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第46話

 8月後半、天気予報では今年の夏は冷夏だとか言っていたくせに、今年は例年の記録を追い越す様な酷暑が続いた。連日最高気温を更新し、熱中症患者が増える一方だ。そんな中ムンムンと熱気を放つ工場内にいる俺はと言うと、毎日汗だくになりながら作業に追われていた。 「暑いわね~、秋生ちゃん、熱中症になっちゃうから塩飴舐めておきなさい」  昼休憩中、検品ラインで働いているパートのおばちゃん達が、俺達製造ラインの人間に気を遣って塩飴を配っている中、弁当を食べる。  他の作業員達も暑さでバテ気味だ。  特に俺達の作業しているプレス機付近は機械熱で灼熱地獄だ。ただでさえクソ暑いのに、冷房はついてないし、風通しも悪い。もう5年近く働いているから毎年の熱さには慣れっこだが、今年の暑さは異常だ。  工場内の温度計を見ると42度を超えている、42度だぞ、風呂の温度じゃないんだから。  いつかの夏木さんみたいに熱中症で倒れる訳にもいかないし、今年こそはボーナスで空調服を買わないとなぁ、と考えながら弁当を食べ終えて作業に戻った。  ──暑い……暑い……暑い……暑い……。  同じ言葉が頭の中をぐるぐる回る、とにかく暑くて喉が渇く、汗が渇く前に次から次へと噴き出て流れるものだから、すぐに服の中がビシャビシャになってしまった。  それでも何とか終業時間を迎える事が出来たので、さっさとシャワーを浴びて帰ろうとしたのだが、なんだか頭が痛くて吐気すら感じる。  始めの内は暑い中働いて疲れている程度に思って帰路についたのだが、自宅に着くころにはフラフラになっていた。  なんとか鍵を開けて部屋に入るとクーラーをつけて、水を飲んで一息つく。しかし、頭痛はなかなか治まらずむしろ酷くなっていく一方だ。  胃の辺りもムカムカして、フラフラと覚束無い足取りでトイレに行ってゲロゲロと吐いてしまった。  吐き気が落ち着くと今度は猛烈な倦怠感に襲われてその場にバタンと倒れ込んだ。  意識が朦朧とする中、このままではヤバイと判断した俺は震える手でスマホを取り出して救急に連絡を入れると、電話口からの指示に従って救急車を呼ぶことになった。  誰かに助けて貰いたかったが、生憎頼れる人など居ないのだ。  幸い救急車はすぐに駆けつけてくれて、担架に乗せられると近くの病院に搬送される事になった。  結果、熱中症の中等症だという診断を受けた俺は、処置室のベッドで点滴を受ける羽目になった。 ───────────────…… 『それで、大丈夫なのか!? 死ぬんじゃないだろうな!?』  病院で処置を受けている間、毎晩の日課である冬馬のメッセージに返信できなかった俺のスマホは、彼からの鬼のような着信履歴で埋まっていた。  心配性だな、大丈夫に決まってるじゃんと思いながら、メッセージを返すとすぐに通話がかかってきて、上記のセリフが飛び出したというわけだ。 「点滴打ったらよくなったよ、あー……もう、ぜってー空調服買う」 『今から行くから、どこの病院だ』 「はぁ? 良いよ大したこと無いし、点滴終わったら帰るよ」 『なんだそれ、入院はさせてもらえないのか?クソ、待ってろ、すぐ行くから』  そんな大げさな、と苦笑しつつ、彼にこれ以上迷惑を掛けたくない一心で断ろうとしたのだが、結局押し切られてしまい仕方なく病院の場所を教えた。点滴が終わって看護師さんに感謝の言葉を述べて外に出る頃には20時を回っていた。  救急の入り口から出るとタクシーが物凄いスピードで入ってきて急ブレーキをかけて止まる、ドアが開くと中から冬馬が飛び出してきて、入り口に立ってる俺を見つけると駆け寄ってきた。 「アキ! 大丈夫か? どこが悪いんだ!?」 「いや、もう平気。これから帰るとこだよ」 「タクシーで帰ろう、歩けるか? 背負うぞ? ほら。」  強引に肩を貸して歩かせようとする冬馬を制して自力で歩く。ただの熱中症なのに、まるで重症患者みたいな扱いをして来るのが恥ずかしい。しかもタクシーの運転手さんが居る前でもお構いなしだ。 「もう良いって、ホント、自分で乗れるからっ!!」  まだ少しフラフラしたけれど冬馬の身体を押しのけながらタクシーに乗り込むと、冬馬も続いて乗り込んできた。  あぁ、この運転手さん、俺達の事どんな関係だと思ってるんだろう。変な風に思われてなければいいなと祈りながら帰路に着く、程なくして俺のアパートに辿り着いた。 ───────────────…… 「ありがと、冬馬」 「大丈夫か? アキ、食べたいものあるなら買ってくるぞ?」  部屋に入るとすぐにベッドに寝かせられてしまって、冬馬は甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくる。 「いや、もう良いってばぁ……」 「良くない、熱中症は死に至る事もあるんだ。俺はアキが心配だ」 「点滴打ったしもう大丈……」 「医者の誤診もあり得るだろ、これから症状が悪化し始めたらどうするんだ」  俺の言葉を遮り早口で捲し立てる冬馬は必死だった。そんな大げさな、と思わなくもないけれど、心配してくれているのは少しうれしいかもしれない。 「だ、大丈夫だよ……。冬馬が来てくれたから、悪化してもまた病院連れてってくれるだろ?」 「当たり前だ」  きっぱりと断言されてしまった。