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第37話
冬馬が活動を自粛すると声明を出してから一週間、あれだけ騒いでいたワイドショーも火元が無くなってしまえば興味を失うらしく、今ではすっかり話題に上らなくなった。
「アキ、お前の実家から荷物届いてたから受け取っておいたぞ」
「ん-、ありがと」
ほとぼりが冷めたら出ていくのかな、と思っていたのだが冬馬はまだ俺の家に居て、特に何かするでもなくのんびり過ごしている。ハルが帰ってきた時に修羅場になるし何回か「出て行かないのか」と聞いたけど「うん」とか「すん」とか適当な返事しかしてくれないから、彼が何をしたいのか全然わからない。
「当分活動自粛って、どのくらいこうしてるつもりなんだ?」
「二年分くらいの予定、全部キャンセルになったから。」
部屋に上がって冷蔵庫にビールを仕舞いながら聞くと、冬馬はソファに横になってスマホを弄りながら答えた。
二年かぁ、長いなぁ、その間ずっと仕事が無いって生活費とかどうなるんだろう。
芸能人だし蓄えはあるんだろうけど、きっと家賃も高い所に住んでるだろうし色々維持費がかかるよなぁ。なんて、余計な心配かもしれないけど。
「アキ、あのぬいぐるみ……何」
考え事をしていると、リビングのカラーボックスの上に置いてあるウサギのぬいぐるみを指さして冬馬が問いかけてくる。
「あぁ、それ職場の先輩に貰ったんだ、俺に似てるんだってさ」
「………………へぇ」
何だよ、聞いておいて素っ気ない反応だな。
この前の歯ブラシの事と言い、冬馬は俺の部屋にあるものにいちいち反応するから、少しめんどくさい。いつ俺がゲイってバレるかもわからないからやめて欲しいんだけど。
「ねぇ、やっぱりここに居るんなら自分の家借りるか、ホテルでも取ってよ」
「何で」
「何でもかんでも見られてると思うとやりにくいんだよ、落ち着かない」
「前は一緒でも気にならなかったろ」
前とは状況が違うんだよ、俺はゲイだし、恋人が居て彼がいつ帰って来るか分からない身なんだから、お前が居たら気まずいの。
それを分かってくれない冬馬の態度が余計にムカついて「早く帰れ」と言うと、彼は起き上がってジロリと俺を見た。
「アキは俺の事嫌いなのか?」
「嫌いとかそう言う話じゃないじゃん、もうワイドショーはお前の事やってないし、ほとぼりも冷めたんだから帰ってもいいんじゃね? って言ってんの!」
「嫌だ」
「なんでだよ、だいたい三年間一切何の連絡もしないしさ、どうせ俺の事都合のいい友達くらいにしか思ってないんだろ!?」
「………………はぁ?」
売り言葉に買い言葉、大人気なくまくし立てると冬馬は苛ついた様子で顔を顰めた。
そんな顔をしたいのは俺の方だ、意味わかんない、お前が悪いんじゃんか。
「……だってそうだろ!? 勝手に現れて勝手に居座って、勝手すぎるよ、お前。忙しかったって、深夜だって、5秒で『ごめん今無理』って送るくらいできたろ?」
「……………………お前寝てるだろ、深夜3時とか4時にメッセージ入れて、その所為でお前が起きたら嫌だったから返せなかった」
「そんなの分かんないじゃん、馬鹿じゃねぇの!?」
怒鳴るように叫ぶと「分かってないのはお前だろ!!」と冬馬の怒号が返ってきた。あまりの迫力に一瞬怯んでしまったが、俺だって怒ってるんだからね。声を荒げようと思うと、まくしたてる様に冬馬が叫んだ。
「ド深夜に“今無理”って返すの、迷惑だと思った! アキのこと起こしたくなかったし、邪魔したくなかった!! それで……何度も機会逃して、気づいたらもう半年とか経ってて。そんで、今さら『どうした?』なんて言えねーだろ!!!!」
ドンッ!と隣の部屋から壁を叩く音がしてビクッと肩を揺らす。あまりにも大声で怒鳴り散らすものだから隣人に怒られてしまったようだ。冬馬自身もその音に驚いたのかハッとした顔で口元に手を当てて黙り込んだ。
「バカかよ……勝手に気ぃ使って、勝手に黙って……。お前そんなだからすぐ誤解されてゴシップネタにされんだろ……」
「……悪い」
呆れ返ってそう言うと、冬馬はしゅんとして小さく謝罪の言葉を口にした。
深夜にメッセージ送ってきたからって別に迷惑だなんて思わないし、そんな事で壊れる友情でも無かったじゃん。でも、もう終わったことだ。今更冬馬と離れていた三年間が戻ってくるわけじゃないし、全部遅いんだよ、本当に。
「バァカ……」
冷蔵庫から冷えたビールを出してプシュッと開けながら吐き捨てるように呟くと、冬馬は「俺が馬鹿なのは今に始まった事じゃないだろ」と不貞腐れたような声音で言った。
確かにそうだけど、そうじゃないでしょ。
グッとビールを煽ると炭酸が喉を刺激する。酒は強い方じゃないけど飲まずにはいられない気分だ。飲んで忘れるしかない。
「来週までには出てってくれよ、俺にだってプライベートがあるんだからな」
