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別荘⑸
別荘からそっと外に出た俺は、行くあてもなく、しばらく夜の山道を下って歩いた。
自分が彼に、無理を言っていることは分かっていた。
それなのに、何故あんなふうに言ってしまったんだろう。
『兄はどうしても、俺を殺したいみたいです。…巻き込んじゃいましたね』
それは、多分……。
「アハハハッ」
突然、笑い声が聞こえて思考を止める。
ん…?と思いながら目線を上にあげると、別荘のテラスでバーベキューをしている人たちの楽しげな姿が見えた。
いいなぁ…楽しそう。
美味しそうな匂いを察知してか、ぐ〜っと自分のお腹から音が鳴る。
そういえば、結局焼きそばも食べてないし、まだ夜ご飯食べてないや…。
頭を冷やそうと思って外に出たつもりだったけど、もう戻ろうかな。
はぁ、と息をつきながら尚も足を進めていると、
「何してるの〜?」
広めの山道を歩く俺の右側から、声がした。
顔を上げると、数人の若い男たちが固まってたむろしている……ように見える。
待って、ここって一応、別荘がある場所だよね。
なのに、何でちょっとガラ悪めの男集団がたむろしてるんだ…!?
「あ、ちょっと無視しないでよ」
「バカ、絡むなって。相手男だぞ」
……そうだ、俺は男だ。
ひとまず、何も言わずに彼らの前をそそくさと素通りしようとする。
しかし、
「―ひっ」
唐突にパシっと掴まれた腕に、小さな声が飛び出る。
「待ってよ」
いつの間にか、俺の傍らにわらわらと集まって立つ男たち。
「顔可愛い」
……!?
彼らから、何やらほのかにお酒の匂いが漂う。
酔っ払いか……。
俺は顔を片手で覆いながら外に出たことを後悔する。
「ねえ、歳いくつ?」
「髪さらさらだね。なんかいい匂いもする」
悪ノリしているのかそうでないのか、肩に腕を回されて、違う男に髪まで触られる。
それらにぞわり、硬直したまま悪寒を走らせる。
ヤバい、どうしよう。隙を見て逃げ出すつもりだったけど、足が動かない……!
固まっていると、クイッと顎を手で掴んで上に上げさせられ、
「そんなに怖がんないで、優しくするよ?」
ひええ……っっ!
にやりとした顔つきで笑う見知らぬ男に、冗談抜きで全身に鳥肌が立った。
思わず背中に冷や汗を流していた――そのとき。
「今すぐその手離さないと、殺されちゃうよ」
見知った声が後ろから届く。
振り向く直前、肩に手を回していた男が、突然微かなうめき声と共にアスファルトに倒れる。
えっと思う暇もなく、続けざまそばにいた男たちが、一瞬の鈍い音がすると同時に次々と倒れていった。
呆気にとられる俺を前に、見覚えのあるライダースジャケットを着た彼が、軽く手をパンパンと振り払っている。
「見つけたのが俺で、良かったね」
彼らに向け言っているのか、それとも俺に向け言っているのか、相変わらず謎めいた雰囲気を醸し出す黒崎さんが、俺の方へくるりと振り返って笑った。
***
「君がこんなところでひとりでいるってことは、片桐さんと何かあったね」
夜の山道の隅。
街灯の明かりの下で、俺は目の前に立つ彼に図星を指摘され、胸をドキリとさせる。
「でも、何かあったとしても、夜の山の1人歩きは感心しないよ」
スラリとした長い足をした黒崎さんは、俺を見つめ腕を組んでいる。
「いくら別荘を持ってるからって、皆がみんないい人とは限らないしね。それに、今日は夏祭りって言うイベントもあるから、ここに住んでいない人たちも集まって来てるんだ」
さっきの彼らみたいに、羽目を外している人も少なくない。
淡々と話す黒崎さんに、俺はしゅんと肩を落とす。
「……すみません」
ぺこり、すぐに頭を下げて謝る。
顔を上げると、ふ、と薄く微笑む黒崎さん。
「良かったら、何があったか話してくれない?」
俺は、さっきあった彼との出来事を、黒崎さんに正直にぽつぽつと打ち明けた。
――
「なるほどね…」
話を聞き終えた黒崎さんは、顎に片手を添えている。
「……俺、自分の言動が軽率だったって、反省しているんです」
「反省?」
「はい。彼だって、…いえ。彼が一番、悩んでいることだと思うのに」
なのに、……あんな偉そうなことを、彼に言ってしまった。
視線を下のアスファルトに落としていると、黒崎さんがふと、腰を屈める。
「良いもの見せてあげるよ」
黒崎さんが屈んだまま、俺に笑いかける。
俺はよく分からないまま、彼と同じように腰を屈めて座った。
彼の片手には、コインらしきものが乗せられていた。
コインを軽く弾いて宙へ跳ばし、落ちてくる寸前、黒崎さんは両手を握って拳に変える。
「どっち?」
にこやかな黒崎さんを前に、俺は愛想笑いを浮かべる。
今、思い切り右手側にコインが握られるの見ちゃったんだけど……いいのかな。
と思いながら、右手を選ぶ。
すると、
「―あっ」
そっと開かれた右手の上には、コインではなく、小さなウサギのマスコット人形にすり替わっていた。
え、いつの間にっ…!?
「すごいですね!」
全然気付かなかった。
笑って顔を上げると、黒崎さんの穏やかな眼が俺を見つめていた。
「すごいのは、彼と対等に向き合える君さ」
夏の柔らかな夜風に混じって、遠くから、賑やかな祭りの音が耳に届く。
「今まで彼に惹かれる人は多くいたけど、でも、彼と同じ立場に立てる人なんて、ひとりもいなかった」
片桐さん自身が許さなかったのもあるけど。
話しながら、すっと腰を上げる黒崎さん。
彼の背後から、こちらに向かってやって来る誰かの姿が、視界に映った。
「君がしてることは、よっぽど彼に対する愛情が深くないとできない、ってことだよ」
黒崎さんが笑って、後ろを振り返る。
「そして彼も、その事を知っている」
俺は、乱れた髪を揺らし、息を弾ませた彼の姿を捉える。
俺の目前まで歩み寄ると、彼がはぁと一度息をつく。
髪の分け目から見える額には汗が滲んでいる。
「……探した」
「…ごめん」
いつの間にか、そばにいたはずの黒崎さんは姿を消していた。
「片桐君、俺…本当にごめん。“許せるまでの時間が欲しい”って、片桐君前に言ってたのに……無神経だった」
そっと、片桐君に優しく体を抱き寄せられる。
「俺もごめん……。さっきの、本心じゃないから」
片桐君に、体を離される。
見上げた先にある、彼から真っ直ぐ向けられる視線に、自然と瞳が潤む。
「ずっと、…俺の傍にいて欲しい」
彼の揺るぎのない言葉と表情に、口元に笑みがこぼれる。
「――うん」
彼の背に手をまわす。
遠ざかっていた彼との距離が、0センチまで縮まった。
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