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第11話
あれから半月、相変わらず俺は失恋のショックから立ち直れずにいた。
それもこれも彼と同じ部屋に住んでいると言う事がいけないのである。
毎朝毎晩、彼と顔を合わせて食事しなきゃいけないものだから忘れようとしても忘れられないのだ。しかも、冬馬は俺の料理を食べる度「アキの飯が一番うまい」だとか「これ食べてると落ち着く」なんて言って褒めてくれるせいで、もしかしたら俺にもチャンスがあるんじゃないかと勘違いしそうになる始末だ。
そんなの有り得ないってことは分かってるんだけどな、あいつは優しいやつだし俺だけ特別ってわけじゃないんだってことくらいわかってんだけど、どうしても自惚れちゃうんだよな……。
「はぁ……」
朝、洗面所でひげを剃りながら深いため息をつく。鏡に映った景気の悪い自分の顔を見て更に気分が滅入る、原因は今トイレに入っている同居人のせいだということは明白なのだが。
ジャー……とトイレの水が流れる音が聞こえると同時にドアが開いて中からスウェット姿のままの冬馬が出てきた、寝起きのせいで寝ぐせのついた髪をワシャワシャと掻き乱した後大きな欠伸をした彼は俺の後に立ち、俺の髪の毛をヒョイヒョイ弄り回し始めた。「何だよ」と振り向くと「はよ」と一言返して、俺の頭の上に顎を乗せてぐりぐりしてきた。
「アキは小さいな」
「う、うるさいな」
なるべく普段の俺を装って会話を続けてみるものの内心穏やかではない。
だいちゅきな彼が俺とスキンシップ取ってくれて喜ばないはずがないのだ。
正直やめてほしい。あぁ、もぅ……好きすぎて辛い、しんどい。
「はぁ、もうサッサと歯ぁ磨けよ。お前今日早いんだろ?」
「ん」
俺の言葉に返事を返した後、彼は顎を離し歯ブラシを取って俺の背後でシャカシャカ歯を磨き始めた。
すぐ後ろに彼の身体があってほんのり熱を感じるのが妙にくすぐったくて落ち着かない、以前であれば何とも思わなかったであろうこの距離感にいちいち反応してしまう自分に嫌気が差した。
兎に角こんな調子で、俺は既に失恋しているにもかかわらず相変わらず距離の近い彼に悩まされ続けているのである。
何で今年の春に賃貸探しをしていなかったのだろうと後悔しても後の祭りだ。
引っ越したくても卒業まであと数か月も無い状態で賃貸契約なんて出来るわけがないので諦めるしかない。実家に戻ることも考えたが、今更学校まで二時間以上もかけて登校するような生活ができるとは思えなかった。
結局選択肢は一つしかなく、諦めて現状を受け入れるしかないのだ。
「それじゃ俺学校行くから、戸締りよろしくな~」
「おう」
玄関先で靴を履きながらそう言った俺を見送りに来た冬馬は眠そうに瞼を擦りつつ返事をした、まったくお寝坊なやつだ。それにしてもこんなに学校休んで、ちゃんと卒業できるんだろうかコイツ。もしかしたらこのまま芸能界に身を置くから高校は中退するつもりなのかもしれない。
ま、俺にゃ関係ないことか。そう思い直してドアに手をかけた、その時ふいに後ろから名前を呼ばれて振り向いた。
「なんだよ。まだ何か用かよ」
「いってらっしゃい」
笑顔で送り出してくれる冬馬にキュンと胸が鳴る、くそー……朝から可愛すぎるぞコノヤロウ。
「行ってきます……」
ニヤける口元を押さえるようにして顔を俯かせつつ返事をすると逃げるように部屋を出た。
───────────────……
それから月日はグーンと過ぎ、12月の年の瀬がやってきた。
年末年始と言えば家族や親戚で集まって楽しく過ごす時期であるはずなのだが、今の俺にそんな予定はない。
俺は今必死こいて就職活動中だったからだ。というのも俺は頭が悪くて親からも「進学しなくていいから手に職をつけなさい」と言われており、就活という手段しか残っていないのである。しかし、そう決意して始めたはいいが、これがまぁ難しいもんで苦戦を強いられている状態なのだ。
