35 / 57

第35話

 それから数週間後、俺達は有休を合わせて温泉旅行に行くことにした。場所は伊豆の伊東市。千葉にも海の見える温泉はあったけれど、地元だとやっぱりゆっくりできないからって理由で遠出することになったのだ。  もちろん道中はハルの運転で、高速道路を彼と歌を熱唱しながら走り抜けていくのが楽しかった。  宿に着いたらまず露天風呂に入って疲れを癒して、美味しいご飯をたらふく食べた後は部屋でまったりしながらテレビを見る。観光地としても有名な場所なので旅館の外には土産物屋が立ち並び、足湯のある公園ではカップル達が楽しそうに肩を寄せ合っているのが見えた。  夜は豪華な食事を楽しみながらお酒を飲んだりおしゃべりしたりして過ごし、部屋付きの家族風呂に浸かってそのまま盛り上がっちゃったりもして……。  なんて熱々カップルみたいな事をして、とにかく二日間を目いっぱい楽しんだのだった。 「あーっという間だったねぇ、俺、今度は一週間くらい休み取って沖縄とか行きたいなぁ」  帰りの車の助手席で伸びをしながら呟くと、ハンドルを握るハルは微笑みながら答えた。 「いいすね、冬休みにでも行けたらいいんですけど……次もまた一緒行ってくれます?」 「当たり前じゃん」  高速道路を降りて一般道に入ると、もう見慣れた風景が広がってきた。このまま真っすぐ行けば俺達が住む町の駅前に着くだろう。  あと数時間後には家に帰ってご飯を食べてお風呂に入って寝るだけだと思うと、なんだか気が抜けてしまって眠くなってくる。 「疲れました?寝てていいっすよ。着いたら起こすんで」 「……うん……」  うとうとと微睡む意識の中、ミラー越しにハルと目が合った気がしたけど瞼の重さに耐えきれず目を閉じた。 ───────────────…… ───────────────…… ───────────────……  はじめ、何が起こったのかわからなかった。  さっきまでハルと車に乗っていたはずなのに、目が覚めたら見知らぬ部屋のベッドに居たのだから。  慌てて起き上がろうとすると胸にずきんと痛みが走る、見れば胸元にはサポーターのようなものが巻かれており、腕には絆創膏が沢山貼られていた。  状況が全く理解できずに固まっていると部屋の扉が開かれて誰か入ってきた、それはどうみても看護師で、俺が目覚めたのに気が付くと慌ててナースコールを押した。  医者らしき人もやって来て色々と診察を受けた結果「大したことが無くて良かったね」と安堵の表情を浮かべた医師は簡単に説明してくれた。  どうやら俺は事故に遭ったらしい、幸い肋骨の骨折だけで後は軽い打ち身程度で済んだから運が良かったと言われるが、そんな事よりも気になることがあった。 「あ、の……友達は……?」  嫌な予感がしてハルの事を医師に尋ねると、彼は言い辛そうに視線をそらした。そして一呼吸置くと意を決したように口を開く。 「今、ICUに入ってるよ」  目の前が真っ暗になったような気がした。  医師の話によるとハルは頭を強く打ったらしく意識不明のまま集中治療室に運ばれ、生死の境を彷徨っているのだという。説明を聞いてもなんだか現実感がなくて頭がふわふわした感じだ。  ベッドから起き上がれないまま数日を過ごしたが、その間は何をしていたのかあまり記憶がない。ただひたすら呆然としていたように思う。  漸く起き上がれるようになり、ナースセンターにハルの病室を聞きに行くと、今は親族以外の面会はできないと言われた。 「でも、俺……その、恋人なんですって」 「それでも規則ですので」  看護師は申し訳なさそうに頭を下げ、それ以上は何も言ってくれなかった。  仕方なく引き返して自分の病室に戻りベッドに腰かける、窓の外に見える景色はあの日見た春の陽気とは真逆で今にも降り出しそうなほどどんよりとした曇り空だった。  親族の許可なんて言われたって、俺はハルの両親のこと何も知らない、会ったことだってないのだ。それじゃあ入院している間は同じ病院に居るのに彼の顔をみれないし声も聞けないってことじゃないか。  どうしてあの時眠ってしまったんだろう、俺が起きていたらもしかしたら事故なんて起こらなかったかもしれない。ハルが死にかける事だって無かったかもしれないのに。そう思うと胸が張り裂けそうになる。  もしもの事ばかり考えてしまって、俺なんかに何かできるはずもないのに無力感に苛まれた。 ───────────────…… 「今日退院ですよ、よかったですねぇ」  朝、血圧を測りに来てくれた看護師さんが楽し気に俺に話しかける。  俺の怪我は本当に軽かったらしく、一週間もすると退院許可が出た。  入院している間は毎日ナースセンターにハルの病室の事を聞きに行ったけど、とうとう彼に会う事は叶わないまま追い出されるように病院を後にした。  家に帰る気にはなれなかった、ハルがこのまま死んじゃったらと考えると怖くて仕方がなかったから。  退院時に所持品を返され、その中にスマホがあったので俺達の事故のニュースを調べてみた、軽い事故だったらもっと安心できるかと思っての行動だったが、結果は芳しくはなかった。  