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第29話

 正月にハルにキスされてから半年以上が経った、あれから特に進展もなく何事もないまま日々は過ぎている。  ハルの事はまだよくわからない、彼の事が気になるのだって彼の顔が冬馬に似ているからというのが大きくて……こんなこと言ったら申し訳ないが、未だに俺はハルを「冬馬の幻」のように思っている節がある。そんな状態で彼の気持に応える事なんかできる訳もなく、のらりくらりと返事を避け続けている。  そんな中9月に俺は二十歳の誕生日を迎えた。 「「「かんぱ~~~~い」」」  カシャン!とグラスを鳴らし合う、安っぽいガラスの音がガヤガヤとした居酒屋の中に響いた。初めてのビールの味はどうかというと、苦くてあまり美味しくは無い。でもこれが大人の味か、とジョッキを傾けごくごくと喉を鳴らして流し込んでみた。 「お~、あんまハイペースで飲むと酔っちまうぞ」  そう言って笑う夏木さんはいつもよりずっとご機嫌で、ちょっと酔っているのか頬がほんのり赤い。いつもは仕事終わりに皆で夕食を食べるだけなのに、今日は俺の誕生日だからってハルと二人で食事をご馳走してくれたのだ。 「ただの誕生日ってだけなのに、こんなにしてもらってすみません……しかも奢ってもらっちゃって」 「いいって、秋生の二十歳のお祝いなんだから俺らにも祝わせろよ、ほらどんどん食え食え」 焼き鳥を串から外しながら言う夏木さんの横でハルがうんうんと頷く。  ハルと海に行ってから約一年、俺達はあれから特に感情に関して言及することもなく、良い友人として仲良くやっている。  夏木さんへの気持に関しても、ある程度整理がついて来ていて、まあ完全に吹っ切れたかと聞かれればNOだが、大分冷静に考えられるようになったと思う。 「あ~、俺も早く二十歳になって三人で酒飲みたいな~!あと7か月もあるのかよ」  ハルが唇を尖らせて不満そうに言うと、それを見た夏木さんが「あ」と声を上げる。 「そうだったな、お前等に言っておいた方が良いかもしれんなぁ。実はさ、工場辞めることにしたんだよね」  何でもないことのようにサラっと告げられた言葉に驚きすぎて何も言えなかった。代わりにハルが身を乗り出して聞き返す。 「えっ!? マジすか!?!?」  工場辞めてどうするの、転職するのか?頭の中に一気に色んな考えが飛び交って上手く言葉が出てこない。そんな俺を見て、夏木さんはケラケラと笑った。 「何だその顔、別に今すぐどうこうって話じゃねえよ、前の会社で世話になった人が一緒に起業しないかって誘ってくれてさ、実は今年の夏から兼業しててな。で、そろそろ軌道に乗ったから本格的にやろうと思ってよ。一応春までは工場に居るつもりだ」  ポカン、と空いた口が塞がらない俺を置いてけぼりにして、夏木さんはニコニコと話し続ける。 「え!? 何の会社っすか? 超気になるんですけど!!」 「こういうジョッキとかマグカップにオリジナルのロゴとかをプリントして販売すんの、配信者だとかのグッズとかで良く使われてるやつ。まァまだ出来立てホヤホヤの小さい会社だけど、それなりに受注取って利益出てるし安定して来たからいいかなってさ」  夏木さんはそこまで説明してからぐいっと残りの酒を呷り、カンっと空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。  いつの間にそんな事をしていたのだろうか。と言っても休日まで一緒に遊ぶことなんてほとんどなかったから知らなくて当然だが、それにしても来年の春退職って、急すぎないか。  これからも俺とハルと夏木さんの三人でこうやってのらりくらりと楽しく暮らしていくんだと思っていたから、本当に驚いて言葉が出ない。 「だから、悪ぃ! 来年のハルの誕生日は祝ってやれねぇわ!」  あっはっは!と笑って頭を掻く夏木さんに「ちぇー」とハルが口を尖らせる。 「そ、それにしても急っすね……もっと早く教えてくれりゃよかったのに……」  やっとのことで絞り出した声は自分でも笑えるくらいに動揺していて、それを聞いた夏木さんが困ったように眉尻を下げて笑った。  彼の手元に置かれた黄色の液体の中でしゅわしゅわと炭酸が弾けているのを眺めながら、なんだか胸がざわつくような嫌な感じがする。  もしかしたら、このままバラバラになってしまうんじゃないかという嫌な予感が俺の不安を掻き立てていた。 