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ファンタジーな話⑥
「ありがとう、片桐くん。もう大丈夫だよ」
家まで目と鼻の先の距離で、立ち止まって振り返る。
辺りはもうすっかり薄暗くなっていた。
後ろにいた彼に、軽く手を振って踵を返そうとすると、
「待って。星七さん」
片桐君に片腕を掴まれ、耳傍に顔が近づく。
彼のつけた香水の匂いに、胸がざわつく。
「今日、会えて嬉しかった」
ドキ
目の前に、片桐君の優しい笑顔が映る。
「また、連絡します」
ちゅ、と額に口付けられる柔らかな感触に、ビクリと体が跳ねた。
彼の顔がゆっくりと離れていく。
「それじゃ」
去っていく彼の後ろ姿を、黙ってしばらく見送る。
何だか今日は、ずっと変な気分がする…。
頭も体もぼうっとする気がするし、一体どうしたのか。
(もしかして、熱でも出てるのかな。…今日は帰って早めに寝よう)
家に帰り、夕飯やお風呂を済ませたあと、部屋の電気を消して、ベッドに体を沈ませる。
それにしても、今日は初めての体験がたくさんあったな。
久しぶりにお洒落な格好をして外に出て、リッチなお店にも初めて行った。
食べる前に倒れてしまったけど、きっと料理も美味しかったんだろうな。
“痛くない?”
――ハッ
て俺、…何思い出してるんだっ。
あんなえっちな夢見るだなんて、ほんとどうかしてる。
何より、片桐君に失礼だ。
思い出すな、思い出すな…。
“星七さん、体起こさないで”
“ちゃんと言うこと聞いて”
う……ダメだ。どうしよう。
片桐君の引き締まった上半身が頭から消えない…。
あー俺の変態、スケベ野郎っっ!
彼のことを考えるだけで、体中が火照って、胸の鼓動が早くなる。
……何故こんなにも、彼のことが知りたいと思うんだろう――
ぞわっ
不意に、薄暗い冷気を感じる。
異変に気付いてすぐに閉じていた目を開けると、天井から黒い渦のようなものが発生していた。
な、なんだこれ…!?
体が吸い込まれるような感覚に気付き、咄嗟に枕横の魔導書を手に取る。
すぐに魔法を繰り出そうとするが、
「…うわっ!」
強い引力に引き寄せられ、顔を歪める。
ベッドのシーツを掴む手が離れて、俺は黒い渦の中へと飲み込まれていった。――
***
……
しばらくして。
目が覚めた俺は、暗がりの中、目を覚ます。
ここは…?
大きなベッドの上、布団を剥いで横たわる体を起こす。
辺りに物が置かれている様子はなく、しんと静まり返っている。
斜め左上の格子状の柵からわずかに差し込む月の明かりが、薄暗い部屋を照らしている。
まるで牢獄みたいなところだな…。
「起きたか」
大きなドアが開く音に気付くと同時に、コツと足音を立てて誰かがこちらに歩み寄ってくるのが分かった。
誰…!?
だんだん迫る人影にベッドに座ったまま身動きできずにいると、
「…!」
伸びてきた手に、顎をグイッと掴まれた。
顔を上げた先には、銀縁の眼鏡をかけた黒髪の男の姿があった。
細められた、深い闇色をした瞳が俺に向けられている。
襟元まできつくネクタイが締められ、厚手の外套が影のように彼の体を覆い隠していた。
「…あなた誰ですか? ここはどこなんですか?」
尋ねる俺の腕を、男の手が掴んだ。
ベッドから体を立たされ、歩いた先にある灰色の冷たい壁へと体を雑に投げられる。
「…っ!」
硬い壁に体が当たる衝撃と痛みに、顔を歪める。
座り込む俺の前で、眼鏡をかけた冷徹な男が上から見下ろす。
「お前にはここで消えてもらう」
それだけ告げると、男は俺に向け、黒手袋をした片手を突きだす。
男の周りに青い“陽炎”のような揺らめきが走り、只者ならない雰囲気を感じ取る。
(殺される…――)
俺は咄嗟にそう悟り、強く両目を瞑った。
しかし、その直後。
自分の周囲に、張った覚えのない魔法バリアが現れる。
「…なに」
目の前で、眼鏡をかけた男が眉をしかめてこちらを見ている。
(これ…一体どうなってるんだ。俺、こんな魔法使えたっけ)
それに、このバリアの中、とてもあたたかい。
優しく誰かに体を包まれて、守られているような。
だが――まもなくして、バリアが剥がれる。
伸びてきた片手に首を掴まれ、壁へと押しつけられる。
両足はぷらんと宙に浮き、呼吸ができず視界が霞む。
「…消えろ。ここから。この世界から」
彼の憎しみを持ったような目と台詞に、心臓がドクンと大きく脈打つ。
“あいつのせいで死んだ”
“お前さえいなければ”
“人殺し”
一気に、過去の記憶が押し寄せてきた。
ああ、そうだ。
俺が、……親友を、彼を。アキを。
俺があの日、殺したんだ―――
突如、体がふわり、ひとりでに動く感覚がした。
俺はいつの間にか、男の胸に自分の片手を添えていた。
その次の瞬間、男の体が後ろに向かって勢いよく吹き飛んだ。
「“消えるのはあんたの方だ”」
あれ…今、自分の口が勝手に動いた。
それに、なんだこの力……。
俺、彼を吹き飛ばしたのか?
いや――違う、俺じゃない。
俺、もしかして、
誰かに体を乗っ取られてる……?
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