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第13話

 月日が経つのは本当に早い、最後に冬馬と一緒に過ごしてからもう2か月が経ち、葉桜の並木道にはツツジが咲き乱れて、季節は春から初夏に移ろっている。  俺は4月から晴れて社会人となり、町工場で金属加工の仕事をしている。  大きなプレス機を使って他業者から送られてくる設計通りの部品を加工して、それを組み立てる仕事。まだ覚えることだらけだけど、パートのおばちゃん達や先輩作業者達が皆いい人で、人間関係は良好だ。  はじめは初恋の相手との別れを経験して多少センチメンタルになっていたものの、テレビや出勤中に見る広告で冬馬の姿を見る度に、彼がどんどん遠い存在になっていく気がしてしまうため、仕事で忙しい今の方が俺にとっては有難かった。「いつでも連絡して良い」なんて言われてはいるけど、俺はまだ冬馬には連絡をしていない。  連絡したって何を話したらいいか分からないし、何より忙しい彼に負担をかけたくないからだ。  仕事の休憩時間、スマホニュースをチェックしていると、引っ越す少し前に彼が「今撮影中」と言っていた恋愛ドラマの告知がポップアップ広告として表示され、そこには初お披露目のビジュアルに爽やかな笑みを浮かべた冬馬の姿が映し出されていた。  相変わらずフォーマルな格好をすると、王子様のようにキラキラして見える。 「あ、TO-MA様、格好良いよね~。ファンなの?」  俺の隣で同じく休憩中のパートのおばちゃんがスマホを覗き込みながら言った。 「あ、えぇ、まぁ……。はい、人気ですよね」 「ねー、すっごい格好良いわよね~♡ 私も好きよ~」  この通り、冬馬の人気は凄まじい。最近じゃCMやらバラエティ番組にも出ているらしく、メディアへの露出も以前より格段に増えたような気がする。  そんな彼が先月まで同居人で大親友だなんて、冬馬のいない生活を送っていると時折あの楽しかった日々は妄想なんじゃないかと思えてくるものだ。   夕方になると終業の時間となり従業員達はそれぞれ帰り支度を始める、集中して作業をしていたおかげでいつもより早く帰宅できるので嬉しい気分だ。  帰る前にトイレへと立ち寄り用を済ませた後、洗面台の前で手を洗いハンカチで水気を拭いていると突然背後から肩をポンッと軽く叩かれた。 「秋生、これから帰り?一緒に飯でも食って帰ろうぜ」  声をかけてきた人物は先輩の夏木さんだった。彼は俺より12歳年上で、ここに来る前は大手企業の営業をしていたらしい。どこか飄々とした雰囲気のある男性で、人付き合いは良いが経緯と言いミステリアスな人だ。 「あ、はい。良いですよ」 「いい加減敬語やめろって、タメで良いよ」 「あ……うん」  夏木さんは俺の2年先輩で工場に入ってから教育係として面倒を見てくれていて、職場ではもちろん、プライベートの事とかもよく相談に乗ってくれたりアドバイスしてくれる頼もしい存在だ。  ちょっと距離感近いな、と最初は思ったのだけど、それが夏木さんの人柄っぽい。  「ラーメン食いに行こう」と言う誘いに乗り俺達は工場を出た後、店に向かって歩き出した。 「駅前商店街だと、ちょっと入り組んだところにあるんだが……」  彼はこの町の事に詳しく、よくこうやって穴場スポットみたいなところに連れてってくれる、引っ越してきたばかりの俺にとってはありがたいことだ。 「この店、旨いんだ」  そう言って連れて来られたのはカウンター席のみの、こぢんまりとした小さなラーメン屋だった。  内装自体はいかにも個人経営という感じで古いのだけど、店内は比較的綺麗めな感じで清潔感がある。  メニュー表を見ると醤油、豚骨、味噌といったオーソドックスなものだけでなく変わり種のラーメンもあって気になる。