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第17話

 俺と夏木さんは仲良しだ、毎日昼飯を一緒に食べて、ほとんど毎日夕食を一緒に食べ、たまに休日一緒に遊んだり、お互いの家に行き来したりしている、そんな関係である。  夏木さんは秘密主義で自分の事をあまり話してくれないけれど、一緒に居ると彼が可愛いものが好きだとか、お酒が好きな癖に弱いところだとかそういう事がわかってきて楽しい。  10月上旬、もう秋だというのに、まだ9月の暑さが残るその日も俺はいつも通り夏木さんと弁当を広げて昼食をとっていた。 「秋生の青椒肉絲弁当美味そうだなぁ」 「昨夜の夕飯なんスけど、作り過ぎちゃって……いるんならあげますよ?」  弁当箱を差し出すと彼は嬉々としてそれを箸で摘まみ上げてパクリと食べ「うんまっ」と言って笑った。 「秋生は料理上手いよなぁ~、料理できる男ってポイント高いぞぉ」 「青椒肉絲なんてオイスターソースで炒めるだけっすから誰でも作れますよ?」 「いんや、味付けはそう簡単にできないもんなんだぜ?俺だってこの間炒めるだけのチャーハンに挑戦して塩の分量間違えたせいでしょっぱくなったし、秋生は料理の才能あると思う!」  褒められれば誰だって嬉しいものだ、俺は少し照れてヘラリと笑って誤魔化した。 「何だったら夏木さんに料理教えましょうか? 簡単なものでよければですけど」  冗談半分で言うと夏木さんはその気になってしまったようで身を乗り出して目を輝かせている。本当に表情豊かだ……。 「いいのか!? それじゃあ金曜の夜あたり、秋生ん家で料理教室開催しようぜ!」 「それ、夕飯たかるつもりじゃないですか……」  呆れたように言うと夏木さんはくつくつ笑いながら「バレたか」と言った。  相変わらずマイペースと言うか自由人というべきかよくわからない人である、まぁ楽しいから構わないのだが。 ───────────────……  金曜の夜、夏木さんと二人でスーパーに寄って買出しをし、家に招き入れた。 「おじゃましまーっす」  部屋の中に招き入れると彼は勝手知ったるという風にキッチンに向かっていった、夏木さんと親しくなって、もうずいぶんと経つし家に招くのもこれが初めてではないが、相変わらず俺の家を自宅のように使う姿に苦笑いを零した。 「でぇ、今日は何教えてくれんの? なになに卵焼きぃ?」 「夏木さんは弁当に何も野菜が無いんで、野菜炒めにでもしようかと思ってます。雑に作っても美味しいやつなんで初心者向きなんですよ」 「おーマジで? やったぁ、楽しみだぜ~」  やる気があるのかないのかヘラヘラ笑っている夏木さんの隣でエプロンを付けて腕まくりをした。 「じゃ、まずは野菜を切りましょう、適当に切ってフライパンで焼いていくだけなのでそんなに難しくないですけどね」  夏木さんに野菜を切るように指示すると包丁を手に取り恐る恐るといった様子で切り始めた。やはり普段料理をしていないせいか動きがぎこちない、包丁の下に指があって怪我をしないかヒヤヒヤするが本人は至って平気そうだ。  トスン、トスン、とゆっくり野菜を切っていく手つきを見つめながら、時折助言するように指示を出す。 「左手、こうやって猫の手みたくしてください、そしたら指切らずに済むんで」 「へぇ、そういやなんか昔学校で教わったような気がすんな」  だいぶ不ぞろいだが野菜を切り終えると、夏木さんは満足げな表情を浮かべてふぅと息を吐きだした。フライパンに油を敷いて野菜を炒める、味付けは簡単塩コショウのみという超シンプルなメニューだ。 「おぉ良い匂いしてきた~!」 「焦げないようにフライパンを時々振りながら……こうやって菜箸で動かして、野菜がしなっとしたらオッケーです」 「おー、マジで簡単そうだなコレ」 「でしょ? これに豚肉いれたら肉野菜炒めになるし美味いんですよ」  トンットンッと軽快にフライパンを動かし、出来上がった野菜炒めを皿に盛りつけ、今度は冷蔵庫の中にある豚肉を焼いて残りの野菜と一緒に炒め肉野菜炒めを作って見せると、夏木さんは「すげぇ」と言いながら目を輝かせていた。 