俺とハルの乗っていた車は緩いカーブの道を走っている所、対向車線をはみ出してしまったハルの車が乗用車と正面衝突したのだそうだ。  幸いスピードが出過ぎていたわけでもなかったらしく乗用車に乗っていた男性は軽傷、俺も軽傷で済んだが、ハルだけは打ち所が良くなかったのか今でも意識が戻らないのだという。  ニュース画像にはハルの赤い軽自動車の運転席がぐしゃぐしゃにつぶれている姿が映っていた。  俺のせいだ、運転初心者のハルに長い道のりを運転させて挙句の果てに居眠りまでしてしまったから……。  自己嫌悪に陥っても状況は変わらない。こんな時、俺にはどうすることもできないのだ。神様が奇跡を起こしてくれればと思っても、世界はそんなに甘くないことも知っている。 「…………………………っ」  とりあえず家に帰ろうと思った、ハルに会いたい気持ちは山々だったけど、家族としか面会できないなら会うことだって出来やしないんだもの。 ─────────……  骨折した肋骨に負荷をかけるような事さえしなければ職場に復帰しても良いと言われていたので、退院してすぐに工場に復帰した。  二週間近く休んでいたおかげで、パートのおばちゃん達から物凄く心配されてしまったけど、大丈夫だと笑って見せたら安心したような顔をしてもらえた。 「あの、ハル君の住所なんですけど……工場長は知ってるんですよね?」  昼休みに休憩室でおにぎりを食べている工場長に思い切って尋ねてみると、彼は驚いたように目を丸くした後にうーんと考え込んでしまった。 「前に住んでたアパートの住所は知ってるけどなぁ、それに先週彼の親御さんから退職願貰ったしな……連絡先までは知らんよ」 「退職願!?辞めたって事ですか?」 「ん?ああ、まぁ事故で意識がまだ戻らないんだと、それで親御さんの方から連絡が来たのよ。アパートも引き払って、今は実家に住所を移したって言ってたぞ」  思わず手に持っていたペットボトルを落っことしそうになった。  俺の知らない間に、まるでハルが初めからいなかったみたいに痕跡を消して居なくなってしまったからだ。  なんで、どうして、という疑問が頭の中を駆け巡る。  工場長からハルの両親の連絡先を聞いてこちらから電話を掛けてみたが、当然だけどその電話が繋がることは無かった。  休日に居ても経っても居られなくなって、ハルの住んでいたアパートにも足を運んだが、工場長の言った通り既に引き払われた後で、彼が俺の傍にいたという証明すらあやふやになっていくような感じがした。 ───…… 「ハル君……」  唯一彼と繋がっているLINEのメッセージ欄にメッセージを送る、既読もつかないし、このメッセージが届くことは無いのかもしれないが、何もしないという事は俺にはできなかったのだ。  それから一ヵ月、二カ月……半年たってもハルが俺の元に姿を現すことは無かった。こんなに好きなのに、生きているのかも分からないなんてあんまりだ。  もう忘れてしまおうかとも思ったが、忘れることなんて到底出来なかった。それほどまでに俺はハルが好きだったのだ。  毎日泣いていたと思う、温泉旅行に行こうなんて言わなければよかったって、そればかり考えていた。 ───────────────……  10月、ここ一週間日本列島を低気圧が覆っている影響で、冷たい雨と風が窓ガラスを叩く音が聞こえる。  今日は台風の影響もあっていつもよりも強い雨が降っており、時折風で何かが飛ばされているような音すら聞こえる程だ。工場も早めに閉めるという話が出てきていたので、俺は早上がりを許されて一人帰路についていた。  空にはどんよりと濃い灰色が広がり、分厚い雲からは大粒の雨が降り注いでいる。まるで俺の心を映し出しているかのような天気だ。  アパートの鍵を開けて部屋に入る、シンと静まり返った部屋に居るとどうしても寂しい気持ちになるからテレビをつけて気を紛らわそうとするんだけど、こういう時に限って面白い番組やってなかったりするのだ。  ご当地のグルメの紹介だったり、バラエティー番組でよく見る芸人たちが笑いあっているのを見ているうちに段々つまらなくなってきたのでリモコンを操作して電源を落とした。  帰りにコンビニで冬馬が表紙だったので買ってきた週刊誌を開いてみると、冬馬が複数の女性と関係を持っていてその内の一人が既婚者だった、といった内容の記事が大きく載っていた。 「はぁ?いくらなんでも冬馬がそんな最低なことするわけないだろ……」  イラっとして記事を読んでいた手を止める。でも俺の知ってる冬馬って高校生の頃の印象しかなくて、芸能人になってからの彼に関してはテレビや雑誌を通して知る情報しかないんだよな。そう思うと本当の彼を知っているわけじゃないんだってことを実感してしまって少し悲しい気持ちになった。 「今頃何してんのかね……」  週刊誌をパラパラとめくりながら一緒に買ってきたビールを飲む、事故に遭ってから料理をする元気が湧かなくて夏木さんに説教できないような自堕落生活を過ごしている。  だって何もする気が起きねぇんだもん、心がずっと曇り空みたいでスッキリしないんだよなぁ。 ───────────────……

ともだちにシェアしよう!