高卒でもOKと謳っていたって、実際会社側が欲しいのは大卒だし学歴の高い人材の方が断然優遇されるに決まっているのだから当然といえば当然だが……。
それでもなんとか面接にまで漕ぎ着けたものの結果は全滅。中々内定が出ず心が折れかけている。
「ふぇぇ……」
部屋のベッドに寝ころんで、不採用通知のメールを見ながら情けない声を漏らす。これで一体何通目だよ?かれこれ10社くらいは落とされた気がする。
そりゃ俺だって大体は落ちるとは思ってたけどここまで受からないとは思ってなかったぜ。
「世知辛ぇよなぁ~……」
携帯を握ったままゴロッと寝返りを打って天井を見つめる。
あーあ、今頃みんな年越しそば食いながら紅白見てんだろうなぁー、いいなー……。
なんだか寂しい気持ちになる。
冬馬は事務所の人達と年越しパーティーするとか言ってたし、俺だけが世間の荒波に揉まれて、ひとりぼっちって感じだ。
今朝彼に「アキも来る?」と誘われたけど、ぶっちゃけ俺の知らない芸能界の人ばっかいる中に入っていくとか場違いすぎて絶対無理だったし断った。
冬馬も冬馬だよな、そんな場に俺の事なんか誘うか普通?
友達として誘ってくれてるんだろうけどさ、その気遣いはちょっと残酷だと思うんだ。だってそれって猫の集会に豚を入れるようなものだろ、どう考えても邪魔じゃん。
「はぁ……寝よ」
不貞寝してしまおう、と、自分の布団を敷いてその中に潜り込む。身も心も寒くても布団は暖かい。
ぬくぬくと身体を丸めていると次第に眠気に襲われ、いつの間にか意識を飛ばしていたのだった。
深夜、ガチャガチャと乱暴にドアノブを回す音に飛び起きた俺は暗闇の中ベッドから這い出して部屋の中を見渡した。
視線の先にある玄関の扉の鍵がカチャリと空いてギィと音を立てて開く、すると黒い人影が壁伝いにドサリと倒れるように家の中に入ってきたではないか。
不審者かと思って布団叩き棒を握りしめ玄関に恐る恐る忍び寄る、いつでも殴り掛かれるような体勢を取りつつ玄関の電気をつけると、そこには冬馬が倒れるように壁に寄りかかって座りこんでいる姿が目に入った。
遠くでガタタンガタタン……という電車や、車道を走る車の喧騒が聞こえていたのに、目の前の光景に我を忘れ、一瞬時が止まったかのようだった。
「と、冬馬……?」
思わず声をあげると、彼はゆっくりと顔を上げ俺の方へ視線だけを寄越した。
熱でもあるのか顔が赤く火照っている、その瞳は虚ろでどこか焦点が合っておらずゆらゆらと揺れるさまからはいつもの彼らしくない覇気の無さを感じてしまう。
12月の夜風は身を切るような冷たさだ、俺は慌てて冬馬を抱き起こすと家の中へ引き摺り込んだ。
「ど、どうしたんだよ!?」
俺よりも背の高い彼をズルズルと廊下まで引き摺ると、壁に凭れかけさせて顔を覗き込むようにしながら問いかける。
俺の声なんて聞こえていないかのように冬馬は無言を貫いたまま虚ろな瞳をこちらに向けて来るだけだったが、やがてのそりと腕を上げ、俺の方へ掌を向けたかと思うとそのまま後頭部に手を回し強く引き、俺を抱き寄せた。
「……アキ……」
アルコールの匂いが吐息から漂い、酒を飲んできたであろう事が分かる、まだ未成年なのに。
「と、冬馬……、お前、酒飲んだの……?」
「ん……?」
小首をこてんと倒しながら俺を見つめる瞳はどこか潤みを帯びていて、熱っぽく蕩けている。
少し汗ばんでいるのか額に前髪が張り付いていて妙に色っぽい印象を受けた。
パーティーでジュースと間違えて酒を飲んでしまったのだろうか。
まったく、未成年なんだから大人の人はもっと気を付けて見張るくらいの事はしろよ!酔っぱらって一緒に居た女の子に手なんか出した日には週刊誌にすっぱ抜かれて話題になるのなんて目に見えているのに、油断し過ぎじゃねぇのか?