「めちゃくちゃ美味そうじゃーん、お前天才だろぉ」 「あはは、そんなに褒めても肉の量増やしたりしませんからね」 「おべっか使ってるわけじゃねぇよ、まじですげぇなって思ったんだよ、手際よくテキパキ動いてたし流石だなぁって感心した」  手放しで褒められてなんだかモゾモゾしてしまい頭を掻く、ここまで素直に人から褒められた事なんて無いから照れくさいな。 「ありがとうございます」  作った料理がビールの進むおかずだったため、当然酒盛りが始まってしまった。彼のいる方のテーブルを見るとストロング缶がもう既に2本空けられている、いつの間にこんなに飲んだのかと思う程大量に飲んでいて驚いた。 「飲み過ぎじゃないっすか?」 「うん? 秋生の飯が旨くて酒が進むんだろぉー」  上機嫌なのかケラケラと笑う夏木さんだが、彼って飲む癖にすぐ酔うタイプだから、またフラフラになるパターンだなこれ……大丈夫かこの人。 「秋生も早く成人して酒を飲みたいねぇ」 「そうっすね、まだあと2年ありますし」  ジンジャエールをトポトポとグラスに注ぎながら相槌を打ち、手に持ったそれをゴクゴクと飲み干してぷはっと息を出す。まだ未成年だから酒は飲んだ事ないけれど、夏木さんと酒が飲めるようになったらきっと楽しいだろうなぁと思った。   暫く二人でテレビを見たり雑談したりしてまったり過ごしていると、冬馬と夜を過ごしていた時のような感覚になってしまい、つい隣にいる夏木さんの肩に寄りかかってしまう。  突然凭れかかってきた俺に驚きもせず当たり前のように肩に腕を回してくれる夏木さんの優しさに甘えてしまった。 「どうした?」 「……いや、何でもないんです……ただちょっと甘えたくなって」  そう言うと一瞬目を見開いた夏木さんだったがすぐにニコッと笑顔を浮かべて髪をくしゃくしゃっと撫でてきた。その掌の温度が心地良くて目を閉じる。すると不意に涙が頬を伝って流れていく感覚に慌てて目をこすった。  こうして家の中で誰かと一緒に居ると、冬馬との思い出が鮮明に蘇ってきてしまっていけない。忘れないといけないと思っているのになかなか上手くいかないものだ。 「う……ぐす……」  情けなく溢れてくる涙に嗚咽までこみ上げてきて鼻を啜る。涙を手の甲で拭い続ける俺を見ても何も言わない夏木さんは、黙って俺の肩を抱き寄せポンポンと頭を叩いてくるだけだった。 「……っ……すみません……」 「謝んなって」  優しいよな、ほんと、俺ってば甘えてばっかりだ。  しばらくそうして頭を撫でられていたが不意にその手が止まる。不思議に思って顔を上げると夏木さんは俺の頭を撫でたままくーくーと寝息を立てていた。チルい雰囲気になりすぎて眠たくなったらしい、まぁあれだけ酔っていたら仕方ない事だとは思うけれども。  腕を持ち上げて身体をずらすとなんとか床に寝かせることができたので、毛布をかけてあげた。  時計を見ると午後11時を過ぎていた、俺もそろそろ寝ないと、いくら明日が休みとは言え流石に生活リズムを崩すわけにはいかないよなと思い、  テーブルの上を軽く片付けて、風呂に入った後ベッドに入って眠りにつくことにした。 ───────────────……  翌朝目を覚ましても夏木さんはまだ寝ていた、昨日の酒を分解するのに時間が掛かっているのだろうか、そう考えながら彼をまたいでキッチンに向かう。  軽く朝ご飯を食べた後、服を着替えて洗面所から出ると丁度起きた様子の夏木さんと目が合った。 「おはようございます」 「ん……おはよ」  寝起き特有の擦れた声が妙に色っぽく感じてドキッとした。それから数分後ようやく覚醒し始めたのだろう、伸びをしてあくびを噛み殺しつつ身を起こす姿を見てホッと胸をなでおろす。  昨日はだいぶ飲んでいたみたいだし二日酔いになったりしてないだろうか心配になったからだ。 「おはようさん、泊めてくれてありがとな」 「いえいえ全然大丈夫ですよ。それより体調大丈夫そうですか?」   問いかけると夏木さんは苦笑しながら頭をポリポリ掻いていた。どうやら頭が少し痛いようだ。 「んーまぁ何とかなるっしょ」 「何とかって……心配だなぁもう……」  呆れ顔で肩を竦めると夏木さんはケラケラと笑って立ち上がり「そんじゃ帰るわー」と手を振って玄関へ向かった。 「え、あ、もう帰っちゃうんすか?」  靴を履いている背中を見て思わず声を掛けると彼は振り返り笑顔で答える。 「おう、あんま長居したら迷惑だしな」 「別に迷惑なんかじゃ……っ」  引き留めようとして口を開くが言葉が出ない、これ以上何を言えばいいのかわからないまま口を噤むしかなかった。   