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第4話 ナッツクラックナイト

 バームブラックの甘さの余韻が残る中、執事が新たな盆を運んできた。  銀のトレイには琥珀色の酒と、殻付きのナッツが小皿に盛られている。 「お口直しに、どうぞ」  史狼は思わず身を引いた。 「いや……ケーキが結構どっしりしてたし、オレは遠慮しとく」  ――この館で酔うのは避けたい。そんな本音を胸に押し込む。  海都も軽く微笑んで、グラスに手を伸ばさなかった。 「お気遣いありがとう。でも、甘いもので十分だよ」 「かしこまりました」  執事は恭しく頷くと、すぐに言葉を継いだ。 「ただ、この後の舞踏会には是非ご参加を。今宵のために、長らく準備を重ねてまいりましたので」  断る余地を与えない静かな圧。史狼は思わず海都と視線を交わす。  そこへ、メイドが控えめに近づいた。 「舞踏会に備えまして、お召し物を整えさせていただきますね」 「え、整えるって……」  史狼は狼耳を気にしながら後ずさる。  海都は素直に椅子に腰を下ろし、髪を整えられていた。まるで慣れきった仕草だった。 「……何でそんな落ち着いてんだよ」 「時々ね、建築の企画でテレビや雑誌の取材に呼ばれるんだ。そのときヘアメイクの人に触られるから、こういうの慣れてるんだよ」  何でもない調子で言うその姿に、史狼は妙な劣等感を覚える。 「……海都さんって、やっぱすげぇ人なんだな」 「そんな大げさなものじゃない。今はただの君の隣にいる人だよ」  海都の穏やかな声に、史狼の頬がじわりと熱を帯びる。  メイドの指先が自分の髪を梳き整えていくたび、ますます落ち着かなくなるのを必死で誤魔化した。  やがて暖炉の前へと案内され、二粒のナッツが手渡される。 「これは……?」  史狼が怪訝そうに眉をひそめると、海都が横から口を挟む。 「“ナッツクラックナイト”かな。ヨーロッパでは昔から知られている遊びだ。二粒を火にくべて、寄り添えば絆が続く、跳ねて離れれば別れの兆し……そんな風に言い伝えられてたと思うよ」 「……また占いか」  史狼は小さく鼻を鳴らした。 「そんなの、占いで決まるわけねぇって言うか、勝手に決められたくねぇし」  口では否定しながらも、渡された二粒を握りしめる手にほんのわずかな緊張が走る。  二粒が火にくべられる。ぱちりと火花を散らしたが、離れることなく並んで燃え続けた。 「……」  史狼は思わず胸をなで下ろし、わずかに唇を緩める。 「どうやら僕たち、どうあっても離れないらしいね」  海都が冗談めかして囁く。 「だ、だから言ったろ、そんなの当たんねぇって」  史狼は慌てて言い返したが、顔が熱くなるのを隠せなかった。  海都がそっと肩に手を置き、目を細める。 「でも、君がそうやって照れるなら……信じてもいい気がする」  耳元で低く響く声に、心臓が跳ねた。  史狼は思わず視線を逸らすが、ほんのわずかに身を寄せてしまう。  ――このまま、唇が触れてもおかしくない距離。  その時、軽い咳払いが響いた。 「……よろしいですか?」  執事が控えめに声をかける。  その横で、メイドが微笑みながら一礼した。 「さすがは占い通り。仲のお宜しいことで、何よりでございます」 「……なっ!」  史狼は顔を真っ赤にして飛び退いた。  照れくささと、せっかくの甘い時間を邪魔された残念さを誤魔化すように、思わず声を荒げる。 「何だよ、その言い方!」  海都は喉の奥で笑いを堪えきれず、肩を震わせていた。  執事はそんな二人に深々と一礼し、重々しい声で告げる。 「それでは……舞踏会の準備が整いました。大広間へご案内いたしましょう」  開かれた扉の向こうからは、かすかな音楽の調べが流れてくる。  史狼は思わず息を呑んだ。  この先で何が待つのか――胸の鼓動が速まっていく。

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