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第34話
3月の終わり、夏木さんが前に言っていた通り工場を退職した。
ここ数カ月は工場と起業した会社の仕事を両立していて忙しそうにしていたのを知っていただけに、とうとうこの日が来てしまったかと残念に思ったものだ。
ちなみにこの3か月間の間に俺とハルの関係も確実にステップアップしていて、もうほとんど男女の関係と大差ないところまできていた。
カミングアウトはしていないから勿論この関係は二人だけの秘密だけれど、でも今まで同性が好きな自分を否定しなければいけなかった俺にとっては、周りに隠してでも好きな人と一緒にいられる事は、それだけでも十分すぎるほど幸せな事だった。
「夏木さん、今までありがとうございました!」
送別会の席で皆から花束を受け取る彼に感謝の言葉を述べる、夏木さんはいつも通りのふにゃりとした笑顔でそれに応えてくれた。
パートのおばちゃん達も「寂しくなるわねぇ」なんて言いながらも彼を労う言葉をかけている、何だかんだ工場内のムードメーカー的な存在だったし、彼も皆に慕われていたのだ。
「秋生もハルも頑張れよ、俺が居なくなったからってサボらんように」
「夏木さんが居てもサボった事ないですって、あはは」
ハルの冗談めいた返しに皆がどっと沸く。夏木さんはいつもこうやって場の空気を変える天才だった、彼がいるだけでその場が明るく和やかになるのだ。そんな彼がいなくなるというのはやはり寂しいものがあるのだが、それでも門出を祝ってあげたい気持ちの方が勝っていたからか、酒に酔っても泣いたりなんてことは誰もしなかった。
宴もたけなわという頃合いになってくると各々で二次会の話が持ち上がるようになり、夏木さんとお別れするのが嫌でぐずぐずと残っていた俺もやっと重い腰を上げ、いつもの駅前で解散することにした。
「元気でね」とか「頑張ってください」とか言葉を掛けたかったけど、一生のお別れみたいな言い方になってしまう気がして言えなかった。
結局最後に一言二言交わすくらいしか出来なくて、寂しそうに笑って去っていく背中を見送っていただけだった。
帰り道、街灯の明かりに照らされた歩道を並んで歩くハルの手をそっと握ってみる。ハルは何も言わずに握り返してくれた。
「あーあ、夏木さんいなくなっちゃったっすね……」
「うん……。俺、お別れって苦手だな……何て挨拶したらいいのか分からなかったよ」
「なんで?」
「俺がサヨナラって言う事で、もう二度と夏木さんとは会えなくなるかもって思うと辛いんだよ」
隣を歩くハルを見れば、彼もまた複雑な表情で遠くを見つめていた。いつもヘラヘラとしている彼だが、今回は思うところがあるのだろう。
「今夜、先輩の家泊まっていってもいい?」
「いいけど……どうかした?」
「俺も寂しくて、先輩と寒くなった気持ちを温め合いたいなって……」
「……もう、バカ」
そう言いながらも自然と笑みがこぼれる。本当は凄く嬉しかったし寂しかったから、断る理由なんてあるはずがない。
アパートに着くと部屋の鍵を掛けるのもそこそこに抱き着いてキスをした。
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「ハル君、来月誕生日だね」
ベッドの上、気怠さを残した身体を起こしながら隣に寝ころぶハルに声をかける、4月になれば彼も二十歳になり立派な成人の仲間入りだ。
「先輩、なんかプレゼントくれるんすか?」
期待に満ちた目を向けてくる彼に対してクスリと笑みを漏らしつつ、何か欲しいものでもあるのかと尋ねる。
するとハルは少し恥ずかしそうに頬を染めた後、枕を抱き寄せながら言った。
「えっと……じゃあ有休合わせてどっか出かけません?泊まりで……その、2人で……」
「温泉でも行く?」
「いいすねそれ、浴衣姿の先輩エロいんだろうな~」
嬉しそうな笑みを浮かべ擦り寄ってきたハルを抱き締める、暖かい体温が心地よかった。
ハルは俺にたくさんのものを与えてくれるけど、俺から返せるものはあまり無い。だからこそせめて彼の望むものは全部叶えてやりたいのだ。
夏木さんが去って寂しいはずなのに、こうしてハルと過ごせる時間が何よりも幸せだと思った。
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