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第15話

 その日、俺は家に帰ってもう一度冬馬に電話を掛けた。熱愛報道の事、おめでとうと電話するくらいなら許されるだろうと思ったのだ。  しかし電話は留守電になっていたため「おめでとう」とだけメッセージを残しておいた。彼からの返信は来なかったけれど、それが別れなんだなと、何となく察したのだった。  それから冬馬の事を忘れるために仕事に没頭した。残業をして、休日出勤して、それでも忘れる事など出来なかったけれど、仕事に没頭する事で忙しくしていれば何も考えずに済んだからだ。  日々は流れ季節はすっかり蒸し暑くなってきて、機械の排熱が籠る工場内は茹るような暑さになっていた。  この猛暑のせいで体調を崩す作業員が多くなり作業効率が下がっているせいで、いつも以上に忙しなく動いていると、隣のプレス機を操作していた夏木さんが突然バタンと倒れたのだった。 「うわっ!?」  ガシャン!大きな音を立てて倒れる音を聞きつけて慌てて駆け寄って行くと、そこには真っ赤な顔をして床に倒れている夏木さんが居た。作業着の背中部分はじっとりと濡れて変色しており、尋常ではない汗が噴き出しているのだという事を示している。 「夏木さん!? しっかりしてください!!」  俺の声を聴いてパートのおばちゃん達や作業員たちも何事かと集まってきて、あっという間に人だかりができる。  意識はあるがぐったりとしたまま動かない彼を抱きかかえていると、パートのおばちゃんが「救急車!」と言って電話を掛け始めた。  熱中症による症状だと分かって、すぐに病院に運ばれていったので大事には至らなかったが、大事を取って彼は翌日工場を休むことになった。 ──────…… 『なー、秋生ー!暇だからうち来いよー!』  電話口の元気そうな夏木さんの声に、仕事終わりでクタクタの俺は「うへぇ」とやる気のない声を上げた。 「夏木さんは休みだから良いけど、俺あの糞暑い工場で働いてきたとこなんすけどぉ……」 『いーじゃん、病人の頼みだと思って来てくれよぉ。』 「元気そうなんですがそれは……はぁ……わかりました、行きますよぉ」  結局断り切れずに押し切られる形で了承し、教えてもらった夏木さんのアパートに行くと、彼は「よっ」と片手を上げて迎えてくれた。その顔は昨日倒れていたとは思えないほどケロッとした様子である。 「大丈夫そうっすね」 「ああ、一晩寝たら良くなったわ。ご迷惑おかけしましたーっと」 「本当すよ、突然デカい音立てて倒れたもんだから心臓口から出る所でしたよ」 「点滴が効いたかもな。それにしても熱中症になるとはなぁ~。忙しすぎて水飲むの忘れてたんかな」  ははは、と呑気に笑う夏木さんを横目に、来る途中にコンビニで買ったアイスやらゼリーなどが入ったビニール袋を手渡すと嬉しそうに中身を確認して目を輝かせた。 「おっサンキュー! いくらだったんだ?」 「いいっすよ、大した金額じゃなかったし」 「何言ってんだよ、ちゃんと払うぜ。借り作るのは性に合わねぇからな」  そう言うと財布を取り出してお金を渡そうとしてくるが断った、高々数百円の菓子を買った程度で貸しだなんて思われたら困る。ただの見舞いに来ただけなんだから金はいらないと言うと渋々だが納得してくれたようだ。 「来てくれてサンキューな、なんかさぁ、今日ずっと家に一人だったから退屈してたんだよね」 「まぁ、一人暮らしの難点っすよねそれ」  他愛のない話をしながら、買ってきたアイスを夏木さんが頬張ったので、俺も自分の分のアイスを開けて食べることにした。 「あ~……アイスうめぇ……生き返る……」 「今日、外38度あるらしいですよ」 「マジかよ、高熱の時の体温くらいあるじゃんか」 「今夜は熱帯夜ですかね」 「うへぇ……寝苦しい夜になりそうだな」  夏の風物詩とも言える会話を繰り広げつつ、しばらく世間話をしていると、ふと会話が途切れたタイミングで俺の咥えていたアイスが蕩けて指を伝ってポタポタと垂れてしまった。 「うわ、アイス溶けるのはやっ!」 「暑いわけだわなぁ~……、っとそうだ」  肘まで伝ってしまったアイスを舐めとる俺をしみじみとみていた夏木さんだったが突然思い出したかのように、テーブルの下にある袋をガサガサと漁って、何かを取り出した。 