本当はもっと一緒にいたい、だけど引き止め方もわからないからどうしたらいいのかもわからなくて戸惑ってしまう。 「そんな寂しそうな顔すんなよ、帰り辛くなんだろ」  そう言われてハッとする、寂しいという気持ちを見透かされたような気がして恥ずかしい気持ちになった。  慌てて誤魔化そうと笑みを浮かべるものの、上手くいかず苦笑いを浮かべることしか出来ない俺を見て、クスリと笑った夏木さんは再び口を開いた。 「そんじゃ、もう少し居てやるよ」  俺の頭をポンと撫でニッと笑うと、夏木さんは靴を脱ぎ再び室内へ戻ってきてくれた。   安堵感に包まれると同時に嬉しさが込み上げてくる、先程まで感じていた寂しさが無くなっていき心がじんわりと暖かくなっていった。  良かった…… 心の中で呟きホッとして微笑む。 「安心したか?」 「あ、はい。すみません」  恥ずかしさを覚えつつも謝れば彼はフッと笑みを浮かべた。 「気にすんな、そんくらい素直だとこっちも安心するわ」    ポンポンと頭を撫でられるだけで嬉しくなってしまう自分に驚いてしまう。  夏木さんは俺の事ただの小動物みたいな存在だと見て接しているだけなんだろう事は分かってるつもりだが、それでもこうして優しくしてもらえるのはやはり特別扱いされているような気がして嬉しい。  やっぱり俺って恋愛対象が男性に向いてるんだろうか……。  そう思うと少しだけ複雑な気分になる反面、彼に対して抱いている仄かな感情に気付いてしまい、頬が熱くなった。  ソファに座っている夏木さんにコーヒーを淹れて差し出すと礼を言いながら受け取ってくれたので、俺も隣に座って一息ついた。  コーヒーを啜る夏木さんは大人の色気があって見とれてしまう。  顎に生えた無精ひげもワイルドさを醸し出していて凄く素敵だし、落ち窪んだ眼も渋くて魅力的に見える。  何考えてんだろ、俺。   はぁと小さなため息をつくとそれに気付いたのかこちらを見た夏木さんとバチッと目が合いドキッとする。 「どした?」 「いえ何でもありません」  咄嵯に出た嘘の言葉だったが特に追及してくる様子も無く「そっか」と答えただけだったのでホッとした。  今考えていたことを口に出して説明することなど出来ようはずもないからだ。もし気持ち悪いと思われてしまえば今まで築いてきた関係が壊れかねないのだから。  自分のマグカップに視線を移しコーヒーを口に含む、いつもより少し苦い気がした。  夏木さんは男が恋愛対象なわけじゃないし、俺なんか対象外だなんてことは分かりきっているのにどうしてこう自惚れたくなるんだろうか……。  冬馬との時みたいに結局俺の感情は何に進展するわけもなく、そのまま失恋という形で終わってしまうことになるんだと思うと悲しい気持ちになるのは当然のことだった。  この先も報われない恋ばかりしていくのかなと思うと胸が苦しい。 「あーーーーーーーー、恋人欲しいなーーーー」   ソファの背もたれにボフッと頭を預けてだらけきった声で呟いてみると隣でコーヒーを啜っていた夏木さんがピクリと反応したのが見えた。 「なんだよ急に」  呆れた様な口調で言われ、溜息混じりに視線を寄越される。 「いやーなんか色々疲れてたって言うか、誰かに癒してもらいたいなーって思って」 「まぁそう言う時もあるわな、俺だって寂しい時は人の温もりを求めちまうしな」  そう言った後自嘲気味に笑う彼につられて笑ってしまう。そうだ、俺は夏木さんに恋人が居るかどうかすら知らないのだ。  もう三十路だしすでに結婚間近の相手が居たって何もおかしくはない。   馬鹿だな、なんでこんな当たり前のことにも気づけなかったんだろう。一人で浮かれて悩んで落ち込んで……ほんとバカみてェじゃん。 「ははは、確かにそうですね。俺がこんなこと言ってもしょうがないんですけど」   乾いた笑いを漏らしてから俯いていると夏木さんは小さく息を吐いて呟くように言った。 「秋生にゃすぐ次ができるさ、心配するこたねぇよ」 「そうっすかね」 「そうだよ」  自信なさげに俯く俺を見て困ったように眉を下げながらも、慰めるように言ってくれる夏木さんの言葉はとても優しくて残酷だった。 ───────────────……

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