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第39話
一週間後、俺は冬馬と千葉のとある町に来ていた。
房総の海が近くて漁業が盛んだとかで、海岸沿いには多くの漁港がある、閑静で海風がよく吹く土地だ。
冬馬が調べてくれた住所を頼りにハルの実家を探して歩き回ると、高い塀で囲まれたひときわ大きな屋敷を見つけた。
立派な門構えで表札には“春宮”と書かれていたから、ここがハルの実家で間違いないだろう。門の脇にあるインターホンを押してみると少し間をおいてから女性の声が聞こえてきた。
『はい』
「あのぉ……」
今更ながら緊張で言い淀んでいると、背後に居た冬馬が代わりに「僕等、塁君の友達なんですけど」と続けた。
俺達の姿が見える訳ないんだけど、女性は俺達の存在を察知するかのように沈黙を続けた。やがて観念したのか彼女は玄関を開けてくれて、中に通してくれた。
ハルの実家のお屋敷はまるで高級旅館のように広く立派だった。
玄関ホールには立派なトラの絵の屏風があり、よく見るとトラの毛皮は蝶の羽で作られていて、一目見ただけでその屏風がかなり高価なものであることが分かる。カーブを描いた黒檀の階段は、細かい彫刻が施されており、踏むのを躊躇うほど立派だ。
洋室に通されてテーブルに着くと、女性も座るのかと思いきや「奥様を呼んでまいります」と言って部屋を出て行ってしまった。
ハルの母親を待っている間、俺はどうにも落ち着かなくてソワソワとしていた。
程なくして着物姿の女性が部屋に入ってきた、ピリリとした雰囲気の女性でいかにも厳格そうな人に見える。
彼女はテーブルに着くなり頭を下げることもせず、じっと俺を見据えたまま静かな声で話し始めた。
「あなた方のような方が、塁 の友人だったなんて、意外でしたわ」
冷たい口調に思わず背筋が伸びる、威圧感というか、彼女の放つ空気は只者ではない感じなのだ。
ちらりと隣に目をやると、冬馬の方も緊張した面持ちで背筋を伸ばしたまま黙っていた。
「単刀直入に言いますが、今はそっとしておいてくれませんか?塁は、繊細で、とても傷つきやすい子なんですの。目を覚ました時、あなたのような“外の人間”がいると、不安になると思いますから」
彼女の言い分に、思わずムッとする、何も知らない癖に知ったようなことを言わないでほしい。俺だってハルの恋人だし、誰よりも彼を心配してるのだ。
そんな気持ちとは裏腹に、目の前の女性は淡々と言葉を続けた。
「今は家族の愛がありますから。外の刺激は、不要なんです」
静かだがハッキリとした拒絶の意思を感じる物言いだった。俺は膝の上で拳を握りしめて怒りを抑え込む、ここで怒ったところで話が拗れるだけだ。
ハルの母親は小さく会釈をし、静かに部屋を出ていこうとした――その瞬間。
突然、隣に座っていた冬馬が立ち上がり彼女に声を掛けた。
「……それって、愛じゃなくて、呪いじゃないですか」
さっきまで黙っていたはずの冬馬が発した一言はあまりに衝撃的で、その場に居た全員が凍りつく。母親はピタリと足を止めて振り返った、その顔は怒りに満ちているように見える。
「……呪い? 呪い、ですって?」
ドスの効いた声で問いかけられ、冬馬は一瞬怯んだがすぐに負けじと声を張って答えた。
「塁君が家を出た理由、わかりますよ。家に縛り付けて、そんな呪いみたいな愛情で縛ってたからじゃないんすか」
「と、冬馬……」
さすがにマズイんじゃ、と思って声をかけるが冬馬は「良いから」と小声で呟いて再び母親に向き直った。
「親が交友関係に口出す権利なんかないでしょ、あなたの息子さんは成人してるんですよ」
