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第47話

 次の休日、俺は先日熱中症になったことを受けて空調服の購入を検討していた。  洋服に2万円なんて大金を出すのが惜しくて、長年欲しくても我慢していたのだが、流石の俺も命の危機に晒されれば否応なしに検討せざるを得なくなったのだ。  そんなわけで、今俺は冬馬と二人で近くの作業用品店に来ていた。別に冬馬は一緒に来る必要もないんだけど、休みの日に買い物に行くと言ったら「付いてく」と頑なに言い張ったためこうして二人で訪れている。 「どれにしようかなぁ、やっぱ風量多い方が涼しくなるだろうけど、バッテリーの充電に電気代掛かるのも嫌だよな」 「どれも似たような値段じゃないか、好きなのにしろよ」 「そうは言うけど、金払うからには損したくないでしょ」と溢すと、「じゃあ俺が金出せばいいじゃないか、買うぞ?」とさらに面倒くさい事を言い出した。 「いや、何で俺の買い物に冬馬が金出す必要あんの?」 「アキの命を守るもんだし、この程度安い出費だ」 「……はぁ……」  全く話が通じない。呆れを通り越してちょっと怖い。この前熱中症で倒れてからというもの、冬馬はずっとこんな調子で過保護だ。  以前から「好きだ」とは言われてるから、彼の好意については理解しているつもりでいるんだが、こうも盲目的に愛されると流石に困惑してしまう。  悩みに悩んで選んだ空調服を手に取って、支払いを譲らない冬馬と攻防しながら何とか会計を済ませて外に出た。  炎天下の外はやはり暑い、直射日光を浴びた身体が悲鳴を上げているのが分かる程だ。 「あっちぃ~~~……。アイスでも食ってかねぇ?」 「太るぞ」 「でたよ、ストイック人間。なぁ、アイス一緒に食べようぜぇ? たまにはいいじゃん。ね?」  胸の前で手を合わせておねだりポーズを作る、ちょっとあざとすぎてキモいかも知れない、と思いつつも冬馬の事を上目遣いに見ると、彼は困ったような顔をして目を逸らした。 「……し、仕方ないな」  よっしゃ勝った! 冬馬チョロ過ぎ。  内心ガッツポーズを決めつつ、コンビニに立ち寄って二人分のアイスを買い込むと、近くの公園で食べることにした。  ベンチに並んで座りながらアイスの袋をバリバリと開けて中身を取り出し齧り付く、冷たくて甘くて美味しい。 「あ~……夏はやっぱりアイスに限るよなぁ~」  バニラ味の棒アイスを舐めながらしみじみ言うと、隣でシャーベットを食べていた冬馬が小さく笑った。 「なぁ、それどんな味?」  気になって声を掛けると彼は俺の方を見て、その黄色のシャーベットを差し出してきた。食べてみるとレモンの味が口の中に広がる、爽やかな酸味が心地よくて美味しいな、と頬を緩ませていると、彼の顔が近づいて来てキスをされた。 「ん……」  蝉しぐれの中、真昼間の公園のベンチでキスなんてシチュエーションに驚いて硬直してしまった俺だったが、彼は気にせず舌を絡めてくると、唾液ごと奪われるような勢いで激しく貪られた。 「とう……ま……」  息を荒くして名前を呼ぶ、手に持っていたアイスが蕩けてポタリと地面に落ちた。  唇を離すと透明な糸が伸びて、それを指で拭って舐め取った冬馬は、満足そうな笑みを浮かべていた。 「な、なにすんだよ」 「可愛かったから、我慢できなかった」 「は……はぁぁぁ~~~?」  可愛いって言われても嬉しくないんだけど、と思いつつも照れてしまう自分が悔しい。誤魔化すように棒アイスをペロペロ舐めながら気を紛らわせていると、隣の彼が「何かエロいな、それ」と呟くもんだから、思いっきり肩を蹴り飛ばしてやった。 「変な想像してんじゃねぇよ!」 「いつも舐めてるもんな」 「うるせぇ! 黙れ変態」 「仕返しだ。さっき、わざと可愛い子ぶってアイス買おう、ておねだりしてきただろ」  う……。バレてたか、くそぉ~……。  恥ずかしさを誤魔化すために残りのアイスを口に詰め込んで飲み込むと、棒を捨てて立ち上がる。  隣を見ると、冬馬は空になった容器を弄りながらこっちを見ていた。 「どした……?」 「いや、来年も、再来年も、こうしていられたらいいなと思って」  遠くを見つめる眼差しがどこか儚げに見えて、俺は何とも言えない気持ちになった。  もう答えは出ている、でも素直に「好きだ」というには、曖昧な時間があまりに長く流れ過ぎていて、躊躇ってしまう。  それに、言えない理由は他にもある。恋人になったからって、俺達の関係が確かなものだとは、何にも言えないからだ。  もしも冬馬が飽きてしまえば、俺達はそこで終わってしまう。  俺だって男だ、身体だけの付き合いを続けるよりは、ちゃんと恋人になりたいと思ってる。  でもそれは、とても難しいことなのだ。 「冬馬はさ……ずっと俺と一緒に居たい?」 「ああ」 「……そっか」 「アキは?」 「…………俺もだよ」  それだけ答えると、冬馬はホッとしたように小さく微笑んで俺の手を握って来た。  手のひらがじっとりと汗ばんできた気がするが、振り払う気にはなれなかった。 ───────────────……  何となく冬馬には思いは伝えた、そう、本当に何となく伝わる程度。  でも、そろそろはっきりしないといけないんじゃないかって、そういう時期にあるんじゃないかって思う。 