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2.ラマース

 黒い髪をした年下の上等兵は、私の腕を枕に、裸のまま泥のように眠りこんでいる。  同じ絵描きなのだから当然といえば当然だが、彼は私以上に男性の外見に拘りがあり、私のような金髪碧眼、百八十センチを超すスマートかつ筋肉質の体躯の持ち主こそがゲルマン民族の美の粋だという思想があるらしい。私が男にモテまくる眉目秀麗な美男子であることは否定しないし、彼の理想の男の外見を備えていることは喜ばしく思うが、人間、誰しも「自分にはない」要素の持ち主に憧れるものである。私は若くてきれいな男なら何でもイケる雑食なのだが、少なくとも私よりは背の低い子、彼のように東欧や南欧の血が強そうな黒髪の子が特に好みだった。彼の場合、目だけは碧いときてるから気が利いている。  その言葉にし難い非凡な存在感を宿す明るい目と、チャーミングなオーストリア訛りが私の心をしっかりと捕えた。自分でも絵を描くという彼に、「モデルにならないか」と声をかけ、如何にもフランス風のここの小洒落たアトリエに連れこみ、全裸にして、作画の途中で我慢できずにキスして、喰っちまった。ドスケベ絵描き、部下に手を出す不良将校のお約束の展開。  ちょっとかわいがりすぎて疲れちゃったかな。手枕をしてやっているのとはもう片方の手で彼の髪を梳く。ドイツとの国境にある山村の生まれだという。その二十七、八の青年の体はたおやかで、感じやすく、私の視線、私の絵筆に容赦なく犯されることに恥じらいながらも従順で、歓びを覚え、その後のベッドでの私の行為によく反応した。  戦争がなければ君と出会うこともなかったとはいえ、戦争なんかごめんだな。早くベルリンに帰って、画業と、男の子たちとの情事に専念したいよ。でも、今まで抱いてきた子たちの中で、君ほどの玉はなかなかいないな。というよりも、一番かな。  彼は戦前にウィーンからミュンヘンに来たと言っていたけど、戦争が終わったらどうするのだろう。ベルリンに連れて帰りたいな。  「ラマースさん」  よく眠っていると思った彼が突然、はっと目を開けて私を見た。  「あ、起きたのアドルフ。君の寝顔があんまりかわいいから、もうこんななっちゃってさ。どうしよう、これ」  軽口を叩きながら、むっくりと血の通った部分を彼の太腿に押しつける。  「どこがいい?おっぱい?」  体勢を変えて彼を組み敷き、可憐な二つの乳首を人さし指でちょんちょんつついた。早く吸ってほしいと言わんばかりに忽ちぷっくりと固くなるそれを口に含み、もう片方を指先で押さえたり撫でたりしながら、乳輪から先端へとやさしく、掬うように舐める。  「あん!ラマースさん、ぼくがそこ感じるの知ってるくせに」  彼が身をくねらせて女みたいに愛らしく喘ぐ。その胸や腹に薔薇色の痕跡を残しながら、腰から下へと唇を這わせてゆく。  彼の足の間にそそり立つものが私の鼻先でひくひく動く。袋の部分を掌で軽く刺激しながら、先端から溢れ出る蜜の雫を丹念に舐め取り、散々焦らしてから、徐ろに頬張った。彼が背中をしならせて悶え、私の髪に両手を絡ませて引き寄せ、喉の奥まで咥えこませようとする。  「ラマースさん・・・・出していい?」  ものの一、二分で、顔を上気させ、息を弾ませながら尋ねてくる。私が目顔で頷くと、力を抜いて深く息をついた。一瞬遅れて、生温かい、馴染みの苦味が口腔に広がる。  「・・・・ごめんなさい」  飲みきれず口元から滴った分を拭っていると、彼が身を起こし、きまり悪そうに言った。  「なんで謝るの?」  「だって、隊長に・・・・こんなこと」  「『隊長』も『中尉殿』もなしだって言ったろ」  彼の肩を抱き寄せ、ちゅっと頬に口づけた。そのまま再びベッドに押し倒す。  「アドルフが初めて男に抱かれたのは、いくつの時?」  耳を甘噛みしながら囁いて尋ねると、  「十五、いや、六になってたな。故郷のリンツの森の中でした。その前の年の秋に劇場で出会った一つ年上の人と」  木洩れ日の降り注ぐ下生えの中で、幼い心を通わせ、密やかに戯れる初々しい二人が、ぎこちなく絡みあう白い裸体が瞼に浮かぶ。私の胸には自分自身の遠い青春への郷愁と、彼らへの羨望が入り交じって去来する。  「十八の時にぼくがその彼をウィーンに連れて出て、しばらく一緒に暮らしていました。彼は音大に通って、ぼくは美大を目指してたけど、前にも少しお話しした通り、合格しなくて。その内、一緒にいるのが辛くなって、またお互いのためにもならないんじゃないかと思えてきて、彼がリンツに帰省してる間に、黙って行方をくらましたんです。