「秋生は寂しがり屋だからな、言おう言おうと思ってたんだが、タイミング逃しちゃってよぉ~」  茶化すように笑う彼を見ながら小さくため息をつく。夏木さんの言う通り、きっと俺はどのタイミングで言われたとしてもこうして動揺を隠しきれず彼を困らせてしまうんだろうな、と思ったからだ。 「こ、子ども扱いしないでくださいよ……はぁ、まぁでも、おめでとうございます、会社が上手くいきそうで良かったですね」  作り笑いを張り付けてそう言うと、隣に座っているハルがテーブルの下で俺の指に触れてきた。ちらりと見ると、心配そうな目でこちらを見詰めていて思わず苦笑してしまう。俺ってそんなに感情が顔に出るタイプだったっけ。  誤魔化すようにジョッキを持ち上げると中身がほとんどないことに気付いて、もう一杯ビールを注文した。  俺は下戸だったらしくこの2杯のビールだけでベロンベロンに酔っぱらってしまい、それからの記憶は曖昧で、気付いたら自宅のベッドの上で朝を迎えていた。 ─────────……   ズキズキと痛む頭を押さえながら起き上がり水を飲もうとキッチンへ向かおうとすると、リビングに置いてあったソファの上でハルが眠っている事に気付いた。状況から察するに酔っぱらった俺を彼がベッドまで運んでくれたんだろうか。  水の入ったペットボトルを冷蔵庫から出してパタンと扉を閉めると、その音に反応してか眠っているハルが「うーん……」と唸り声をあげて目を擦った。 「あー……先輩、オハヨーっす……」  ふわぁ、と欠伸をする彼に釣られて俺も大きく口を開けながらおはよう、と答える。時計を見ると朝の6時、出勤にはまだ早い時間だ。 「……昨夜、もしかして送ってくれた?ごめんね、俺途中から全然記憶無くて……」 「先輩昨日はもう、夏木さんが居なくなっちゃう~!って泣いて大変だったっすよ」 「は……」  嘘だろ、と口をポカンと開けて固まる俺に、ハルは「嘘っすけど」と付け足す。 「先輩意外とポーカーフェイスっすね、夏木さんが工場辞めるの意外と平気なのかなって思っちゃったんすけど」 「……そんなことないよ、本当は凄く寂しいけどさ、夏木さんの人生だもん。俺がどうこう言うことじゃないし……」  起き上がったハルの隣にポスンと座って膝を抱える、俯いた俺の顔を覗き込んだハルがぎゅっと抱きしめてきた。 「大丈夫、俺が傍に居ますからね~、先輩が寂しくないように」 「や~め~ろ~よ~」  抱き付く彼を引きはがして距離を取ると、その拍子にコテンと横に倒れたハルはそのまま寝転がりクスクスと笑う。 「あはは、先輩顔真っ赤だよ」 「うっさい馬鹿、センチメンタルな気分なんだ、茶化すなよ」  もう一度膝を抱え直してそこに顔を埋める。だって寂しいものは寂しいんだ、今までもこれからもずっと一緒だと思ってた三人の絆がこうもあっさりと崩れ去ってしまうなんて。 「所詮、仕事仲間に過ぎないんだよな……俺達三人の関係って。」 「俺と付き合えば解決するんじゃない?」 「駄目なんだよ……、お前じゃ……」 「何で?」と尋ねる彼に何も言えないまま俯く。  この数か月間、ハルに対して何も心動かされなかったわけじゃない、でもそれは彼が冬馬に似ているからであって決して彼自身に惹かれたというわけではなかった。そんな不誠実な理由で付き合うわけにはいかないだろう、やっぱり。だってそんなのハルをジェネリック冬馬として利用してるみたいで嫌じゃないか。 「頑固だなぁ、先輩も……俺が嫌なら理由くらいちゃんと教えてくださいよ」 「だからいつも言ってるじゃんか、ハル君のせいじゃなくて俺の問題なんだって」  ぶぅ、と頬を膨らますハルの肩をポンポンと叩いて宥める、彼は不満げにしながらもいつもそれを受け入れてくれる、優しい男だと思う。  俺が嫌だと言ったからセフレを作るのだって辞めてくれたし、あれからキスもしていない。見た目はチャラチャラしてるけど誠実なんだって知っている、だからこそ辛いんだよ。 「何で俺なんか選んじゃうかな……」  ついポロッと口から零れ落ちてしまった独り言を慌てて飲み込み隣を見ると、ハルはスマホを弄りながら「仕方ないっしょ、選んで好きになるってできないっぽいんだからさぁ」と言って笑っていた。 ───────────────……

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