45 / 57

第45話

 名古屋から千葉に帰って来ると、なんだか一気に現実に引き戻された様な気がした。  冬馬とは別にロマンチックな関係とかそう言うのではないけれど、やっぱり離れるとちょっと寂しい。多分。  仕事に復帰した冬馬を応援してやりたいという気持ちと、何故か彼を盗られてしまったような少しモヤモヤする気持ちがある。自分でもよく分かんないんだ。  ただなんとなく、心が居所を失って宙ぶらりんになった様な感じがするというか。 「ただいまぁ~」  誰もいない家に向かって声をかけてみる。返事がないことは分かってるけど、習慣化してしまったそれはもはや癖のようなもので、未だに辞められないのだ。  荷物を適当に放り投げてソファーに寝転ぶと、どっと疲れが出てきて瞼を閉じた。 「はぁ……」  半年ぶりに再会したにもかかわらず、結局冬馬と身体を重ねてしまったことに自己嫌悪に陥る。あんなんじゃまるでセフレじゃないか。いや、それは冬馬の気持ちに応えずにズルズル肉体関係を続けている自分のせいなんだけど。  でも、ハルとの恋が終わったばかりで、その時傍に居たからって理由で冬馬にコロッと心変わりするなんて、なんか尻軽みたいで嫌だ。 「でもなぁ~……冬馬をこのまま俺に縛り付けるのも良くねぇよなぁ~……」  溜息をつきながら起き上がり、部屋着に着替えるために寝室に向かう。箪笥を開けると冬馬が着ていた部屋着が目に入ってきて思わず手に取った。顔を近づけると彼の匂いがして安心する、そのまま深呼吸するみたいに息を吸って匂いを堪能してから、ハッと我に返った。 「……何やってんの俺。キモ過ぎんだろ」  冷静になって恥ずかしくなり、服を元の場所に戻したが、何となくそのままでいられなくて冬馬の部屋着に袖を通した。  ふわりと香るのは柔軟剤の匂いじゃなくて彼自身の香りで、妙に胸がざわつく。 「あ~……、やべぇかも」  まるで抱きしめられているみたいだ。  彼の匂いに包まれているとなんだか、だんだんイケナイ気持ちになってきて、衝動に負けた俺はベッドに転がり込んで寂しさを慰めてしまっていた。 ───────────────……  それから数か月、冬馬の舞台は小規模ながらも盛況で、名古屋だけでなく地方でも何度か公演を行っていた。彼のキャリアを喜ぶ一方で、段々と遠い存在になっていく彼との関係性に不安を感じてもいた。  だってこんなに会えないのに、今更「冬馬の事好きかもしんない」なんて言ったって、遅いのかもなぁなんて思ってしまうからだ。  新年度を迎えても工場はいつも通りで、ここ数年新人も入って来ず油断してると時間が止まったかのように変わらない日常が続いていたが、冬馬はどんどん先に進んでいく。 『アキ、夏になったら東京帰るから、また会わないか?』  いつものように冬馬とメッセージでやり取りしていると、久しぶりに「通話しても良いか?」と言われたので通話してみると開口一番にそう言われた。 「いいけど、どうせ身体だけだろ?」  俺の言葉を受けて冬馬は苦笑したような声で笑う。 『アキは俺を何だと思ってんだ……。久しぶりだし、顔、見たいんだよ。アキは違うのか?』 「んー……まぁ、そう言う事なら……」  実際身体だけって思っているのは俺の方で、冬馬は俺に気持ちがあるのは伝えてくれているから、嫌ってわけじゃない。でも、この関係を続けて良いものなのか分からない。そんな悩みを抱えているから素直に喜べなくて、つい素っ気なく返してしまう。  それでも冬馬は嬉しそうに笑った。  夏に会う約束を取り付けて通話を切る。正直嬉しいんだけど、なんだか複雑な気分だ。  冬馬はこんな優柔不断な俺に愛想尽かすことってないんだろうか、彼はいつも俺を一番に考えてくれて、それは嬉しいんだけど、彼自身が腹の中でどう思っているのか分からなくて不安になるのだ。 「はぁ……多分好きなんだよな。これ」  スマホを持ったままソファにぐだぁッと倒れ込む。  理屈じゃないのは分かってる、気持ってのは厄介な物だ。  ハルとはもっと健全で素直な恋ができていたはずなのに、どうして冬馬だとこうなっちゃうんだろうなぁ、なんて思うと自然と溜息が出た。  こんなんじゃ付き合う前にハルに「セフレになりません?」と言われた時に「そう言う関係は嫌だ」って説教垂れてた俺、全然説得力ねぇじゃん。  今更ながら「セフレなんだから情が湧いたら楽しくないじゃないっすか」というハルの言葉が蘇る。今なら分かる、本当にその通りだよ。  楽しくないよ、ホント。辛い事ばっかりだ。 ───────────────……  来て欲しいんだか欲しくないんだか、そんな微妙の感情のまま月日は過ぎて、とうとう冬馬と会う日がやってきてしまった。 「よ……。久しぶり」  東京駅に着くと改札前で待っていた冬馬が片手をあげて迎えてくれる。相変わらず無表情だが、元気そうにしているのは安心した。  俺も小さく手を振ると、冬馬は照れ臭そうに視線を逸らし、行くぞと言って歩き出した。  