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第31話
とある金曜の夜、最近は企業仲間とばかり夕食を摂っていた夏木さんが今日は珍しく俺達と一緒に食事をする事になった。正直ハルと二人きりだとどうしても付き合う付き合わないの話になってしまうので、夏木さんが居てくれると緩衝材になってくれるからありがたい。
他愛のない話をしながら食事をしていると、ハルのスマホが鳴った。
「ハル君、電話じゃない?」
「っぽいっすね、ちょっと失礼します」
席を離れるハルに夏木さんが「何だぁ? 彼女かぁ~?」と茶化すが、ハルは「ちげーすよ」と苦笑いしてトイレの方へ消えていった。
「ありゃ彼女だな」
ハルが居なくなった後俺にコソッと耳打ちしてくる夏木さんに苦笑いをする、まさかハルが俺に気があるなんてこの人は思いもしないんだろう。普通に考えたら当たり前の事か、と思いながら「そうなんすかねぇ」なんて適当な返事をしていると、電話を終えたハルが慌てた様子で戻って来るなり「すんません、ちょっと用事できたんで俺今日はこれで帰ります! お疲れ様です!」と言い放って風の様に去って行った。
「ほら、あの反応は女だぜ、今すぐ帰ってこいなんて我儘言われたんだろ、大方」
「はは……」
内心穏やかじゃなかった。
だって、ハルは俺の事が好きなんだぞ?女の影なんてある訳ない。
そう思うのだが以前ドライブデートをした時に「出会いがない訳じゃない」と言っていた事をふと思い出してしまう。ハルが冬馬に似ていてモテるのは事実だし、いつまでも煮え切らない態度でいる俺にいつ愛想を尽かして別の人を選んでしまうかなんて、そんなの分からないじゃないか。
そう考えに至ってからはもう夏木さんの話なんて頭に入らず、ぐるぐるとハルが他の人を選ぶ姿ばかりを想像してしまい、食事もろくに喉を通らなかった。
「またなー」
駅前で夏木さんと別れた後、俺は自宅ではなくハルの家の方へと足を進めていた。
ハルのアパートが近づいてくるまでは感情だけに突き動かされていたのだが、次第に冷静になってしまい、もし彼とその恋人が一緒に居る所に出くわしてしまったらどうしよう、だとか、仮に鉢合わせしたとして、なんて言い訳したらいいんだろうとか、最悪その場で修羅場になってしまったりするんだろうか、などと考え始めると途端に足が竦んだ。
しばらくハルのアパートの前でウロウロと行ったり来たりを繰り返していると、ハルの部屋の方から男女の笑い声が聴こえてきて心臓が大きく跳ねた。
ハルの声と知らない女の人の声だ、しかもかなり楽しそうだ。
電信柱の影から玄関の方を伺ってみると、ガチャリと戸が開いてハルの部屋の中から、このクソ寒い時期にミニスカートを穿いた若い女が出て来た。
二人の様子からは何だかとても仲良さげな空気が感じ取れてしまって、俺の頭の中はもう大混乱だった。
「じゃーね、また連絡ちょーだい」
「おーう、またなー」
二人は軽い挨拶を交わすとハルの部屋から出てきた女はこちらの方へ向かってきた。やばいと思った俺は慌てて物陰へと隠れると、女が足早に来て俺が隠れている場所を通り過ぎて去っていった。近くで見たら可愛い顔をしていて、俺なんかと比べたら失礼だけど、ハルの隣に並ぶにはピッタリな子だと思った。
「うぅぅ……」
そのままその場にしゃがみこんで両手で頭をぐしゃぐしゃと搔きむしった。嫌な感情がどんどん湧いてきて吐きそうだ、いや、そもそもなんでこんな衝動的な事をしているのか、自分でも良く分らないけど今凄く惨めな気持ちになっている。
暫く蹲っていると再びハルの部屋の玄関が開き、ゴミ袋を両手に下げた彼が出てきてこちらへと向かってくるのが分かった。
咄嗟に顔を膝に埋めて隠してみたものの、こんな所でしゃがみ込んでるなんて怪しいにも程があるのでもう駄目だと思って身を硬くすると、目の前に気配を感じた。
「……先輩?」
恐る恐る顔を上げると、驚いた顔をしたハルがそこに立っていて、俺が何か言うよりも先に手にしていた袋を置いて俺の隣にしゃがみ込んだ。
「何してんすかこんなとこで」
「い……や、偶然だな。帰り道でバッタリ会うなんてさ」
「いや、先輩の家、駅の反対じゃないっすか……。」
我ながら苦しすぎる言い訳だと思う。訝しげに俺を見るハルの視線に居た堪れなくなって立ち上がると、ハルもつられる様に立ち上がった。
「先輩、もしかして俺に会いに来てくれたんですか?」
さっきまであの女と会っていたのによくそんな事聞けるな、と思うのだけど、ここでそうだと答える事もできずに黙り込む。
彼は電信柱の近くに設置してあるアパートの共同ゴミ捨て場の中にゴミ袋をポイポイと投げ入れた。そして両手をぱんぱんと払う仕草をすると、こちらを振り返って照れたように笑った。
「ここで立ち話もなんですし、家行きましょ」
「いや、俺は……!」
「いいから、ほら行きますよ」
ぐいっと腕を引かれ、そのままスタスタと歩き出したハルに引っ張られるように歩き出すと、あの女が出て来たばかりのアパートへ連れ込まれた。
部屋に上がると人が来ていた名残として、二つのマグカップがテーブルに置かれていた。
「あー、さっきまで人来てたんすよ、女の人。先輩すれ違わなかった?」
「やー、どうだろうなー、わかんないなー……」
ぎこちなく返事をする俺を不審に思ったのか、ハルは少し首を傾げていたがそれ以上突っ込んで聞いてくる事は無かった。
ええ、すれ違いましたとも、このクソ寒い中ミニスカで男を誘惑するような女でしたとも!しかと見届けましたよ、この眼で!!
