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第27話
「それって、結局アキ先輩が辛いだけじゃないっすかぁぁ~」
連休最終日、ハルに喫茶店に呼び出された俺は、先日夏木さんと水族館に行ったことを話した。すると、ハルは咥えたストローを上下にピコピコ動かしながら不機嫌そうに言った。
「アキ先輩さあ……そんなんでほんとに諦められるんすか?」
「いや、でもさぁ、好きな人に水族館行こうぜ、なんて誘われたら行くしかねーじゃん……」
実際とても楽しかったのだ、夏木さんの過去の話をすこーしだけ聞けたこともあったし。
「って良いんだよ俺の話は、ハル君は俺に用事があって呼び出したんじゃねーの? フェスの話とか?」
「アキ先輩がアホ面で惚気話するせいで、何話そうとしたかなんてもう忘れましたよ。つか何すか、用事が無かったら呼んじゃダメなんですか」
うわーめっちゃ機嫌悪ぃ。そんなに俺が夏木さんとデートしたことが悪手だったのか?
確かに夏木さんの事を諦めると言っておきながらデートして諦める気あんのかって怒られれば、ぐうの音も出ないけどさ。
「悪かったよ、どうせ俺ってやつは優柔不断なヘタレだ。ごめんな、嫌な思いさせて、用が無いならじゃあもう解散しようぜ。お互い時間勿体無いしさ」
伝票を掴んで席を立つと、ハルは「うぐぅ~~~!」と奇妙な声を出して、会計に向かう俺の腕を掴んだ。
「何でそうなるんすか! 別にアキ先輩の事、責めたいわけじゃなくて……。ああクソ! 場所変えましょう!」
店を出て歩くハルの後を追って、電車に乗って揺られること数十分、俺達は房総半島の端にある海水浴場に来ていた。連休最終日だったがもうシーズンを過ぎた海は閑散としていて、犬の散歩をしているお爺さんがいるだけだ。
地平線の向こうでは、傾き始めた明るいオレンジ色の太陽が水面をキラキラ光らせている。波音と、風に吹かれて鳴っている松林の葉擦れだけが聞こえて、ここはまるで別世界みたいだと錯覚させるほど静かだ。
「ここ、シーズン中はサーファーとかで賑わうんすけど、もうシーズンオフなんでほとんど人も居なくて、穴場なんですよ」
「へえ、よく知ってんなぁこんな所。俺、海見たの小学生ぶりかも」
「地元なんで。昔から、ちょくちょく来てたんすよ」
そうか、ハルは千葉出身だったのか、だから関東近郊に土地勘があって色々店やクラブに詳しいのか。
砂浜に座り込むと、隣にハルも腰を下ろして、膝を抱える。
「俺、子供の頃から息が詰まると、海見たくなるんすよね……。別に先輩と話してて息が詰まったとかそういう訳じゃなくて……なんつったら良いか分かんねえけど……」
「……だから悪かったって、いつまでもウジウジしてる奴の話なんて聞いててもつまんないよな」
「ちげーっすよ、なんつーか……モヤモヤして言語化できない感情ってあるじゃないすか、今はそう言う気分なだけで……」
ハルは顔を伏せてそう言った。その言葉がいつもの軽薄さを帯びていない事に気がついて、俺なんかが付いてきちゃって良かったのかな、なんて心配になる。
「俺、こう見えて家系エリートなんすよ、親戚も代々医者か弁護士やってて、だから当然俺も医者になって実家を継がなきゃいけなくって。ガキの頃から勉強漬けで……親も厳しいから。だから、家に居ると息の仕方が分からなくなるんです、それで学校の帰りに塾サボって、海見に行ってました」
「そう……なんだ?」
今の奔放なハルの見た目からは想像もできない意外な過去を聞かされて、どう返して良いのか分からず曖昧な返事をした。
膝の間に顔を埋めたまま淡々と語ったその内容は、最近よく聞く教育虐待という奴だろうか。
親の期待を一身に背負わされて生きてきたハルは、高校1年生の夏に心の病気になってしまったらしい。
「海見てるとさ、心が落ち着くんすよ。潮の匂い嗅いでると何だか懐かしい感じがして安心するし、水平線を見ると地球の大きさを感じて、自分の悩みなんてちっせーもんだって思えるっつーか」
「今何か悩んでんの?」
「それが言語化できないんすよ、さっき言ったみたいにモヤモヤ~って感じで……。アキ先輩が楽しそうに夏木先輩との話をするのを見ると俺も嬉しいんすよ、でも、先輩の恋は諦める前提じゃないっすか、それは嬉しくないんすよ、嫌なんすよね」
珍しく口ごもりながら言ったその言葉に、少し驚いた。普段から茶化してばっかりだけど、彼なりに俺のことを考えてくれていたのだろう。だのに、俺が夏木さんと水族館デートをしちゃったなどと楽し気に話していたからきっと苛立ってしまったんだ。
「ごめんて……」
「そうじゃないんス、あ~~……だから……。なんつったらいいか……その……“何で俺じゃないんだろう”って思っちゃうんすよね、それならみんなハッピーじゃないっすか、なのに何で俺は選ばれなくて、アキ先輩が選んだのは夏木先輩で……」
彼はうーん……と唸って砂浜の上にばたりと仰向けになった。砂まみれになりながらもぞもぞと手足を動かして、俺の方を見て、へらっと笑う。
「分かんねーや、何が言いたいんだろ……」
自惚れかもしれないが、何となくハルが俺に対して気があるんじゃないかと気づいてしまった。だけど彼がその答えに気付いていないのに俺が「ハルって俺の事好きなの?」なんて聞ける程、俺は図太くないし空気が読めないわけでもない。
ただ純粋に、彼の中にある気持ちが友情なのか恋情なのか分からなくて戸惑っているように見えるのだ。
しばらく二人でぼーっと夕日を眺めていると、ハルが急に立ち上がって伸びをした。
「あーあ、整形したら、もっと人生イージーモードになるかと思ってたんだけどなー」
「へぇ? 悩みなんてあんの?」
「ありますよ、俺って意外と繊細だし」
ハルは振り返って笑った。太陽の光が逆光になってオレンジ色の輪郭がぼやけているけれど、口元は確かに弧を描いていた。
「見てくださいよ、もうすぐ日暮れっすね。水平線に太陽沈んでいく瞬間なんてめっちゃ綺麗っすよ」
オレンジからネイビーへのグラデーションの中に、今にも消えそうな小さな星が一つ浮かんでいた。空は紺色と紫を混ぜたような複雑な色になっていて、下の方を見れば群青色の海面が輝いている。
遠くの方で船の汽笛が鳴って、波が寄せては引いてを繰り返し、時折足元の砂をさらっていく。
空にはぽつぽつと星が瞬き始めて、昼間よりだいぶ気温も下がってきて肌寒いくらいだった。
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