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第26話

 翌日待ち合わせ場所に行くと既に待っていた夏木さんの姿があった。  私服姿なんて毎日見てるから見慣れてはいるものの、これがデートだと思うと妙にドキドキしてしまって落ち着かない気持ちになる。  俺も今日はちょっとおしゃれして七分丈のパンツと白いシャツを合わせてきたつもりだけど、どうだろう似合ってたらいいけどな。  小走りで駆け寄るとその足音に気付いた彼が振り向いて手を振ってくれた。 「お待たせしました……!」 「おー、おはよぅさん」  ドキン、彼の顔を見て胸がときめく。いつも生えている無精ひげが綺麗に剃られていたからだ。  え、これってまさか俺だけのためにしてくれたのかな……だとしたら嬉しすぎるのだが。 「ど、どしたぁ? 俺の顔じっと見て……何かついてんのか?」 「髭生えてないと印象変わりますね。いつもより若く見えます」 「お、そうか? 昨夜あの後、職質されてよぉ、そんなに景気悪そうな顔してんのかと思って髭剃ってみたんだわ」  そんな事だろうと思ったよ。  ぬか喜びしていた自分に落胆しつつ心の中でツッコむ。普通に考えて野郎同士で水族館行くのに、お洒落なんてするわけないか。  そりゃそうだよなと思い直して自嘲気味に笑った。 「そう言えば、去年も水族館行きましたよね」 「そういやそうだったな、アザラシのぬいぐるみ、まだ売ってるかな」 「あんなデカいのもう一個買うんですか?部屋の中ぬいぐるみだらけになりますよ」 「いいんだよ、俺の部屋に置くんだから」  そんなことを言いながら入場券を買い中に入ると、連休中なだけあって家族連れが多く見受けられた。 「独身野郎二人ってのはちときついなこりゃ」 「はい……浮いてますね、俺等」  周りを見渡してみるとカップルや親子ばかりで、とてもじゃないが男二人連れの俺達が入る雰囲気ではなかった。しかも後ろを歩くファミリーの子供に「ねーお母さん、あれカップルなのぉ?」と言われてしまいグサッと心に刺さるものがあった。  隣にいる夏木さんも「カップルはきついな~」と頭をぼりぼり掻いている。  カップルに見えるのは嫌なのか、とちょっとだけショックだったが考えてみれば当たり前のことなのでグッと堪える。  夏木さんは本当に気にしていないようでスタスタと先へ進んでいくと、ケープペンギンの水槽の前で立ち止まった。  暑いからか大勢のペンギンが水槽の中をスイスイ泳いでおり、まるで空を飛んでいるようだった。 「涼し気で良いっすね」 「だなぁ、こいつら陸の上だとよちよちしか歩かないくせに泳ぐときは早ぇんだもんな。水ン中入る前に準備運動でもしてんのかね」 「はは、ホントですね」  そんな事を話している間も俺の視線はずっと隣に立つ夏木さんの横顔に向けられていた。真剣にペンギンを見ている眼差しはとても優しくて素敵だなと思っていた矢先、ふとこちらを向いた彼と視線が絡まり思わず心臓が跳ね上がる。 「ん?どしたん」 「や、ほんとペンギン好きだなーと思って」  内心動揺しながらも平静を装って言うと彼はニコッと微笑みながら「おう、可愛いからな」と答えた。  可愛いのはアンタだよぉぉぉぉ!!!!  その後もラッコのコーナーだったりアザラシのコーナーだったり海の生き物たちのコーナーのたびに夏木さんが足を止めて目を輝かせるので、その度にキュン死させられていた気がする。 「そういえば、夏木さんって動物園は行かないんスか?可愛い動物いっぱいいますよ」 「う~ん、ガキの頃、動物園の猿にうんこ投げつけられたことがあって、それ以来トラウマっつうかなんか避けちまうようになってなァ」  えぇ、動物園の猿ってそんな事するんだ。 「えっ! 大丈夫だったんです?!」 「最悪も最悪だぜ、他のクラスメイトから“うんこマン”って仇名つけられちまってよー。未だに思い出すだけで腹立ってきてムカつくんだよなァ」 「うわー……、ガキだってのもありますけど酷いことしますね、そいつら」  子供の頃にそうやって傷ついた経験があるから、夏木さんって場の空気を読んだり人の機微を察したりする能力に長けているのかも。そう思うと何となく納得したような気がした。 「今の俺がその頃の夏木さんの近くに居たら絶対庇ってあげたのに」 「ふはっ、あん時お前がいたら、どうなってたかねぇ」  笑い飛ばしてはいるが、きっと当時は傷ついていたに違いない、それでも何でもない風に振る舞える夏木さんはやはり大人だと思った。  館内を一通り楽しんだ後はお土産コーナーで色んな海の生き物のグッズを眺めて回ったりして時間を過ごした後、外に出る頃にはちょうど日暮れ時だった。 「たのしかったなー」 「ですね。つか、夏木さん結局ラッコのぬいぐるみ買ったんですね、部屋どーする気ですか」 「いーんだよ、どうせ独身だしとやかく言う奴はいねぇから」  彼の手の中にはフワフワのラッコのぬいぐるみが入った袋があって、ついクスリと笑った。  ほんと可愛いものに目が無いよなこの人。そんなところが子供っぽくて可愛らしいのだけれども。 「さて、この後どうします? このまま解散します?」 「そうだなァ、どっか食い行ってもいいし。どうする?」  