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第2話

 それは、宮原が独立して半年も経った頃の、ある夜だった。  閉店間際の店に、神崎が不意にアポイントもなしに現れた。課長になったばかりの彼は、部下のマネジメントと成果のプレッシャーに押し潰され、明らかに憔悴していた。  接待帰りだと酒の匂いを振り撒きながらその顔色は却って青白く、バーバーチェアに沈んだ身体は彼らしくもなくひどく頼りなかった。  だから、つい見かねて言ってしまったのだ。『マッサージでもいかがですか』と。  訝しげな神崎を立たせ、宮原以外誰も入ったことのないバックルームへ導いた。多忙の所為で仮眠用のベッドを置いていたことは幸いだった。  もちろん、最初は普通の全身マッサージのつもりだった。神崎もそう思っていたはずだ。  純粋な善意で、ベッドに横たわる身体を献身的に揉みほぐすうちに――神崎が勃起してしまったのは、だから本当に、ただの生理的な反応にすぎなかったのだろう。  気まずく羞恥し、起き上がろうとする神崎を、しかし宮原は止めた。 「かまいません。どうぞお楽に」  驚くほど自然に、そんな言葉が口をついて出ていた。  そもそも、出会った当初から宮原は薄々気づいていた。神崎も、自分と同じ種類の――同性を性愛の対象にできる類の人間だということを。だからこそ、驚くほど自然に、神崎のベルトを外して下着の奥の熱へ唇を寄せる自分がいた。  言葉は何もなかった。どちらも、何も言わなかった。  手や指でも良かったはずなのに唇と舌を使ったのも、神崎が吐き出したものを全て飲み込んだのも、純粋な善意にしては行き過ぎていた。  宮原の口の中で達した後、荒く息を乱しながら、神崎はじっと宮原を見つめていた。そして宮原はその視線を感じながら、身を離そうとはしなかった。肩を掴まれても、指の強さと熱さに小さく身を跳ねさせただけだった。  どこかで自分は、その展開を望んではいなかったか。  一人用の狭い簡易ベッドの上で窮屈に神崎を受け入れながら、神崎に揺さぶられるまま安いパイプが軋む音を聞きながら、どこかで自分は歓喜してはいなかったか。  すべてが終わった後、まだ互いの息も整わない暗闇の中で、神崎は掠れた声で言った。 「これからも、頼んでいいか?」  それは、問いの形をした懇願だった。この関係を一度きりで終わらせたくないという切実な響きがあった。  そして宮原は、その響きをはっきりと感じ取りながら、ただ静かに笑みを返した。 「……神崎様のご要望のままに」  エリートコースを歩む神崎の邪魔にはなれない。だから、これはあくまで『客の要望に応えるサービス』なのだと一線を引いた――その身の裡に確かな歓喜を孕んだまま。  あの日から、この歪な関係は始まったのだ。

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