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第36話 初恋
その日から三日間、カーテンも閉め切って、スマホの電源を切って、この世の中でただ一人になって、ベッドの中でうずくまるようにして、ひとり泣いた。
男なのに、ボロボロと涙が零れてシーツに染みる。
情けない。
でもきっと飾音なら、男なのに情けない、なんて口にしない。
ただ寄り添って、頭を優しく撫でて、俺が落ち着くまで待って、気持ちが晴れるまで、話に付き合ってくれただろう。
身体だけじゃない。
飾音のそんなところも、俺は好きなんだ。
「~~っ、うっ、う……」
――告白をせずに身体だけ繋げるなんて、考えたこともなかった。
飾音の手が、唇が、あの優しい吐息が、意地悪い言葉が、愛する誰かに向けられたのだろうか。
そう考えるだけで、苦しくて、苦しくて、堪らない。
告白さえしなければ、続くものだと思っていた。
俺も、飾音も。
でも、飾音が誰かとセックスをしたと聞いただけで、嫌だった。
誰かと飾音を共有するなんて、嫌だった。
俺の中の独占欲がこんなに強く醜い感情だったなんて、知らなかった。
知りたくなかった。
俺の飾音に、触らないで。
俺がそう言いたい相手こそ、飾音がずっと好きな人で。
飾音はきっと、そいつに触れるたび、俺が飾音と一緒にいて感じるような、幸せな気持ちで満たされるのだろう。
「……あれ? 元カノたちと別れた時って、こんなんじゃなかったような……」
誰と別れても涙のひとつも流さなかったな、と思って愕然とする。
もしかして、飾音が初めてなのではないだろうか。
俺が自分から、好きになった人は――。
部屋に籠った連休明け。
時間は平等に流れ、日常はいつも、どんな時でも、変わらずやってくる。
俺はむしろ、仕事に集中することで飾音を忘れる努力をした。
忙しいことが有難いなんて、初めて思った。
ただ、飾音を思い出したくなくて、プライベート用のスマホの電源は落としたままだ。
電源を入れれば、俺はまた、飾音からの連絡を期待してしまう。
何気ないいつものやり取りを、心待ちにしてしまうから。
「……もう、こんな関係、やめないと」
親友に戻ろう。
飾音の言う通り、もうとっくに引き返せないかもしれないけど。
それでも、親友に戻るという努力だけは、したい。
このまま何もかも失うなんて、したくない。
金曜日に会いに行けば、飾音は俺の分まで食料を買い込んでしまうかもしれない。
そう思った俺は、木曜日に飾音に会いにいくことにした。
大好きな飾音には、幸せになって欲しいんだ。
これだけは、心から願っている。
飾音の家への道すがら、いつものコンビニから出てくる二人の客を見て、つい足を止めた。
ひとりは飾音で、もう一人は「綺麗」という形容がとても似合う、同年代の男。
飾音はいつも通り無表情ながら、その彼とはとても親しそうに、飾音の家のほうへと並んで歩いて行く。
「……っ」
足が地面に縫い留められたように、動けなかった。
普通に追いかけて、声を掛ければいい。
しかし、飾音が好きな人といる時に合鍵なんて返せば、揉めてしまうかもしれない。
そんな言い訳を自分にして、俺は踵を返して歩き出す。
公道で泣きたくはなくて、ぐっと暗闇を睨みつけるようにして、早足で来た道を戻る。
俺の目から見て、飾音の想い人も、少なからず飾音に好意を抱いているように見えた。
あんな同級生、いただろうか。
思い出せないということは、俺とは同じクラスにならなかったのかもしれない。
ただわかることは、二人が並んでいるだけでそこだけ空気が変わっているかのように……つまり、二人がとてもお似合いだったということだ。
『身体からはじまったとしても、勇気を出して好きだと言えば、振り向いて貰えるかもしれないよ』
今度会ったら、そう、伝えよう。
醜い嫉妬を隠して、親友らしい笑顔を添えて。
ぐるぐると思考が渦巻いている間にも足は勝手に動き、気づけば俺は帰宅していた。
明日は、いつもなら楽しみにしていた金曜日。
飾音と会う習慣がなくなれば、「一週間の中で一番疲れている日」に戻るだけだ。
それが飾音にとって最善だと言うのに、自分で出した結論が胸に突き刺さる。
実際に会って話して、終始笑顔でいられるだろうか。
「あ……そうだ、雅人……」
笑顔、という言葉で雅人の顔を思い出し、俺は六日ぶりにプライベート用スマホの電源を立ち上げた。
いつも辛い時、明るく励ましてくれるのは雅人で、話を聞いて愚痴を吐かせてくれるのが飾音だった。
雅人なら飾音の好きな人を知っているっぽいし、俺と飾音の身体の関係も知っている。
相談ではなく、後押しをしてもらおう。
俺が笑顔で、飾音との関係を絶ち切れるように。
ただの親友に、戻れるように。
たったの数カ月。
飾音や雅人の想っていた期間に比べれば、俺の片思いなんてあってないようなものだ。
でも確かに、俺は飾音に恋をしていた。
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