「バカタレ! お前、酔った勢いで女の子に手ぇ出してないだろうな?」
「んなわけ……あるか。鈍感野郎……」
呆れるように言われてしまったことにムッとする。鈍感はどっちだよ。こっちは色々心配してんのによぉ。
「酔っ払いに言われたくねぇよ!」
つい声を荒げてしまう俺を見て冬馬はトロンとしていた目を見開いていた。
「アキ、怒んなよ……悪かったって」
「じゃあ怒らせるようなことすんなよ、こんな深夜に酔っぱらって帰ってきて、何かあったんじゃないかって心配するこっちの気にもなれよな」
ピシャリと叱りつけると、いつもは無口で大人しい彼が珍しくムキになって言い返してきた。
「心配してんのはこっちだろ! なんだよ、最近のアキは俺のこと避けてばっかりじゃねぇか。そんなに俺の事が嫌いかっ!?」
あまりの剣幕に、隣の部屋からドンっと壁を殴る音が聞こえたくらいだ。
「さ、避けてなんかねぇだろ。そ、そんなの冬馬の勘違い……」
「避けてるだろ!? 最近じゃ全然話もしねぇしメシの時くらいしか顔合わせないし、俺が話しかけても素っ気ないし!!」
図星だ、冬馬の事を意識するあまり変に避けてしまっていたのは確かだった。だってどんな顔して接すればいいのか分からないんだよ、今まで普通にできてた冬馬とのバグった距離感が上手く出来なくなってしまっていたんだから仕方ないじゃないか。
「ち、違うんだって、それは……」
「何が違うって言うんだよっ!!!」
冬馬は俺の手を掴むとそのまま床に押し付けてきた。まるで組み伏せるような姿勢になり身動きが取れなくなった俺の腹の上に跨ってくると俺の顔の横にダンッ!!と勢いよく手を付き見下ろしてくる。至近距離にある彼の顔を見上げながら呆然としていると噛みつくようにキスをしてきた。
突然の事に頭が真っ白になる。
何が起こったのか分からない、いや、わかる。キスされてるんだ、冬馬に。
ぶわっと全身が熱くなって心臓がバクンッと飛び跳ねたように脈打ったのが分かった。
唇に触れる柔らかな感触が生々しく感じられて頭の中が爆発してしまいそうだった。
「クソが……!」
突然の事に目を見開いて硬直したままの俺に構うことなく何度も角度を変えて啄ばむように繰り返される口付けはやがて深いものに変わり、冬馬の舌先が俺の唇を割って口内に侵入して来る。
ここで止めなければいけないと頭の中では分かっているのに、この時の俺は好きな人にキスをしてもらえたという喜びのほうが勝ってしまい抵抗する事無く受け入れてしまったのだ。
必死に鼻で息をしながら冬馬の舌の動きについていこうと自らも同じように舌を絡ませると、彼は嬉しそうな吐息を漏らした。
ぐちゅりと湿った音が直接脳内に響き渡り、興奮していくのが嫌でも分かる。
洋画のラブシーンにも似た激しく情熱的な口付けに頭がクラクラし、頭が蕩けていく、冬馬の舌にまだ残っているアルコールがこちらにまで移ってきてしまいそう。
そうだ、酔っぱらっているんだ。冬馬も、俺も。
流されるように舌を絡めて冬馬の動きに応えれば、彼は俺の腰に手を回してパーカーの裾から手を滑り込ませてきた。
このまま抵抗しないで居たら、最後までしてしまうんだろうか、本当にそれで良いのだろうか。そう思う反面、これが冬馬に気持ちを伝える最後のチャンスかもしれないという焦りが判断力を低下させ、俺の理性を麻痺させる。
正直どうすればいいかなんて分からない、好きと言う気持ちと、同性だという現実の間で板挟みになって頭が真っ白になってしまうのだ。
「……とうま……」