「……恋人でもいるのか?」
「ま、そんなとこ……」
飲みかけのビールの飲み口を見つめながら答えると、冬馬は一瞬だけ目を伏せてからジッと俺を見てきた。
「……歯ブラシの奴か? 男?」
「んなわけねぇじゃん……。俺、男よ?」
馬鹿じゃないの。と言うと、彼は自身の着ているハルの部屋着の裾を掴んで見せた。
詰めてるみたいに証拠を突き付けられ、どくどくと動悸がして嫌な汗が出た。
何でそんなこと聞いてくるんだよ、冬馬には関係ないことだろ。
「……男友達は良く泊まりに来るのに、女の恋人の気配無いじゃん。……男だろ。」
「はぁ? ……キモ。」
「俺が来てから2週間も泊まりに来てないじゃんそいつ。本当に恋人って言えんのソレ。」
プッツン……。
頭の奥の方で何かが切れるような音がした気がした。それは多分、理性とかそういう類の物だったんだと思う。
気付いた時には既に遅く、持っていたビール缶を思い切り冬馬の顔面に投げつけていた。
「お前には関係ねーだろ! 悪いかよ!? 男が好きで! あぁ、俺はゲイだよ、なんか文句あんのか!?」
「………………文句なんかねぇよ」
俺の怒りに対して冬馬は冷静だったように見える、その声は脱力したようにも聞こえた。
彼は額にぶつかって中身を溢しながら転がった缶を拾って、ゆらりと立ち上がってテーブルの上に置くと距離を詰めてきた。
握られた拳は少し震えていて、殴り合いにでもなるのかと身構えたのも束の間、冬馬は俺の腕を掴んで自分の方へ引き寄せるとそのまま抱きしめてきた。
「ごめん……。だから泣くな」
彼の胸の中で抱きしめられながら言われて初めて、自分が涙を流していることに気が付いた。
あぁ、全部バレちゃったんだ。
俺には男の恋人が居て、その彼が今事故で意識がないまま入院していて、そして連絡も取れずに俺がただ待つ事しかできない事。
全部冬馬の中で繋がっちゃったんだ、そう思うと涙が止まらなくなって、さっき飲んだ分のビールが全部出るんじゃないかって思うほどボロボロと涙が出てきた。
暫く冬馬の胸に縋り付いて子供みたいにわんわん泣き続けた、その間彼は何も言わずにただただ抱きしめていてくれた。
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漸く落ち着いて、目元を擦りながら顔をあげると、冬馬はホッとしたような顔をしていて、何だか申し訳ない気持ちになった。
お互い床に胡坐をかいて座り込み、向かい合うような形で顔を合わせる。先に口を開いたのは俺だった。
「気持ち悪いって思った?」
「思ってたら抱きしめてなんかいない」
「そっか……」
自分で聞いておきながら、何て言えばいいのか分からない。まさかここまで踏み込んでくるとは思わなかったのだ。今までハルにしか打ち明けられなかった俺のマイノリティな部分。
何となく視線を逸らしてしまうと、冬馬はそれを咎めることなく静かに言葉を続けた。
「本当は……アキに男の恋人がいるなんて、否定してほしかった。女だったら諦めがついたから。親友だから……高校卒業してもアキの一番近くには俺の居場所があるって信じてた。でも、全部違ったし、遅かった」
「は……? どういうこと……?」
「……好きだったから……」
ぽつり、と冬馬の口から零れた言葉をうまく理解ができない。いや、本当は分かっている、でも信じられなくて混乱しているのだ、だってそうだろ、あの頃に両想いだったなんて今まで夢にも思わなかったんだから。
ぽかんと口を開けて呆然と見つめ返すことしかできない俺に、冬馬は困ったように眉を下げて笑った。
「アキの事、高校生の頃から、ずっと好きだった。凄く、凄く……」
まるで時間が止まったみたいだった、冬馬の口から零れた俺への想いが俺の思考を絡めとってしまう。冬馬の目には、明らかに熱情の色が浮かんでいて、それが冗談なんかじゃないってことはすぐに分かった。
「ば、ばっかじゃねぇの……俺恋人いるっつってんじゃん」
「だからだろ、アキは自分がゲイって打ち明けてくれた、だから俺も言わなきゃと思った」
「こ、困るよ……」
「うん……困るな」
ハッキリと告げられた好意の言葉に戸惑いを隠しきれずにいると、冬馬は眉を八の字に下げてそう言った。困らせてごめん、そう言われると何も言い返せなくなる。
俯いて黙り込む俺に、冬馬は優しい声色で問いかけた。
「アキの恋人が帰って来るまででいい、それまででいいから傍にいさせて」
「そんなの冬馬が辛いだけじゃねぇの……」
「それでもいい、アキの傍が俺の還る場所だから」
馬鹿だな、こいつ。そんなにまでして俺の傍に居たいのかよ、なんて思ったが。
優柔不断で意気地なしの俺は、ぽっかりと空いた心の穴は一人では埋められないほど大きくて、よくないことだと分かっていても冬馬を拒絶する事が出来なかった。
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