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第5話 舞踏会
執事の案内に従い、二人は大広間へと足を踏み入れた。
シャンデリアの灯りが煌々と輝き、床には磨き抜かれた木の光沢が映っている。
いつの間にか集まっていた仮面の客人たちが、思い思いにペアを組み、ゆったりと音楽に合わせて踊っていた。
その姿はどこか透けて見え、幽霊の影のようにゆらゆらと揺らめいている。
「……いつの間に、こんなに人が」
史狼は思わず息を呑んだ。
「幻かもしれないし、記憶の再現かもしれないね」
海都は落ち着いた声で答える。
その姿はどこか古き貴族を思わせる雰囲気を纏っていて、シャンデリアの光に照らされた横顔は絵のように端整だった。
(……このシチュエーション、似合いすぎだろ)
史狼の胸がざわつく。自分は狼耳のカチューシャ付きで、どう見てもふざけた格好なのに。
その時、弦楽の調べが響き渡った。仮面の客人たちが一斉に動き出し、優雅にステップを踏み交わす。
執事が二人を促した。
「さあ、客人のお二人もどうぞ」
「ちょ、ちょっと待てよ! オレ、ダンスなんて――」
「大丈夫。僕がリードする」
海都が手を差し伸べる。迷う間もなく、その手は史狼の指先を包み、引き寄せた。
音楽に合わせて一歩踏み出す。ぎこちない史狼を導くように、海都の動きは滑らかだった。
「……っ、仮装のまま踊るとか、マジで恥ずかしい」
史狼が顔を赤くして小声を漏らすと、海都が少し身を屈めて囁く。
「シロ君、ハロウィンでなぜ仮装するか知ってる?」
「え?」
「この夜は、あの世とこの世の境目が近づくから。人々は死者や精霊に紛れるために仮装をしたんだ。外せば、生きてる君がすぐに浮いちゃう」
「……なるほどな。なら、最後までこの“ルール”に従った方がいいってわけか」
「うん。ここでは、向こうのベースに合わせる」
海都は軽やかにステップを踏み、史狼を導いた。
「君と一緒なら、きっと大丈夫だから」
史狼は観念したようにため息をつき、相手の肩に視線を落とす。
「……マジで、こういう時の海都さんはズルいよな」
そう呟きながらも、鼓動は早まるばかりだった。
舞踏会は華やかさと同時に、不気味さも孕んでいた。
ドレスを翻す淑女がすれ違う瞬間、仮面の奥は空洞の闇で、ぞくりとした寒気が背を走る。
耳に届くのは弦楽の旋律と、意味のわからない囁き声。祝詞のようでも呪文のようでもあり、胸の奥にじわりと滲み込んでくる。
「……本当に俺ら、混ざれてんのか?」
史狼が息を呑むと、海都はそっと囁き返す。
「混ざってるよ。僕らも立派な客人だ」
それはそれでどうにも落ち着かない状況だった。改めて、一体この館にいつまで留まらないといけないのかと、改めて不安になってくる。
「どうにかして、外へ出られそうにねぇかな」
史狼が周囲に目を走らせるたび、海都は軽く腕を引いてステップを正す。
「……この広間の窓は南北に二つずつある。だけど厚いカーテンで覆われていて、外の気配は感じられない」
海都は囁きながら、天井を見上げる。
「天井の梁は古い様式のままだけど、補強がされてる形跡がない。外へ抜ける道は、この部屋からは作られていないだろうね」
「じゃあ、やっぱ閉じ込められてんじゃねぇか……」
史狼は声を潜めて顔をしかめる。
「大丈夫」
海都はさらりと答えた。
「執事が言ってただろ、“最後の催し”だって。舞踏会の終わりが来れば、きっと道も開けるはずだよ」
その落ち着いた声音に、史狼は思わず見上げる。
赤いライニングを纏った海都の姿は、普段よりも大人びて見え、不思議なほど頼もしかった。
思わず見惚れてると、海都の口元が柔らかく緩んだ。
「さあ、ダンスに集中して」
音楽に合わせて二人はステップを踏む。
史狼は不慣れな足運びに戸惑いながらも、海都のリードに導かれて少しずつ形になっていった。
ただ、時々すれ違う客人の仮面越しの視線に、背筋がぞくりとする。
人ではない何かと踊っている――その実感が、甘さの中にひやりとした緊張を混ぜる。
海都が気づき、冗談めかして囁いた。
「よそ見はだめだよ。誰かに気を取られてると……妬けるから」
「っ……!」
耳元に落ちる低い声に、史狼は顔を真っ赤にする。
やがて音楽が終わりを告げるように緩やかに収まり、仮面の客人たちが一斉に動きを止めた。
シャンデリアの光がひときわ強く揺らめく。
「いやはや、とても見事でございました」
執事の声が響き渡り、舞踏会は幕を閉じた。
広間の両脇に、執事とメイドが姿を現して深々と頭を下げる。
「今宵はご参加くださり、誠にありがとうございました。……どうぞ、この後はご主人様よりの贈り物をお受け取りください」
思わぬ言葉に、史狼は海都と目を合わせた。
シャンデリアの光がわずかに瞬き、仮面の客人たちがひとり、またひとりと揺らめくように姿を消していく。
広間には、ふいに深い静寂が落ちた。
「……贈り物?」
史狼が小さく呟くと、海都はほんの僅かに微笑んだ。
「どうやら、今夜の“終わり”が近いみたいだね」
静かに告げられたその言葉が、なぜか胸の奥をざわつかせる。
果たして“終わり”とは、夜の終わりなのか、それとも――。
執事の手にした燭台がゆらりと灯を揺らし、二人を次の間へと導いた。
その灯りはまるで、現実と幻の境を照らすように、ゆっくりと長い影を床に伸ばしていった。
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