「これやるよ、見舞い品のお返しな」  ポイッと投げ渡されたのは小さなウサギのぬいぐるみだった。 「は?なんでこれを俺に……」 「こないだゲーセンで取ったんだよ、お前に似てると思ってさ」  デフォルメされた涙目の顔をしているウサギのぬいぐるみを見て、これのどこが俺に似てるんだと眉間に皺が寄る。 「俺、こんな顔してます?」 「顔っつぅか……存在がウサギっぽいじゃん。そのぬいぐるみは好きな子にフラれて泣いてる秋生そっくり」 「はぁ……えぇ?いくらなんでも可愛すぎません……?」 「可愛いよ」  「は」凡そ夏木さんの口から出そうもない言葉に一瞬思考が止まる、目の前の彼は頬杖をついて口に咥えたアイスの棒を上下させながら、優しく微笑んでこちらを真っ直ぐ見つめていた。 「秋生は可愛いよ」  もう一度、ハッキリと言い切った彼の言葉にカッと頬が熱くなり、思わず俯いてしまう。本気なのか冗談なのか判断のつかない夏木さんの口調に、思わず目線を彷徨わせると「ふはっ」と笑われてますます居た堪れなくなった。 「あーあ……秋生が女だったらなぁ」 「俺が女だったら……なんですか?」 「ん?今頃抱いてたなと思って。ほら、恋の相談するなんてさぁ、つけ込む隙ありますよってアピールしてるようなもんじゃん」  そんなことを真顔で、何の含みもなく言ってのける夏木さんに、思わず肩がビクリとなった。 「は、はぁ!? お、俺はそんなつもりで相談してたんじゃ……!」 「秋生は男だろ、何動揺してんだよ」 「あ」  言われて気付く、そうだ俺は男だ。当たり前の事に何をこんなに動揺しているのか自分でもわからないまま視線を泳がせてしまう。  夏木さんはもしこんなシチュエーションの女が居たら迷わず抱きに行ってたって仮定の話であって別に俺自身に対して言った言葉では無いはずだというのに。なのにどうしてこんなに焦っているのか。 「クック……変な奴、秋生は天然だな」 「あーいや、まぁ……あはは」 笑って誤魔化すと、夏木さんも釣られたように笑った。 「ま、でもさ」 「ん?」 「秋生が女だったら……俺は今みたいにお前と仲良くなんてなれなかったかもな」  夏木さんの言葉の意図が読み取れなくて首を傾げると、彼はまた少し笑って続けた。 「18歳だろ?そんな若い女の子の相手なんて、俺にはハードル高いからなぁ」 「ははは、言えてます! ギャルとか同い年でも怖いっすもん」 「だろ?話しかけただけでセクハラとか言われたりして」 「アハハ!」  俺が笑うと夏木さんも釣られて嬉しそうに笑った、この人は俺が女だったとしても態度が変わらないような気がするが、異性として見られていたら彼はどんな態度で俺に接してきたのか少しだけ気になった。  その後夏木さんといつもの様に彼と定食屋で夕食を取った後、別れて自宅に帰り彼に貰ったウサギのぬいぐるみをソファに置いて見つめる。  ふえぇんという鳴き声が似合いそうな可愛らしい顔をしたこの生き物のどこが俺に似てるっていうのだろうか、夏木さんも変わった感性を持っているものだ。 『今頃抱いてたなと思って。』  ふと今日言われた一言を思い出す、何で俺はあの言葉に動揺してしまったんだろう。普通に考えれば仮定の話だって分かるはずなのに、どうしてあんなに焦ったんだろうか。  あれ……ひょっとして俺、恋愛対象が女じゃなくて男だったりして……。  はた、と思い至ってしまった恐ろしい事実に気付いてしまいゾワっと寒気を感じた。  今まで漠然と女が好きだと思ってたけど、実際好きになったのは冬馬だったし、思えば女の子のセクシャルな部分にドキリとした事なんて一度もなかった気がする。  何ならこのまま夏木さんに懐いて彼の事が好きになっちゃいそうな気もする。いやいやいや、待て待て早まるな、職場に夏木さん以外に若い人が居ないから必然的に絡む機会が多いだけだし……。パートのおばちゃんがピチピチのギャルだったら確実にドキドキしちゃう筈だしな。  これ以上考えると墓穴を掘りそうなので考えるのを止めにして風呂に入った。上がった後はさっさとベッドに潜り込んで眠りにつくことにした。  幸い連日の激務で疲れている身体は容易に睡魔を呼び込み、泥の様に深い眠りに落ちる事ができたのである。 ───────────────……

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