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第36話
翌日、台風の中工場に出社するとパートのおばちゃん達が事務所に取り付けられていたテレビにくぎ付けになっていた。
何事かと思い俺も一緒になって画面を見ると、冬馬が大物女優と不倫していたという、昨日週刊誌で見たニュースが報道されている。
冬馬は好感度がすごく高かったからか、コメンテーターなんかはこぞって彼の事を批難していた。
事務所からはすでに声明が出てるらしく、冬馬は今後しばらく活動を自粛するようだ。
「やぁねぇ~、TO-MA様、良い俳優だったのに……」
「あらやだアンタ、あんなイケメンの何処が不満なのよ! 浮気の一つや二つしちゃうわよ、男は!」
「ちょっと夢見すぎよぉ~」
実際他人事なんだけど、おばちゃん達が他人事のように話しているのを見てるとなんか気が抜けてくる。でも役者になりたくて努力していた彼を知っている俺としては、仕事を自粛しなきゃならなくなった冬馬の事が少し可哀想だなって思ったりもした。
午後になると台風の雨風が一層強くなり、積んである土嚢を摘み直した後は工場を閉めるという話になって、皆さっさと片付けをして帰って行った。
正直こういう心が沈み切ってる時は仕事が忙しい方が何も考えなくていいから助かるんだけどな、と思いつつ俺も作業着を脱いで着替えて帰宅することにした。
帰り道も相変わらず外は酷い有様で、横殴りの雨が容赦なくアスファルトを濡らしていく。
こんな天気だし仕方ないよなと思いながらアパートの前に到着して自分の部屋がある二階を見上げると、俺の部屋の前に誰かが立っている事に気が付いた。
誰だろう、もしかして宅配便かな?とも思ったが、その人はこの嵐の中傘もささずにコートをはためかせながらじっと立ち尽くしていて、見るからに不審者っぽい恰好をしている。
一応念のために警戒しつつ近付いていくと、その人物はゆっくりと顔を上げてこちらを見たかと思うと「アキ」と一言俺の名前を読んだ。
「ハ……ル……?」
まさかとは思いつつも期待を込めて名前を呼ぶ、しかし、俺の名を呼んだのは恋人ではなく別の男だった。
目深にかぶった帽子を脱いで表れたのは、お茶の間で見ない日の無いあの整った顔だった。
「……冬馬?」
「アキ……久しぶり」
最後に別れを告げたのが17歳の時だったから、3年ぶりだろうか。目の前にいる人物を信じられなくて何度も瞬きを繰り返してしまう。だってそうだろう、もうテレビの中でしか見ることが出来なくなってしまったかつての大親友、それが目の前に立ってるんだから。
「なんでここに……」
「アキに会いたくなったから来た」
相変わらず何を考えているか分からない表情で淡々と話す彼に戸惑いを隠せなかったが、とりあえず玄関の前で立ち話も何だから部屋の中へ案内しようと鍵ポケットから出すと、彼が「あ」と声を漏らした。
「どうした?」
「そのキーホルダー……」
チャリ、と音を立てるそれを握って見せると、彼は懐かしそうに目を細めた。そう言えばこれ、冬馬がロンドンに行った時のお土産に彼から貰ったものだったっけ。大きくて存在感があるからずっと家の鍵のキーホルダーとして未だに使っているのだけれど冬馬もそれを覚えていてくれたのだろうか。
「うん、冬馬がくれたやつ、まだ現役で使ってるよ」
「……そっか」
「へへ」
素直に喜ばれて少し照れくさい気分になる、冬馬と会うのも久しぶりだし積もり積もった話をしたいなと思って家に入るように促すと、彼は大人しくついてきた。
「適当に座ってて、温かいコーヒー淹れるから」
「うん」
お湯を沸かしている間に棚からマグカップを取り出してインスタントの粉を溶かす、ここ数週間家事をさぼってたから、キッチンとか汚くて恥ずかしいんだけどしょうがないよなぁ。
「ほい、どうぞ」
「ありがとう」
熱いコーヒーの入ったコップを手渡すと彼も受け取りゆっくりと口をつけた。その様子をぼーっと眺めつつ自分も一口飲む。
「で、急に会いに来るなんてどうかした?」
「仕事、色々無くなったし……。暇になったら、なんか……」
そう言えば、こいつ今不倫騒動だとかで世間を騒がせてるんだったっけ。ここの所パートのおばちゃん達が休憩室で見ているワイドショーはその話題ばっかりだ。
「そっか……大変だったね、お疲れ様」
「……ん」
「でも、不倫ってさぁ……お前そう言うのするヤツじゃないだろ?何か事情あったんじゃないの?」
「……別に何も、食事に行っただけ。……ただ相手の方が立場が上だから、こっちがああするしかなかった……」
ふぅん、根も葉もないゴシップ記事書かれてるんだ。それで事態を沈めるために冬馬が活動自粛したって訳か。そりゃ大変だな、芸能人って言うのも大変そうで、俺には想像もできない世界だ。
「家の周りもマスコミ張ってるから……ごめん」
「良いよ、気にすんなって」
申し訳なさそうにしている彼に対して気にしないでくれと言ったのだが、どうも浮かない表情のままで俯いている。暫く沈黙が続き、お互いがコーヒーを啜る音だけが響いていたがやがて彼が遠慮がちに言った。
「あのさ……頼みがあんだけど……」
「なに?」
「暫く泊めてくんないか……ホテルも……すぐ場所割れるし、一般人の家ならマスコミも、来ないと思うから……」
よほどマスコミに追われるのが堪えているのか、不安げに瞳を揺らすその様子を見ていると何とかしてあげたいなと思えてくる。俺もハルを失って一人の心細さを痛感している今、無碍に彼を追い出すなんて事はできそうにない。