時刻は午後6時過ぎ頃だ、今から晩飯を食べるには丁度いい時間帯ではあるがどうするかと言われれば答えは一つしかなかった。 「行きたいです!」  折角夏木さんと二人きりでご飯を食べられるチャンスを、みすみす逃したりはしない。元気よく答える俺を見て夏木さんは小さく吹き出した後にククッと笑った。  適当に食べログで検索したところ、近くにいつも行く激安居酒屋チェーンの店舗があったのでそこへ向かう事にした。店内に入ると客層が悪いせいで騒がしいのなんの。テーブル席に通され向かい合わせに座り、とりあえず注文をする為にタッチパネルを操作した。 「どれにするかなぁ~。どれも美味そうだけど」 「港が近いからっすかね、刺身のメニューが多い気がします」 「あぁ、なるほどなァ」  旬の魚盛り合わせや定番の枝豆などを頼むと、すぐにドリンクが来たので乾杯をして飲み始める、氷でキンキンに冷えたジンジャエールは喉越しが良く一気に半分ほど飲んでしまった。 「っはぁ~~~~~……っぱ秋はビールだわ~! うめぇっ!」 「あはは、夏木さん年中ビールじゃないっすか」 「うるせぇ、気分だ気分。まぁでも最近はハイボールにすべきかなーって思い始めてるけどよ」 「何で?」 「ほら、腹がな。出てくるからよ」 「そうなんすか?」  言われても夏木さんは細身だからよくわからない、でもビール腹という言葉もあるしそろそろ健康面で心配なのかもしれない。  暫くすると料理がやってきたので会話を中断し、箸を手に取った。  新鮮な魚の刺身に舌鼓を打ちながら他愛もない話で盛り上がっていると時間はあっという間に過ぎ去っていくもので気が付けば21時を過ぎていた。明日も休みだがこれ以上飲むわけにもいかず会計を済ませると店を出た。  夏木さんは相変わらずベロベロになっているが歩けないほどでもないようだ。これから電車に乗って家まで帰るのにちゃんと帰れるのだろうか。「送ってきます?」と声をかける俺に彼は首を横に振った。 「んなもん、酔ったうちにゃ入らねーから大丈夫だっつうの」 「酔っ払いほど酔ってないって言うんですよ、それ」 「平気だってば」  ブイ!とピースサインを見せる夏木さんを横目に溜息をつく。  まぁ記憶が無くても家に帰れるのが自慢だって言ってたくらいだし本当に問題ないのだろうと思うが、おやじ狩りみたいなのに出くわさないことだって限らないのだから一応念のためだ。 ───────────────……  最寄り駅で電車を降りた後は、大丈夫と言い張る夏木さんを説得し一緒に歩いて彼を自宅アパートへと送り届けることとなった。  駅から5分ほど歩いたところにある木造二階建ての古いアパートの一室が夏木さんの住まいだ、築40年を超えているであろう外観からしてかなり老朽化が進んでいるのが分かる。  部屋の前まで来ると慣れた手つきでポケットから取り出した鍵を使ってドアを開け、玄関に靴を脱いで上がった瞬間バタンと音を立てて倒れたのを見てギョッとした。 「ちょっ……! 大丈夫ですか?! しっかりして下さい!」  うつ伏せに倒れている体を仰向けに起こすと夏木さんはラッコのぬいぐるみを抱きしめて、むにゃむにゃと気持ちよさそうに眠っていた。どうやら酔っ払って眠ってしまっただけのようだ。  ホッと胸を撫で下ろすと同時になんだか呆れを通り越して笑えてきた。  全くこの人は……。 「夏木さぁん、起きてくださいよ~、ここ玄関ですよぉ?」 「ん~……むにゃ……」  駄目だこりゃ。  それにしても無防備にも程がある、その寝顔を見ていると胸の奥がキュッとなって苦しくなった。  どうしよう、今ならキスしてもバレないかも、なんて邪なことを考えてしまう自分が嫌になる。今まで散々我慢してきたのに、ここで欲望に負けてしまっていいのか?いやダメだろと脳内会議が開かれて否決される。  そんなことしたら嫌われるかもしれないんだぞ。何やってんだバカ野郎。  自分に言い聞かせるように心の中で悪態を吐くと何とか理性を保つことができた、危なかった。  あと少し遅ければ衝動的に唇を奪っていたところだ、寝込みを襲うなんて最低極まりない行為は絶対にしたくないと思っていたのに、こんなところで自制心が効かず手を出しかけた自分を殴りたくなる。  とにかく起こしてしまわない様に慎重に彼の万年床と思われる敷布団の上に移動させ、ふぅーっと息を吐いて額の汗を拭う。掛け布団をかけてやると小さく唸ったが起きる気配はない様子だ。  安心しつつも無防備な姿にムラムラしてくるので、なるべく見ないようにして自分もその場を後にした。帰り際にちらりと振り返ると壁に向かって眠る夏木さんの背中が見えた。  その姿を見ると寂しさが込み上げてきて何とも言えない気持ちになった。  家に帰ってシャワーを浴びてからベッドに入って目を閉じる。今日はとても楽しかった、夏木さんとデートできたし、彼の過去の秘密も一つ知れた、それだけでも満足だったはずなのに欲張りな心はもっと欲しいと望んでいるのだ。  我ながら貪欲なものだと思う、こんなに舞い上がって、本当に夏木さんへの気持を諦める事なんて出来るのだろうか。自分自身のことなのに自信がなかった。 ───────────────……

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