「マグカップ洗うんで飲み物はちょっと待っていてください」
「あ……あぁ、いいよ、寄っていくつもりは無かったから……」
「? 家来るつもりはないのに家の前に居たんすか?」
だからそれはー……と口籠りながらキッチンに向かうハルの背中を見つめる。やっぱり女の気配がそこかしこにある、甘ったるい香水の匂いがこびり付いているような感じがして、ゴシゴシと自分のコートを袖で擦った。
「……ハル君ってさ、俺の事好きなんだよね?」
「好きですけど?」
ハルはさも当然かのようにケロっとした顔で言った。その言葉にぐっと胸が詰まりそうになるけれど、なるべく平静を装って言葉を続けた。
「お、俺なんかの、何処が良かったわけ……?チビだし、愛嬌無いし、顔だって良くないだろ」
自分で言ってて悲しくなるが本当の事だ。だって今までモテた事なんて無いし、童貞だ。 でもハルはそんな俺の言葉にも顔色一つ変えずに首を傾げてみせた。
「何卑下てんすか……。そうですねぇ……しいて言えばセフレ断ってきた事ですかね」
「はぁ?」
「俺、自分で言うのもなんですけど、イケメンじゃないっすか。整形でイージーモードだって思ってたのに、アキ先輩ったらセフレは断るって言い切ってきたっしょ。そしたらさ、心捲ってみたいって思うじゃないっすか、普通」
洗い終わったマグカップを布巾で拭って俺の前にコトンと置くと、インスタントコーヒーの粉をそれに入れてトポトポとお湯を注ぎながらハルは何でもない風にそう言った。
「めくる……」
「そう、真面目腐った奴の本性暴いてみたいなーって、でも、アキ先輩本性も何もそれが素なんですよね。だからクラブでオッサンにホイホイついてくし、ほっとけねーなーって……まぁ、それで一緒にいるうちにだんだん、アキ先輩って自ら自分を苦しめる癖あるなぁって思って、ハッピーになれる道もあるのに、どうしてそうしないんだろう、俺が教えてやった方が良いんじゃねーのって思うようになって……」
う……耳が痛い話だ……。
「でぇ、俺と一緒に居ればこの人幸せになれるのになーって。それで多分好きになったんすよ」
はいどうぞと出されたコーヒーに口をつける、苦くて暖かい味に思わずホッとため息が出る。それを黙って見ていたハルは同じようにコーヒーを一口啜ると言葉を続けた。
「これで満足っすか?結構ハズいんすけど、こういう事話すの……」
「え……あ……うん」と何とも間の抜けた返事をすると、ハルはコーヒーをごくりと一口飲んでからちらりと俺を見た。
「じゃあ、俺からも意地悪な質問してもいいっすよね。何で先輩、今夜家に来たんすか……?」
意地悪そうに笑ってそう言うハルに一瞬言葉に詰まる。でも、ここまで来てしまったら何を言っても一緒だ、どうせもう半分以上バレているんだから。そう思った俺は覚悟を決めて深く息を吸い込んだ。
「ハル君の“女”がどんな人か気になって……その……見にきた……」
「……女?」
「……な、夏木さんが、あの電話は絶対女だって言うから……その……」
俺の事が好きな癖に何で女なんかって思って……と言葉尻になるにつれて声が萎んでゴニョゴニョと小声になっていくが、大体言いたいことは伝わっただろう。
「あー……、そういう事すか」
ハルは大きくため息を吐くと、カップをテーブルに置いて後頭部をガシガシと掻きむしった。
「夏木さんさぁー……あの人鋭いんだか頓珍漢なんだかわかんねぇよな……ほんと。まぁ半分は当たりっすね、女でしたよ、昔のセフレっす。」
やっぱりぃ……ヨリを戻したんだぁ……と心がベキベキ音を鳴らし出す。そんな俺には構わずハルは言葉を続けた。
「あっちもフリーになったからまた関係しようって持ち掛けられたんすけど、断りましたよ。先輩がセフレ作る人嫌いだっていうから。まぁ、悪い条件じゃなかったんすけどねぇ~……。先輩責任取ってもらえますぅ?」
ニヤリと口の端を上げて笑うハルが色っぽくてドキリとする。責任を取れだなんて、一体どういう責任を負わされるのだろう、と固まっていると彼は「ふはっ」と噴き出した。
「冗談ですよ、先輩と付き合いたいのに態々地雷原突っ切るような真似しませんて」
「も、もう! ハル君の冗談って分かりにくいんだよ!!」
顔がかぁーッと熱く火照って思わず両手で覆う。今のは完全にからかわれたのだと分かるけれど、それでもハルの口から“何もなかった”と聞かされて心底ホッとした自分がいた。
「先輩、妬いてくれたんすね」
「うるさいうるさい! あーっ! もう帰る!!」
「車で送ってきますよ?」
「いいっ! 一人で帰れるっ!」
勢いよく立ち上がると後ろからくすくすと笑うハルの声が追いかけてくる。それにイラつきながらもスニーカーを乱暴に履いていると後ろから彼がギュッと抱き着いてきた。
突然の事に心臓が飛び出そうになって硬直する俺の耳元にハルの唇が寄せられる。
「――大好きです、先輩」
それだけ言うとパッと体を離してにっこりと微笑んだハルは、そのまま俺を部屋から送り出した、マンションのドアが閉まった後も早鐘のように鳴り続ける心臓の音は、しばらく止みそうになかった。
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