「いいよ」
そう言うとホッとしたような表情を浮かべて微笑んだ。
「台風すぎるまで多分退勤早いから、明日合鍵作りにいこっか」
───────────────……
「……歯ブラシが二本ある……」
夜になりシャワーを浴び終わった冬馬が頭をタオルでガシガシと拭きながらバスルームから出てきたと思ったら、部屋の様子を見回してボソリと呟いた。
「ん?あぁ……うん。友達が良く泊まりに来てたから、置きっぱなしになってるんだ」
「友達……?」
「うん、半年前に事故っちゃって、まだ入院中なんだけど」
そこまで言うと彼は「そう」とだけ言ってベッドに腰かけた。
俺の服は着れないから冬馬にはハルが着ていた部屋着を着せているのだが、隣に座られるとまるでハルが帰ってきてくれたみたいでドキリとする、思わず体を浮かせて距離をとると、冬馬も何故か追いかけてきた。
「な、なんだよ」
「何だよって何が」
「近いから……」
そう言って押し返すと「あぁ……うん」と気のない返事をしてからまた元の場所に腰を下ろした。昔から距離感おかしい奴だけど、こういう所が世間様に誤解される理由なんだろうな。
冬馬にその気がなくたって、イケメンにこうして詰められたら女の人なんかは勘違いしちゃうだろう。
「もう寝よか、俺明日も早いんだ。どうする? ソファとベッド、じゃんけんで決める? どっちがいい?」
手をグーにしてじゃんけんするつもりで問いかけるが、彼は「ソファで寝る」と言ってリビングにあるハルがいつも寝ているソファへ向かった。
モゾモゾとソファにかけてあるブランケットの中に潜り込んで手をひらひらと振ったのでおやすみの合図だと捉え、俺も電気を消してベッドに入った。
───────────────……
深夜、バキバキと枝が窓ガラスに打ち付ける音を聞いて飛び起きた俺は、雨戸を閉めることを忘れていたことを思い出した。
慌ててベッドに立ち膝をついてカーテンを開け放つと窓の向こうでは打ち付けるように雨が降り、強風のせいで木の葉が大量に舞い散っているのか窓ガラスにペタペタと張り付いている。これは朝になるまで続くだろうなと思いながら、窓を開けて雨戸を引っ張り出してきて施錠をする。
これで一安心とばかりに部屋に戻ると、ほんの数十秒半身を外に出していただけなのにビショビショに濡れてしまっていた。こんな格好で寝たら風邪をひいてしまうかもしれないと思い、洗濯機に着ていたTシャツを放り込んで新しい服に着替えながらリビングに出ると、この糞煩い雨音の中でも気にすることなく冬馬はスースーと肩を規則正しく上下させて眠っていた。
ハルの服を着ている冬馬の背中を見ていると、本当にハルがそこにいるみたいだ。彼はもう目を覚ましたんだろうか、いや、メッセージも何もないんだからまだ病院で眠ったままなんだろうけれど。
ポタリ、と新しく着たTシャツに涙の雫が落ちる。どうやら自分でも気づかないうちに泣いていたらしい。拭っても拭っても、次から次へと涙が溢れてきて止まらない。
リビングの隅に蹲ってヒクヒクと喉を震わせていると、それに起こされたのか冬馬がむくりと起き上がった気配がした。
彼は眠そうな目で辺りを見回すと、泣いている俺を見つけてギョッとしたように目を見開いた。
「アキ……?」
何で泣いてるの?と言いたげな表情をしているけど、上手く説明できる自信が無い俺は黙って首を振った、だって冬馬には関係の無いことだし。「悪ぃ、何でもないから」と無理やり笑顔を作って見せて立ち上がると、冬馬は無表情のまま俺の前までやってきてギュッと抱きしめてきた。
「俺の所為か?」
「ちが……違うて……俺が勝手に泣いただけ……」
嗚咽混じりに答えると、彼は何も言わずに俺の背中をその大きな掌で優しく撫でてくれた。ポンポンと子供をあやすように一定のリズムで軽く叩いてくれるその動きに少しずつ落ち着きを取り戻し始め「もう良いから、ありがと」と身体を彼から離そうとしたが、彼は俺を逃がさないように腕に力を込めて強く抱きしめた。
まるで恋人にするような抱擁に困惑していると、耳元で囁くように語りかけられる。
「何で泣いてんだよ」
「冬馬にゃ関係ないよ、俺の事だから」
「関係ある、気になる」
真剣な声でそう言われてしまっては逃げ場がない、観念した俺はポツリポツリと話し始めた。
ハルが事故で未だに意識が戻っていない事や見舞いにも行けない事、それどころか連絡手段すらなくて全く状況が分からない事など。
恋人だって言う勇気は無かったから「友達」と誤魔化したけど。「恋人」って言えなかったのは、自分でもまだその関係をまっすぐに口に出す勇気がないからだ。
ハルを恥じてるわけじゃない、でも“俺自身のこの在り方”に、まだ自信が持てないのも事実なのだ。
「悪いな……大変な時に……」
「いや、俺も一人だとどうしても気分が沈んじゃうからさ、逆にお前が来て良かったのかも」
そう言いながら笑うと冬馬は安堵したような表情を見せた。きっと俺が無理してるんじゃないかと思っていたんだろう。
「うわ、2時じゃん!あと4時間しか眠れないよ。寝ようぜ」
あえて明るい声を出して提案すると、冬馬はこくりと頷いて再びブランケットの中に潜っていったので、俺もベッドに入って眠りについた。
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