熱に浮かされた頭で何とかそれだけ口に出したものの続きの言葉が出てこず、冬馬の愛撫に身を委ねてしまう。
駄目だって分かってるのに……でももう止められない、だってずっと好きだったんだ、彼の事。
俺の肌に温められて同じ温度になった彼の指、それが俺の身体を這い回る度、ゾクリとした快感が背筋を走り抜ける。
まるで女みたいに鼻にかかった声を上げてしまうのが恥ずかしくて堪らない、別に身体を弄られて気持ちが良いだとかそんなんじゃない、ただ冬馬に愛撫されているという事実に酷く興奮してしまい、意図せずとも声が出てしまう。
もう本能は彼に愛されることを望んでいる。
薄暗がりの廊下は玄関の光が微かに射し込んでおり、蛍光灯の光を半身に浴びた彼の表情は妙に色っぽく艶めかしい。
やっぱり芸能人は変な光源でも顔が綺麗に見えるんだな、なんて場違いな事を思った。
「……ココじゃ寒いからさ……、部屋……行こうぜ」
あぁ、自分からこんな事言うなんて、俺マジでどうかしてる、でも彼に求められることが嬉しくて、仕方がないんだ。バカバカバカ、俺のバカ、なんで拒否らねぇんだよ。自分が自分じゃないみたいだ。
「わかった」
それだけ言うと冬馬は俺を抱き起こして支えるようにすると、手を引いて歩くように促してきた。
シてしまうんだ、今から彼と一緒に……そう考えただけで心臓がバクバクと跳ね、頭から湯気が出てしまうんじゃないかって程体が熱い。
前を歩く冬馬は相変わらずフラフラと酒気帯びで覚束ない足取りで歩いている、酔った勢いで俺なんかとセックスして後悔しないのかな、コイツ。
彼の部屋のベッドに腰かけ、ついにこの時が来てしまったんだという緊張感に震えていると、いきなり冬馬が覆いかぶさって来た。ズシリとのしかかる彼の重みに、思わずウッと呻き声を上げる。
「アキ……」
熱っぽい吐息混じりの声で呼ばれる名前に胸が高鳴り、心臓が早鐘を打つように脈打ち始める。
ギュッと目を瞑り、もうどうにでもなれという気持ちで待ち構えていたが、俺の名前を呼んだのを最後に一向に彼が動き出す気配がない。
不審に思って瞑っていた目を開くと、彼は俺に覆いかぶさったままスヤスヤと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「すーっ……」
「は」
まぁ無理もない、まず帰って来た時点でグッタリしていたし、布団に横になった瞬間に睡眠スイッチが入ってしまったのだろう。
「人の気も知らねぇで……」
何だか自分一人で勝手にドキドキして覚悟を決めて待っていたのが馬鹿みたいで、拍子抜けしてしまった。さっきまであんなに昂っていた気分はどこへやら、すっかり萎えてしまって何とも言えない感情がフツフツと沸き上がってくる。
何期待してんだよ、こいつも酔っぱらってただけで、俺の事好きだって確信があったわけじゃない、誰でもよかったって可能性だってある。それなのに自分だけ舞い上がってさぁ……ほんとバッカみたい。
溜息をつく代わりに大きく息を吸い込み吐き出すと、眠っている冬馬を起こさないようそっと押しやって起き上がり、自分の布団に入って電気を消すと瞼を閉じた。
翌朝目を覚ました冬馬は案の定昨日の事は覚えていない様だったが、それに関して俺から何かを言及する事は無かった。そもそも男同士なんだから期待する方が間違っている、大体あんな酔いつぶれていたんだ。
でも、彼にキスをされたのは素直に嬉しかった。
───────────────……
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