彼はそんなこと夢にも思っていなくて、新学期もまた一緒に暮らせるね、ずっと一緒だねって言ってたけれど」  あまりに切なく痛ましい話だった。今でも見られるアドルフの未熟さ、不器用さとそれらに見合わない高すぎるプライド故の極端な行動だったのだろうが、私はその愛情濃やかで繊細な音大生の心中に思いを馳せずにはいられなかった。どれほどまでに打ちひしがれ、断腸の思いで捜したことだろうかと内心では思ったが、それは口に出さず、こう言うに留めた。  「その人は?」  「わかりません。音楽家になったんじゃないかと思うけど。恐らく今は彼もオーストリアで徴兵されていると思うので、きっとひどい目に遭っています。あんな大人しい、ただピアノやヴィオラを弾いていたいだけの人に戦場は苛酷すぎます。無事だといいけれど。戦死したり大怪我したりしてないといいけれど」  アドルフはその独特な光彩を放つ碧い目を瞬かせた。まだ、その男を愛しているのだろう。愛していたからこそ、二度と会わない覚悟で自ら彼の前を立ち去ったのだ。  黒髪をそっと指で梳いてやった。私は恐らくアドルフとは正反対に、生来享楽的で軽快な性分だ。また、十ほど年長でもある。こういう時は一緒になって悲しみに浸り、深刻になるよりも、ただ一言、このように言う方がいいと思った。  「妬けるね」  実際、本心もあった。  「そんないいものじゃありませんよ。ぼくなんて、彼と別れた後はウィーンやミュンヘンで男に春をひさいでいましたから。喰いつめていたとはいえあまりに浅ましい」  下卑た笑いを浮かべ、舌舐めずりする男たちに弄ばれ、嬲りものにされた自分の体を隠すように、彼は掛布を手繰り寄せた。  私はそんなことは何とも思わなかった。  「それって芸術家のパトロン作りでしょ?こういう世界は多かれ少なかれそんなものだよ。私にだって覚えがあるよ」  この関係だって似たようなものだろ、おまえ俺の口利きで絵描きのコネやら勲章やら欲しいんだろ、とも思ったが、それも口に出さなかった。アドルフの傷に塩を擦りこむような真似をしたくなかったからというのが第一だが、私のようなただの好色漢とは違う、かの天使のような音大生に、ささやかにして絶望的な対抗意識を燃やさずにいられなかったのだ。  「その彼が今も無事に生きていたら――そうだといい、きっとそうだ――、きっと『アドルフはどうしているやら、戦争で死んでいないといいけれど』と同じように案じていると思うし、君がどんな人間であっても、大袈裟な言い方をすれば、たとえ人類史上最も唾棄すべき人間であったとしても赦してくれると思うよ。なんかぼくはそんな気がするな」  「人類史上最も唾棄すべき人間・・・・ほんと大袈裟ですね」  アドルフは吹き出した。  「ありがとうございます。ラマースさん、やさしい」  そう言って、私の逞しい胸に頭を寄りかからせた。かわいい男の子と見るやアトリエに連れこんで、「きれいに描いてあげる」などと言葉巧みに言いくるめて裸に剥いては手籠めにしている男のどこがやさしいのだろうか。そんな風に言われるとバツが悪くなるな。  時が移り、いつしかアトリエはターコイズブルーの月影の中に沈もうとしていた。私は曾ての哀れな音大生の恋人を再び抱き寄せ、口づけし、その臍から下へと手を這わせた。彼が身を捩り、婀娜っぽく私を見つめる。  「いけないお手々」  と呟いて、自分の先走りに濡れた私の手に軽く歯を立てた。俄に私を仰向けに突き倒すと、自ら私の猛り立った部分をぐいと掴み、その上に跨り、大胆に腰を沈めていった。私はもう少し、静止したまま、彼の温かな肉壁に一物がふんわり包まれている感触をじっくり味わっていたかったのだが、そうはいかなかった。両手を私の掌に重ね、十の指をしっかりと絡ませて、アドルフは性急に、狂ったように腰を打ち振った。遥かな天空から降り注ぐ神秘なる月光が、飛び散る汗をサファイアの珠のようにきらめかせ、激しく乱れ動く影をアトリエの壁に描き出した。  君の故郷を流れる青きドナウのように、君を抱きたかった。  月に濡れて、妖しく、儚かった、あの夜の君。  若かりし君の、ありとあらゆる汚名を負う前の君の、白百合のように清らかな裸身を、私は()で、ついにキャンバスに留めた。願わくば、百年経っても老いぬようにと。  戦場でのあのひと時だけは、二人きりの世界だった。永遠に無垢であり続けるアドルフ、私の愛した上等兵。

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