東京観光でもするのかな、と思っていたけれどタクシーに乗せられて向かった先は、冬馬の住んでいるマンションだった。 「適当に寛いで。アイスコーヒー淹れてくる」  フッカフカのスリッパを履かせてもらいリビングに通される、生活力の無い冬馬の事だからグチャグチャの部屋に住んでいるのかと思ったら意外にも綺麗に整頓されていた。 「へぇ、綺麗にしてるじゃん」 「週1でハウスキーパー呼んでるから」 「うわっ、芸能人~……」 「アキが専属家政婦になってくれても良いんだぞ。給料弾むぜ」  冗談っぽく言って笑いながら、カランと氷の音を響かせながらコーヒーをテーブルに置くと、冬馬は隣に座った。 「専属家政婦って……俺をこき使いたいだけだろ」 「……まぁな」 「まったく」  受け取ったコーヒーを一口飲む、冷たくほろ苦さが口の中に広がった。美味い。俺がいつも飲んでるインスタントコーヒーとは違ってめちゃくちゃ香りが良い。  やっぱ上流社会は違ぇなぁ、と感心していると冬馬は俺の肩に寄りかかってきた。  肩を組む時みたいに頭をコツンとぶつけられてドキッとする。 「……まだ早くね……?」 「別に、そう言う意味じゃない」 「じゃあ、何?」 「安心する、と思って」  そう言うと冬馬は俺を抱き寄せ、肩口に顔を埋めるようにすると、深く息を吸い込んだ。 「頑張ってるもんな、偉い偉い」そう言って頭をなでてやると、彼は「ん……」と頷いて甘えるように頭を擦り付けてきた。  しばらくそうして、ぼんやりと二人の時間を過ごした後、どちらからともなく唇を重ねる。最初は軽いキスだったが次第に舌を絡め合う深いものへと変わっていった。  互いの熱を確かめ合ってからようやく唇が離れる。透明な糸を引きながら離れていくそれを名残惜しく思いながら見つめていると、冬馬は照れたように目を逸らした。 「……冬馬はさ、俺に愛想尽かさないの?」 「何で」 「だって……。居なくなった恋人の替わりにしてるじゃん、俺」  自分で言っておいて傷付いている自分に呆れる、きっとこれは自虐なんだ。 冬馬は優しいから。  そんな俺の気持ちを察したのかどうかは知らないけど、彼は呆れたように溜息を吐いて首を振った。 「それでも良いって言ったろ」 「でも……」と言いかけた俺の言葉に、かぶせるように冬馬が口を開いた。 「……そんなこと言われたら……、期待しても良いのかも知れないって思いたくなるだろ……」 「え……」 「アキも俺の事、想ってくれてるなんて……そんなの自惚れだし」  目を伏せて自嘲気味に笑う姿に胸がぎゅうーっと痛んだ。そうだ、辛いのは俺じゃなくて冬馬の方なのになんで忘れてたんだろう。  冬馬は俺を支えてくれるもの、だなんて思い込んでた俺の方が自惚れていた。冬馬は俺のこと好きでいてくれてるけど、負担になってるに違いない。それなのに甘えて縋って、こんなの酷いじゃないか。 「ごめん……俺……」 「アキは、どう思ってんの……?」  正直に言うべきだと思った俺は、恐る恐る口を開く。  ずっと思ってたことだけど口に出さなかったこと。  言わなきゃダメなんだと分かってたのに、言えなかったこと。  その罪悪感から逃れるために自分本位になっていたことを謝罪しなければと思ったからだ。 「言い訳に聞こえるかもしれないし、何言ってんだって事、言ってるって自覚はある、でも……不誠実だと思ったんだ。ハル君にも、冬馬にも」 「不誠実?」 「だって、恋人が居なくなって一年も経ってないのに、冬馬と寝ちゃうし……そのまま済し崩し的に、と、冬馬の事好きになったんじゃ……駄目だなって、思って……」  冬馬は黙って聞いている、俺は構わず続けた。 「それに……冬馬のこと利用してるのも。好きだって言ってもらえたからって甘えて、流されて身体を重ねてるって。なんか、嫌な奴みたいじゃん。そんなんでお前の気持ちに応えるのって、不誠実だと思ったんだ」  黙って聞いていた冬馬は、最後まで聞き終えると溜息をついた。呆れられたかな、と思ったけど、仕方がないよなって気持ちもある。  だって事実だ。俺は冬馬を利用しているのだから。 「遊びと思ってないのなら、それがアキの気持ちなんじゃないのか?」 「うぅ……ん」 「それとも俺とは遊びで寝た……?」言い淀んでいる俺に冬馬は畳み掛けるように言うので、反射的に「違う!」と否定していた。  冬馬は俺の答えを聞いてホッとしたような顔をしていた。  その表情を見て自分がいかに馬鹿だったのかを思い知らされたような気がした。  あぁ、そうか。冬馬は本気で俺の事好きなんだ。そう思うと申し訳なさが込み上げてきて涙が溢れそうになる。 「ごめん……」 「別に、責めてるわけじゃないから」 「うん」 「……答え出るまで、待つけどさ。それまで傍に居ても良いんだよな?」  居るなって言ったって居る癖に、そんな風に言う冬馬は狡いと思う。いつだって俺に決定権を委ねるんだ。  本当はもう答えは出てる。だけど、臆病な俺はまだ迷っているフリをしていたいんだ。ごめんな。 ───────────────……

ともだちにシェアしよう!