こりゃ駄目だ、何を言っても無駄だと思い至った俺は口を噤み、大人しく横になっていることにした。  しばらくしてウトウトと微睡んでいると、彼の手が額に当てられ、前髪を梳く様に撫でられる。  その手つきが優しくて、思わず口元が緩んでしまう。 「帰んなくていいの……?」 「泊るよ」 「でも仕事は?」 「アキは気にしなくていい、平気だ」 「……そか……」  冬馬が良いと言うならそれでいいかと思って目を閉じたまま返事をする、程なくして眠気がやってきたのを感じると同時に意識は闇の中に溶けて行った。 ───────────────……  熱中症は点滴を打って家に帰った後、一晩寝たら次の日にはすっかり良くなっていた。  工場には何も連絡入れてなかったから今日も出勤するつもりで朝の支度をしていると、弁当を作っている俺の背後にあるソファで寝ていた冬馬が目を覚ましたのか、声を掛けてきた。 「何してんの」 「何って弁当作ってんだよ、今日も仕事だし」 「……は?昨日の今日だぞ、正気かよ」  冬馬は信じられないものを見るような目で俺を睨みつけた。  もうすっかり元気なんだから仕事を休むなんてとんでもないと思って言ったのだが、彼にとっては違ったようだ。 「そんなに仕事が好きなのか? それとも休めない理由でもあるのか?」 「いや、ねぇけど」 「ブラックなのか?」  別にブラックじゃないけど、と言い返そうとしたら、言葉の途中で抱きすくめられてしまった。突然の事で混乱していると「仕事辞めたらいい」と何を勘違いしているのかそんな事を言い出す始末だ。 「俺の家で働く、でもいいぞ。専属家政婦として雇う、家事全般やってくれればいい。そうすれば無理しなくても金が入るだろう」 「はぁ? 何言ってんのお前」 「そうすれば俺の目の届くところにアキが居て安全だし、住み込みで働けば家賃も浮くだろ。一石二鳥じゃないか、どうだ?」  頭でも打ったのか真剣な顔をした冬馬は突拍子もない提案をしだす、冗談かと思ったけれど本気で言っているみたいだ。  誰がそんな提案に乗るかと拒否すると、彼はますます機嫌が悪くなり眉間にシワを寄せた。 「じゃあせめて今日は大事取って休め。俺の傍に居ろ」 「何で冬馬に命令されなきゃなんねーんだよ!」  こいつ俺が具合悪くなってる間にどうかしちゃったんじゃないのかと思う程に変だ、いや、前から変な奴だったけど。 「俺が仕事行くって言ってんだから、それでいいだろ。冬馬も、もう帰って良いよ、ほんとに」 「嫌だ」 「居たってどうしようもねぇじゃん」 「アキが休まないっていうなら、俺が職場に付いて行ってアキの労働環境について抗議してやる」  横暴過ぎるわ!!と叫びたくなるのを抑えて大きくため息をつく、こうなってしまってはもうどうしようもない。何を言っても付いてくる気でいると悟った俺としては、下手に抵抗するよりも言うことを聞いてやった方が早く済むと思ったのだ。  諦めた俺は工場に電話を入れ、熱中症の件を話して今日一日仕事を休ませてもらう事にした。 ───────────────……  工場に休みの連絡を入れると冬馬はすぐに機嫌を直して鼻歌なんか歌い出した。本当に単純だと思う、子供みたいじゃないか。  それから数時間、一緒にテレビを見たりゴロゴロしていたが、何というか、この糞暑い中エアコンの効いた部屋でゴロゴロしているのって、背徳感がある。  今頃工場ではみんな汗水たらして排熱と戦いながら仕事をしているんだろうなって思うと申し訳ない気持ちになってしまうのだ。 「罪悪感がすごい……」 「罪悪感?」  ポツリと溢すと、俺にべったりくっついて離れない冬馬が聞き返してきたので説明する、熱中症で倒れた事もあって余計に申し訳なく感じてしまうのだと伝えると、冬馬は俺の頭を撫でながら優しく微笑んだ。 「アキは病気なんだから良いんだ、休む権利くらいあるだろ」 「いや、もうピンピンしてるし」  熱中症のせいで仕事に行けなかったんじゃなくて、お前が言い出したんだろ、と言い返すが冬馬は聞いていないようで、俺の髪をかき上げ額にキスを落とした。  そのまま頬ずりするようにすり寄ってきた彼の背中に手を回して撫でると、冬馬は嬉しそうに笑って首筋に吸い付いた。 「ヤダ……すんの?」 「少しだけ」 「病み上がりだって言ったの、冬馬じゃん……」  唇を尖らせて文句を言いつつも、結局は流されて受け入れてしまう俺。  あぁ、俺もバカだなぁと思いつつ、彼を受け入れた。 ───────────────……  蝉が鳴いている、カーテンの隙間から漏れる真夏の日光を浴びながら、俺と冬馬は汗だくで絡み合っていた。  ぽたりぽたりと腹の上に雫が落ちてきて、自分の汗だけじゃない事を悟る。  覆いかぶさってくる冬馬の髪の毛が肌に張り付いていて鬱陶しく、動くたびに揺れる毛先がくすぐったかった。 「……アキ……アキ……」 「何だよ……」 「生きててくれてよかった……」  切羽詰まったような声で言うものだから、胸が締め付けられる思いになって何も言えなくなる。  冬馬は泣きそうな顔をしていた。 「かっこいい顔が台無しじゃん」と茶化すと、「うるせぇ、好きなんだから仕方ないだろ」と言われてしまった。  汗を滴らせながら必死に律動する彼の背中に手を伸ばし抱きしめると、俺は目を閉じた。 「……うん」 ───────────────……

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