値段も手頃だしここは当たりだなと思いながら壁にかけられたお品書きを眺めていると夏木さんが店員を呼んで注文を始めた。 「俺はチャーシュー麺の大盛り、味玉追加ね。秋生は何にする?」 「……じゃあ俺も同じものでお願いします」 「あいよー!」  店主と思われる恰幅の良い男が厨房の奥で返事をしたかと思うと、すぐに調理に取り掛かったようだ。  ラーメンが来るまでの間、夏木さんと世間話をする事になり、彼は話を回すのが上手く聞き上手な所があるからついつい色んな事を話してしまい、いつの間にか俺は冬馬との思い出を吐露していた。 「それで……結局相手には好きって言えなくて、そのまま引っ越しの日が来ちゃって……」 「ほう、そりゃまた切ないねぇ」  夏木さんはそう言って頬杖をついた。 「でもその子はさ、秋生の事好きだったんじゃない?じゃなかったら手ぇ繋いだりなんかしないっしょ」 「……そうかな。あいつちょっと天然っぽいとこあるからな……」  俺の言葉に夏木さんは苦笑した。そして続けて言う。 「はは、美人で天然って漫画のヒロインみたいだなぁ」 「あはは、確かにそうかも……」  そんな会話を交わしながら笑い合う俺達の元へようやくラーメンが届いた。湯気を立てるその器の中には、分厚いチャーシューとトロトロ半熟の味玉が入っていて食欲をそそられる見た目をしている。  早速箸を手に取りいただきますと言って食べ始めると口の中に濃厚な味わいが広がり思わず笑みがこぼれた。 「超うまいっすね……!」 「だろ? ここ初めて来た時びっくりしたもん」  並んでラーメンを啜りつつくだらない話で盛り上がったりしてると時間があっという間に過ぎた。そろそろ帰ろうかと会計をして外に出る頃には20時を過ぎていた。  新しい土地で一人になってしまったため少し心細かったが、夏木さんという頼りになる人物に出会えたことに感謝するばかりだ。 「夏木さん、いつもありがとうございます」 「うんにゃ、うちの工場って中小で老舗だから高齢社員多くて若手少ないじゃん?しかも新人育成体制整ってる訳でもないからさ。俺がしっかり面倒見なきゃと思ってるのよ」 「え、夏木さんって上から言われて俺の教育係やってるんじゃ……」 「ちげーよ、俺が勝手に決めた事だよ。俺の同期にも若い子いたんだけど、すぐ辞めちゃって。せっかく採用したのにもったいないって思ってさ」  なるほど、言われてみればうちの工場って年季の入った職人ばかりで、高卒の俺は少し浮いた存在だったかもしれない。パートのおばちゃん達に可愛がられるのってそれもあるんだろうな。  それにしても夏木さんは話を聞く限りだとバリバリ仕事が出来そうなのに、何でこんな小さな工場を選んだんだろう……。  駅前で夏木さんと別れ家路につき家の鍵を開ける、鍵についているのはもちろん冬馬がロンドンで買ってきてくれた時計塔のキーホルダーだ。部屋の中に入ると真っ先に鞄を置き部屋着に着替えた。  工場勤めのいい所はスーツを着なくてもOKという点だ。ネクタイ締めてスーツ着て一日動き回るなんて俺には到底できないと思う、作業着着て油まみれになる方が気楽だ。  冷蔵庫の中から炭酸飲料を取りだして喉へ流し込むと疲れが取れていく気がした。 「はぁ~……それにしても今日食ったラーメン……美味かったなぁ」  冬馬がこっちに来ることがあったら絶対連れて行こうと思いつつペットボトルの中の残りの炭酸を飲み干し、ダラーッとソファの上に寝転がりテレビをつけると、ちょうど冬馬の出ているドラマが始まったところだった。  彼は準主演で、主人公のヒロインの高校のイケメン先輩役で出演している。以前出演した医療ドラマの時よりも役柄のせいか表情も柔らかく見えて何だか別人に見える。  演技力はレッスンを頑張っていたのを知ってはいるけど、他の役者が下手糞に感じてしまう程上手だと思った。 