「もう平気だって、あれから1週間も経ってんのに、逆になんでまだ家に居んの」 「アキが心配だからに決まってんだろ」  何度目になるか分からない言葉の応酬を繰り返しながら玄関先で押し問答をする俺と冬馬。  熱中症になった夜からかれこれ一週間、冬馬は俺の家に居座ったままだ。冬馬だって今が一番大事な時期で、仕事だって選んでられないだろうに、俺の所為で俳優の仕事がなくなってしまったら責任取れやしない。 「俺は冬馬の方が心配だよ! 仕事復帰できなくなったらどうすんの?」 「そんなのどうにでもなる」 「あーもう!」  埒が明かない、こうなったら無理やり追い出してやると、冬馬を蹴り出して強引にドアを閉めようとしたら、その長い脚を突っ込んできて妨害して来た。  馬鹿力に勝てずにこじ開けられてしまい、ドアを挟んで冬馬と睨み合ったまま数秒経過したが、折れたのは俺だった。 「はぁ……。もう、ホントに知らないからな」 「アキが俺の家に住み込み家政婦として来てくれれば、全部解決するんだがな」  またその話かよ、と呆れると同時に、ここまで頑固だとちょっと笑えてくる。  まぁ実際工場で働くよりは楽そうだし、お金も貰えるし、冬馬の身の回りの世話だけしてればいいならアリっちゃありだけど。それって何かヒモっぽくないか?  ただでさえ駄目な関係続けてるのに、更に駄目になりそうでちょっと抵抗があるんだよなぁ。 「家政婦は、ちょっとヤダ」  そう言うと冬馬は眉根を寄せて不服そうな顔をした。  そんな顔されても困る、ヒモに成り下がったらそれこそ終わりじゃん。 「冬馬は俺と付き合いたいんだろ?」 「ああ」 「じゃあ、対等な関係で居たいって思わねぇ? 冬馬の家に居候して家事して給料もらって……じゃ、冬馬に勝てない立場になるって事じゃん」  ちょっとキツい言い方かなと思ったけど、これも本音なのでしょうがない。冬馬は顎に手を当てて考え込んだ後に口を開いた。 「それは……俺と付き合ってくれる前程、って事で良いのか?」 「は? え? あ……ち、違くて……! そう言った方が分かりやすいかと思って!」  予想外の質問に一瞬動揺して慌てて否定する、確かにこの言い方じゃ「付き合う前提」の話みたいだ、違うんだってばっ。  焦っているのが伝わってしまったのか、冬馬はさらに難しい顔をして黙り込んでしまった。  玄関の戸を挟んでこんなやり取りを続けるのも近所迷惑になりそうだから、とりあえず家の中に招き入れ、ダイニングのソファに座らせると麦茶を出してやり、俺も自分の分の麦茶を手にして冬馬の隣に腰掛ける。 「……なかなか答えだしてやれないのは……悪いと思ってるよ。マジで」 「何か理由があるんだろ?」 「うーん……まぁ……」と彼の言葉に肯定とも否定とも取れない相槌を打つ、嘘を吐くことも出来ずに黙り込むと、冬馬はじっとこちらを見てきた。 「聞きたい、理由があるなら」  そう真剣に問われるものだから、俺は渋々口を開くしかなかった。 「……付き合ったところでどうなんの?って感じがすんだよ、ほら……俺達もう身体の関係もあるし、これ以上の進展ってない訳じゃん」 「でも、恋人っていう関係の名前が付いただけで、変わることもあると思う」  冬馬は至って真剣な眼差しのままだ。 「そうなんだけどさぁ……。ていうか何でそんなに付き合いたいの?」 「好きだから」  即答されるとドキッとしてしまう、相変わらずストレートすぎる言葉に狼狽えながらも平静を装って質問を続けた。 「でも今も変わんないじゃん、デートして、キスして、エッチして……それじゃダメなの?」 「明確な関係の名前が欲しい」 「……そか」  はっきりと言われてしまい、それ以上反論が出来なくなってしまう。  そうか、冬馬は俺と付き合いたいんだ。  その気持ちはとても嬉しいけれど、だからこそ不安もあるわけで。  もし仮に付き合ったとして、今より上手く行かなかったらどうしようとか、飽きたって言われたらどうしようとか、色々考えてしまうのだ。  だって恋人ってだけじゃ、何の保証にもならないじゃない? 冬馬が居なくなったら俺、独りぼっちだ。 「付き合って上手くいかなかったらどうすんの、前みたいな友達に戻れると思う?」 「上手くいかない事なんて無いだろ」  根拠のない自信を持つ彼が恨めしい、この男はいつだって真直ぐで迷いがないのだ。  何だか自分だけが悩んでるのがアホらしくなってくる。 「ん~~~……じゃあ、付き合うか?」 「ああ」 「……ホントに良いんだな?」 「ああ」  念を押すように確認すれば、冬馬は力強く頷いて見せた。  本当に良いのかよ、後悔しないのかよ、ほんとかよ……。  疑いの気持ちを込めてジトリと見ていれば、彼は困ったように笑いながら両手を広げ、おいでと言うように見つめて来た。 「付き合った、て事で良いんだな?」 「んー……まぁ……」  今まで散々曖昧な関係を続けておいて、今更恋人面するのもどうなんだって話だし、本当にこれで良かったんだろうかって思うけど。  でもここで濁したら冬馬が悲しむかなって考えると、違うとは言えず、彼の腕の中に吸い込まれるように身体を預けた。 ───────────────……

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