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第43話
停滞、それは俺達を言い表すには最も相応しい言葉だろう。
身を切るような風の吹くあの季節は、今や湿気と熱気に包まれた梅雨へと姿を変え、俺たちは変わらぬ生活を繰り返している。
気が付けば冬馬と初めて身体を重ねたあの夜から4カ月近くが経っていた。
じとじとと雨が降り続いている、梅雨前線の影響で連日のように天気が崩れているらしい、ここ数日晴れ間を見ることも出来ず毎日傘を差して出勤している状態だ。
相変わらず仕事漬けの日々を送っている俺だが、それは冬馬も同じで、彼も相変わらず俺の家に居候したままである。
「あ~、湿度高すぎっ! 不快指数上がる!」
仕事帰りに駅前で冬馬と待ち合わせして二人で居酒屋へ入る、案内された席につくなり俺はテーブルに突っ伏して溜息を漏らした。
「工場、大変なのか?」
「これから暑くなってくるにつれて、工場内の熱気も上昇するからなぁ……毎年この時期は地獄だよぉ」
ジョッキを傾けゴクゴクとビールを流し込む、前は苦くて別に美味しくも無いと思っていたビールも、何度も摂取しているとだんだん身体が慣れてきて美味く感じるようになったから不思議だ。
夏木さんが居たら一緒に美味しく飲めたのに、なんて考えながらふと視線を前に向けると、メニュー表を開いたまま冬馬がジッとこちらを見ていることに気が付いた。
「どうした?」
「いや……ビール、よく飲むな。と思って」
「文句あんのかよぉ……」
「ビールは糖質が多いから太るぞ。それに脂肪肝の原因にもなる」
「説教臭ぇな……」と眉を顰めると、彼は「アキには長生きして貰わないと困る」と言って続けた。
「俺が長生きできなくなるからな」
「はぁ? どういう意味?」
「……アキが居ない世界じゃ、俺は愛を持て余すだろ」
真顔でそんな小恥ずかしい事を言うものだから、思わず頬が熱くなる。なんだかんだ俺は彼のこういったクソデカい愛情表現に絆されて、何度も身体を許してしまっているわけだが、そのせいもあって余計に今の心の距離感を掴み損ねていた。
それって結局、今のぬるま湯のような環境が居心地良いって事なんだけど、それじゃあまりにも冬馬が可哀相だ。
正直な話、俺も、もう冬馬の想いに応えてやった方が良いとは思っているのだが、心っていうのは頭で思っている以上に複雑なようで、中々思うように動いてくれない。
「ホント馬鹿だよな、冬馬ってさ」
「馬鹿だからな」
顔を見合わせて小さく笑っていると、冬馬のスマホに着信があったのか彼は「悪い」と言って電話を片手に席を外した。 俺は一人残されたテーブルで残りの枝豆やら唐揚げを食べながら、 ぼーっと店内の様子を眺める。
金曜の夜ということもあり大勢の人で賑わっている居酒屋はガヤガヤとしていて、時折店員の声が響いていた。
暫くして通話を終えた様子の冬馬が戻ってくる、「何の電話?」と何の気なしに聞いたつもりだったのだが、何故か冬馬は神妙な面持ちで俺を見つめていた。
「マネージャーから。仕事決まった……、舞台俳優の仕事、やる事になった」
「え、よかったじゃん!」
「良かった?」と聞き返してくる冬馬に「だって久々の仕事だろ?」と返すと、彼は少し考える素振りを見せた後で再び口を開く。
「名古屋に行かないといけない、アキはそれでも平気か?」
「え」
何でそんなこと聞くんだよ、冬馬の仕事の話じゃんか。それなのに、俺に判断を委ねるのかよ。そんなの……。
──寂しいって言えなくなるじゃん。
なんて、矛盾した感情が胸に渦巻いてしまって言葉に詰まる。
「か、関係ないだろ、俺は。折角芸能界に復帰するチャンスなんだからさ。頑張れよ」
「でも俺はアキが心配だ」
「余計なお世話だっつーの」
ビールを飲み干して、タコわさびをパクパクと食べる俺をジッと見つめてくる冬馬の視線が痛い、そんなに過保護にならなくたって。こっちは女じゃないんだからメソメソ引き留める事なんてしないのに。
「そか……」
俺の態度に観念したのか、冬馬は深く溜息をついて俺から視線を外し手元のグラスを見つめるように俯いた。
───────────────……
一週間後、冬馬は俺の部屋から荷物を持って出て行った。
別れ際「毎晩連絡する」と言ってくれたけど「忙しいんだから無理すんな」強がりを言って断った。
本当は心細かったのに、冬馬の足枷になるみたいな事を言いたくないと思ったのだ。
───────────────……
冬馬が仕事に復帰してから数週間、ようやく居候が居なくなって落ち着いた生活を送っているはずなのに、何だか味気ない気がしてならない。
いや、家事も何もしないプー太郎がいなくなれば生活水準が上がるのは当然と言えば当然、だからちょっと静寂が気になるというだけかもしれない。
今日も一日仕事を終えて帰宅すると、冷蔵庫からビールを取り出して一気に煽った。キンキンに冷えた炭酸が喉を通り抜けていく感覚が心地いい。
そのままソファに寝転んでテレビをつける。画面にはバラエティー番組が流れていて、雛壇で芸人が楽しそうにトークを繰り広げていた。
「わはは」
馬鹿馬鹿しいやり取りに笑いを零していると、ポケットのスマホが震えた。
無理して連絡しなくていいと言ったのに、冬馬はこうして毎晩欠かさず連絡してくれる。『夕飯は食べたのか』とか『飲みすぎるなよ』とかそんな程度のメッセージだからスタンプを送り返すだけの簡単なやり取りだけど、気付けばすっかりこのやりとりを日常の一部として受け入れてしまっている自分がいた。
LINEを開くと、いつもとは違い『通話しても良いか?』と珍しく冬馬から送られてきた。
珍しい事もあるものだ、と思いながら承諾の返事をする。
すぐにコールが鳴り響き、俺は慌ててスマホを耳に当てた。
「よ。久しぶり」
開口一番、いつものように軽いノリで挨拶すると、案外元気そうだと感じ取ってくれたのか冬馬は安心したようにホッと息を吐いた。
「なんだよ、通話したい事って。メッセージじゃダメだったわけ?」
『あぁ、まぁ。』と曖昧な返事をした彼は何か考え込むように黙り込んでしまった。何かあったのかと心配した俺が声をかけると、意を決したように彼が口を開いた。
『舞台、公演日決まったんだけど。見に来るか? 名古屋。』
「え、いつやんの?」
『来年の2月16日から。まぁ規模も小さいし、俺も大した役じゃ無いんだけどな。』
「それでもスゲーよ」と返すと彼は嬉しそうに笑った。
『見に来るならチケット送るけど。』
「行く行く! 有休取ってついでに名古屋観光もするかなぁ~」
浮かれた声でそう言うと、受話器越しの冬馬が苦笑した気配がした。
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