「はぁ……カッコイイ……」  クッションを抱えてまるで乙女みたいにテレビに映る彼をうっとりと眺めていればあっという間に番組が終わってしまい、時刻は22時に差しかかっていた。  もっと冬馬の事を見ていたいけど、もうテレビとか広告の中でしか見られないんだなと思うと寂しさが込み上げてくる。  あの時告白しておけばよかったかも、と頭をよぎるけれど、そうしていたらもう友達ですらなくなっていたかもしれない。そう思うとそれはそれで怖い。 「うん……まだギリ親友だし、いっか……大丈夫……」  自分に言い聞かせるように呟いて、シャワーへと向かった。 ───────────────……  夏木さんは今日も元気だ、俺が出社すると既に事務所の中に居て競馬新聞片手に缶コーヒーを飲んでくつろいでいた。 「おっす、秋生おはよーさん。どう? 一人暮らしの方は慣れた?」  明るい笑顔で挨拶をしてくる彼につられて笑顔になりながら答える。 「はい、もう数か月経つんで大分慣れました」 「いいねぇ! それなら今日は呑み行こうか!」 「あはは、毎日飲んでませんか……?」  ロッカーで作業着に着替えて自分の持ち場の機械へと向かう途中そんな会話をする、実際夏木さんは毎日のように俺を誘ってくれていた。  俺はまだ未成年だから酒は飲めないけれど、それでも快く付き合ってくれるので本当に優しい人だ。  その日も朝から忙しく働き詰め、夕方定時になってタイムカードを切ったと同時に夏木さんがやってきた。 「おーっす、お疲れぃ! 今日は激安居酒屋行こうぜ、つまみは全部300円均一なんだ」 「今日もっすか? 昨日も行ったばっかりじゃないですか」  苦笑いしつつそう言うと彼はニカっと笑って肩を組んできた。 「良いんだよ、秋生は家に帰ったら一人だろ? あ、これってひょっとしてパワハラになる?」 「パワハラって思うような先輩だったら、こんなに話しませんよ。あはは」  冗談交じりの言葉に笑いながら答えれば彼も楽しそうに笑った。この人は不思議な魅力があって、つい頼りたくなる空気がある。最初は軽いノリだなぁと思ってたりしたけど今ではすっかり打ち解けている自分が居た。  二人で向かった先は雑居ビルの地下に降りるタイプのチェーンの居酒屋で、入店すると賑やかな音楽とタバコ臭い空気が出迎えてくれた。 「ここ手頃な値段でそこそこ美味い物が食えるし、あとビールが安いんだよ」  確かに安いだけあって店内は大学生らしきグループや、土方っぽいおっさん達で賑わっている。 「秋生はノンアルな、ソフトドリンクはこっち」と夏木さんがドリンクメニューを手渡してくれたので、それに従ってウーロン茶を注文した。  夏木さんはビールの中ジョッキとつまみをいくつか頼んで、俺の前にメニューを戻した。  ガヤガヤとした店内の喧騒に、運ばれてきた飲み物で乾杯すると思わず疲れが口から漏れ出てくる。 「あー……労働のあとの酒はうめぇな~」  彼はビールをゴクゴクと飲んで豪快に笑った。その様は普段の飄々とした夏木さんとは違った“兄貴”っぽい雰囲気に、思わずクスッと笑ってしまう。 「ん? どうした?」 「あ、いや、なんか夏木さんって飄々としててスマートだから、ちょっと意外な感じがして」 「何それ、ん~……、でもまぁミステリアスってのも悪くないな、ちょっと陰のある感じの男ってモテそうじゃん?」 「あはは、そういう雰囲気あるかも、大手企業の営業から町工場に転職って、ちょっと変わってる」  俺がそう言うと夏木は「あ~……」と少し困った様な顔をした。何かまずい事を聞いてしまっただろうか……。 「……いや、まぁ色々あってな」 「あ……ごめん、俺……」 「……ん~、でもまぁ秋生には話してもいいかな?」 「え?」  聞き返すと夏木さんはビールをゴクリと飲んで口を開いた。 「……前の会社で営業してまわるのは楽しかったんだけど、でも成績上げ続けないと評価されないのがね~、俺には合わんかった。