、思ったんだ。……ああ、コイツ俺と同じだって」 俺は過去の片桐君を頭に想像して、瞳を揺らす。 多分、まだ俺と知り合う前の、ヤンキーだった頃の片桐君だ……。 「俺はそれから、あいつに付き纏った。俺は自分と似てるやつを見つけて、嬉しかったのかもしれない」 言葉とは裏腹に、彼は哀しそうな表情で笑っている。 「安心したんだよ、同類がいると思うと。 だけど、久しぶりに会ったあいつは、髪が黒色に変わってて、昔とは雰囲気も全然違ってて。だから俺は焦った。また、ひとりになる……て」 彼の顔に、真上にある木の葉の影が優しく揺れている。 彼は、片桐君とは見た目だけしか似ていないと思っていたが、中身も少しだけ似ているのかもしれない…。と、寂しげな彼の背中を見つめ、俺は思った。 「まあ…とは言っても、あいつは俺のことなんて最初から眼中に無かったし、俺はあいつみたいに、飛び抜けて喧嘩が強いわけでもなかったんだけど」 穏やかな表情で話す彼をじっと見つめていると、視線に気付いた彼が、こちらに振り向く。 「……なんだよ」 「あ…ごめん」 謝ると、眉を軽く寄せながら、ふい、と茶髪の彼が顔を背ける。 「結局、あんたのどこに惹かれたのか、よく分からない」 (まだそんなこと言ってるのか…。) 俺は彼の発言に、内心はあとため息をつく。 「それは、俺にもよく分かりませんけど…」 俺は言いながら、茶髪の彼に目を向ける。 「だけど、片桐君は多分…あなたに、自分と同じようになって欲しくないと思ってたんじゃないかな」 「…」 「眼中になかったら…あんなこと、彼、言わないと思うよ」 すると、しばし黙っていた彼が、ベンチからすっと立ち上がる。 「まるであいつを完全に理解してるような言い草だな」 彼は依然として、俺から顔を背けながら話している。 「…そんなつもりはないけど」 相変わらずつんけんとした態度の彼にそう告げると、彼が「でも」と言って振り返り、ようやく俺を目に映した。 「何となく、何でアイツがあんたを大事にしてるのか、分かった」 ……え。 茶髪の彼はベンチに座る俺を立ったまま静かに見つめ、ふ、と軽く口角を上げた。 「もう1回いちからやり直してみるよ、色々」 空を見上げる、心做しか前向きな彼の顔色を察して、俺も同じように口元を綻ばせる。 「うん。きっと、上手くいくよ」 笑って答えると、彼が再び俺に目を移し、少し照れたような表情で笑った。 ―― 片桐君が車を走らせ、海に着いた頃には夕方になっていた。 夏のピークは過ぎたとはいえ、海にはまだ波待ちのサーファーの姿があった。 「星七さん、寒くない?」 吹きつける冷たい潮風に、隣を歩く片桐君が振り返って尋ねる。 「ううん、片桐君は?」 尋ね返すと、俺は平気です。と言って、片桐君は海の向こうを眺めていた。 「あいつと、何話してたんですか」 ふたりでテキトーな位置で砂浜に腰を下ろすと、隣に座る彼が言った。 「えっ、えぇっと」 「…」 「彼の昔話とか、昔の片桐君のこととかもちらっと…」 片桐君は黙って俺の話を聞き、長いまつ毛を伏せる。 “お前が思ってるほど…ヤンキーなんてそんなにいいものじゃない” 頭に、片桐君が彼に向け言っていた言葉を思い出す。 「あいつは、昔から何かと俺に絡んできて。何で俺に拘るのか、よく分からなくて」 正直、鬱陶しかったです。と話す片桐君に、俺はあははと苦笑いする。 「片桐君存在感あるし、どうしても惹き付けちゃうんだろうね」 笑って話すと、片桐君は一度俺を見て、顔を逸らした。 「…俺は、周りが思うような、そんなすごいやつじゃない」 片桐君はそう言うと、膝を立てて座ったまま、海に視線を移す。 「俺からすれば、彼らの方が羨ましかった。喧嘩が弱いってことは、それだけ恵まれてるってことだから」 「片桐君…」 片桐君は軽く微笑を浮かべ、隣に座る俺を見た。 彼はきっと、多くの人から見たら、強くてカッコよくて、思わず慕いたくなるような、憧れのような存在なのだろう。 でも俺は知っている。 決して完璧じゃない、彼の姿を。 憧れである前に、彼は片桐壮太郎というひとりの人間であることを……俺は知っている。 「今度は、昼間に海に来たいね」 「そうですね。結局、星七さんの服を買う暇もありませんでしたし」 心地よい彼の声を聞きながら、他愛のない会話をする。 柔らかな笑顔を浮かべる片桐君の横顔を見つめながら、俺はまた、彼に対する想いを募らせた。

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