冬馬の言っていることは確かに正しい、間違ってはいない。だけど言い方というものがあるだろう。相手はハルの実の母親だというのに、こんなのまずいに決まってる。
案の定、母親の目が鋭く尖って冬馬を睨み付けた。
「あなたに何がわかると言うんですの? 部外者のくせに!! 呪いだって言ったわね、だったら、どうして私が、毎日病院に通って、手を握って話しかけてると思うの!!! あなたに出来る? 塁の体温がほんの少しでも変わったらわかる? 私にはわかるのよ!!!!! あの子が目覚めたら、一番最初に名前を呼ぶのは“私”なの。あなた達なんかじゃない!」
その叫びは切実だった、この人も必死で息子を愛しているのだろう。だからこそこんなにも感情的になっているに違いない。
それが分かってしまったから、俺はもうこの人に自分が「ハルの恋人」だという事を伝える事ができなくなってしまったのだ、だってそんな事を言ったら、今ハルを守っているこの人まで壊れてしまいそうで、怖かったからだ。
「冬馬、もう良いよ帰ろ……」
「いいのか?」
「……うん。すみませんでした、塁君……元気になるよう祈ってます」
「言われなくてもそういたします。これ以上お客様を招くことは出来ませんから、お引き取りください」
冷たく突き放すように言われてしまい、俺達はそれ以上口を開く事も出来ずに言われるままに屋敷を出た。
───────────────……
ハルの地元の房総の町を冬馬と二人で歩きながら、ふと、前にハルが連れて行ってくれた浜辺を思い出して足を止めた。
「冬馬、この近くにさ……浜辺があって、そこから見える夕日が少し見たいんだ……」
「わかった、行こうか」
「うん……」
真冬の海は寒々しくて寂しげな雰囲気だったけど、綺麗だった。波の音を聞きながら砂浜に座ると隣に冬馬も腰を下ろした。ぼんやりしながら遠くを見つめる。
「あのさ……俺さ……あの人に言うべきだったかな。恋人だって……ハルの恋人だって……言っちゃえばよかったかなぁ……」
「ああ」
「でもさ……言えなくなっちゃったんだよ……。だって、今ハルを守ってるあの人が壊れたら、誰がハルを守ってくれるんだよ、俺よりあの人の方がハルにとっては必要なんだよ……。だから、言えなくなっちゃった」
ポロリと涙が頬を伝って落ちる、それを皮切りに次から次へと溢れて止まらない涙を乱暴に拭いながら俯くと、冬馬は何も言わず俺の肩を抱き寄せて背中をさすってくれた。
暫くそうやって二人で地平線に太陽が沈むのを眺めていたが、陽が落ちると冷たい空気に晒された体がブルリと震えた。
「アキ、冷えてきたからもう帰ろうぜ……」
「うん……」
差し出された手を握り返して立ち上がると、冬馬の手もひんやり冷たかった。
アパートに着くまでの間、帰りの電車の中でも、駅前繁華街を歩いている時も、俺達は一言も喋らなかった。
冬馬はただ黙って俺の隣を歩いていて、俺も俯いたまま口を閉ざしていた。
───────────────……
玄関の鍵を開けて中に入ると、冬馬が背後から抱きしめてきた。
「っ……」
腹に回された右手を掴んで振り返ると、そのまま深く口付けられて唇が離れた後に再び抱き寄せられる。
何度も何度も角度を変えて唇を重ねられ、それは次第に深いものへと変わっていった。
言葉は無かったが、それが彼なりの最大限の慰めである事は理解できたから、されるがまま彼の熱を受け入れながら背中に腕を回してぎゅっと抱きついた。
俺からも言葉は無かったが、それでも彼には十分伝わったらしく、無言の合意を持って俺達はベッドへと向かった。
全部が終わった、何もかも、俺の恋も、愛も、青春も、思い出も全て。
冬馬は優しかった。力強かった。そして、美しかった。
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