俺は数字で他人と比べられるのって好きじゃないから。今の工場はさ、前に営業やってた時に取引したことがあんの。向こう三軒両隣っていうかさ、パートのおばちゃんも社長も社員関係なくみんな仲良いじゃん? だから俺もここで働いてみたいな~と思って」 「へぇ、そうだったんだ」 「つか、俺の話するために飯誘ったわけじゃね~からさ、秋生の恋バナ聞かせてよ、それでルームシェアしてた子とは今連絡取ってんの?」  突然話題を振られて、食べていた唐揚げをポロリ落としてしまい、慌てておしぼりで手を拭く。 「あー、うん。まぁ……向こうはいつでも連絡してって言ってくれてるけど……こっち来てからはまだ一回も……」  「そっかぁ」と相槌を打ちながらビールをグビッと飲むと夏木さんはまた続けた。 「それって脈ありじゃねぇ?秋生からの連絡待ってると思うよ、その子」 「そうなんですかねぇ……」 「だって、いつでも連絡してって言われたってことはさ、向こうからしたら待ってますってことだと思うんだよね。つまりさ、その子は秋生のことが好きなんだよ、きっと」  そうなのかなぁ、もしそうだとするとすごく嬉しいし、凄くドキドキしてきた。心臓がバクバクいってるのが分かるくらい緊張して、それから顔に熱が集まる感覚に襲われる。  夏木さんに「今電話かけてみ!」と言われ半ば強制的にかけさせられたが、忙しい冬馬の携帯は留守電モードになっていて繋がらなかった。 「繋がりませんでした……」  落胆気味に告げる俺に夏木さんは慰めの言葉をかけた。 「まー、あとで折り返しかかってくるかもしれないし」 「そっかなぁ」 「そーだよ」  あーもう、ヤダヤダ。こんな落ち込んで、職場の人にまで心配かけて、俺ってほんと馬鹿。  取り分けてもらった唐揚げをガツガツと口に押し込んで、ゴクリとウーロン茶を飲み干した。 「……っはぁ……、今日はもう食うっす。夏木さん、奢るんで付き合ってよ」 「マジ?やった、じゃあ俺、焼酎お湯割りにしよ~っと」  俺の言葉に嬉しそうにニコニコする夏木さんを見て、釣られて俺も笑顔になる。悩みを相談したのもあるが、一人じゃないという安心感が今の俺には凄くありがたい。  無遠慮過ぎる酒の注文には少し驚いたが、夏木さんなりにテンションを上げようとしてくれているのが分かって、俺は「あはは」と笑い声を上げた。 ─── 「う~~~……ヒック、うい~」 「大丈夫っすか?」  ラストオーダーも過ぎ店が閉まるからと追い出されたあと、俺は店の前で座り込む夏木さんに自販機で買った水を渡した。  「あはは、だいじょーぶ……らいじょーぶ……」と呂律の回らない口調で言うと彼は水を受け取ってグビッと飲んだ。俺も隣にしゃがみ込むんで背中をさすってやる。 「家、どこっすか? 一人で帰れる?」 「ん……平気平気、俺ん家近いから」  夏木さんはへらっと笑って立ち上がるとフラフラとした足取りながらも一人で歩き出した。心配になってその背中を見送ると、彼は「あ!」と言って振り返り、俺に向かって元気よくブイサインをした。 「秋生! また飲もうぜ! 同僚なんだから遠慮すんな! 俺、お前ともっと仲良くなりたいからさ。」 「うん……ありがとう、夏木さん。また!」  手を振ると彼はフラフラとした足取りのまま夜道を歩いて行った。  はじめは年上すぎて仲良くなる事なんて無いと思っていたが、話してみると結構気さくだし、良い人だ。  思えば就職してから、高校時代の友達とも疎遠になっていたし、こうして誰かと楽しく夜を過ごしたのも久しぶりだ。  そう思うと夏木さんが毎晩食事に誘ってくれることがすごく有難い事だと改めて実感した。 ───────────────……

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