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第50話
「今日も泊まり……か」
キッチンで夕食の準備をしながら、冬馬からのメッセージを確認する。
映画の撮影も佳境に入っているのか、最近はロケ先での撮影がメインで、彼が家に帰って来ることも少なくなってきた。
俺はと言えばそうなってしまったことに寂しさを感じてはいるものの、本人に「寂しい」とは言わずにいる。俳優として成功することが冬馬の夢だし、その為に努力している彼の邪魔をするような真似はしたくないからだ。
恋人だからといって、彼の人生を束縛する権利などないのだ、俺は大人なんだからそこは弁えなければならないと思っている。
会えない間にお互いの事を想う時間もある訳で、それがまた俺たち二人の関係をより強固にするものだと思う事にしていた。
食卓に着いて、食事をしながらテレビを見たあとは、早めに風呂に入ってお菓子と缶チューハイを用意してリビングのソファに腰掛けた。
今日は冬馬が出演しているドラマの放送日なのだ、まだ主演の仕事はもらえないけれど、久々のテレビ出演ということもあり楽しみにしていたのだ。
録画予約をして準備完了。後は待つだけ、クッションを抱えてドキドキしながらテレビをつけた。
───……
ドラマは社内恋愛もので、お局になってしまった主人公の女性が急にモテ期に入って、色んなイケメンから言いよられるといったストーリーだ。
冬馬は当たりの強いツンツンしたエリート役で、厳しく言葉もキツイが、実は主人公の事が好きすぎるあまり意地悪をしていたという役だ。彼の美貌もあってかなかなかハマり役である。
普段無口な癖に、演技では長いセリフもコミカルな仕草でスラスラ言えるところ、凄いよなと素直に感心してしまう。家でも台本を読んでる時の彼の集中力は本当に凄まじくて、俺が話しかけても気づかないほどだ。
「はぁ……かっこいいな」
これが俺の恋人だなんて、誰が想像できるだろう?きっと誰も信じないはずだ。
見惚れている間にあっという間に一話は終わってしまった、次の話も楽しみだ。お菓子と空になったチューハイを片付けて、二本目の缶を開けようとしたところで携帯が鳴った。冬馬からだ。
「よ。どしたの?」と電話に出ると、冬馬は電話口で笑みをこぼしたのか『ふ……』と吐息を漏らす様に笑っていた。
『声、聴きたくて』
「なんだよそれ」
『会えないと寂しいから、アキは違うのか?』
キュン、と柄にもなく胸が高鳴る、嬉しい。
俺だって冬馬に会えなくて寂しいに決まってる。
「あ、当たり前じゃん……」と返すと『じゃあ、アキも寂しいって言って?』なんておねだりしてくるものだから、恥ずかしくて言葉に詰まった。
「……寂しいよ?」
『ん……。寂しいな』
「何このやり取り」
思わず笑いながらツッコミを入れると、冬馬は電話越しでもわかるほど嬉しそうに笑った。
『仕事、休み取れるならロケ地来るか?それなら手配するけど……』
「ん-や、現場に素人居たら邪魔になるだろうしやめとくよ」
『そか……。』
「その代わり、帰ったら。な?」
そう言うと、冬馬は『楽しみにしてる』と優しい声色で呟いた。本当はもう少し話して居たかったけど、明日も早いだろうから長々と電話をするのは良くないと思い、名残惜しかったけれどそこで通話を切った。
寂しいと言ってしまった事を、今更少し後悔しつつ、テーブルの上を片付けたあと、歯を磨いてから自分もベッドに潜り込んだ。
───────────────……
冬馬は相変わらず多忙だ、だからと言って俺が彼に「寂しいから一緒に居てくれ」という事は決して無い。それは冬馬の夢を応援すると決めた以上絶対にしてはいけない事だと自分自身に言い聞かせていたからでもある。
しかし一緒に暮らしていてもすれ違いばかりで、ほとんど顔も合わせられずにいる現実に、俺は心が折れそうになってきていた。
『明日からまたスタジオ撮影になるから、帰れるようになる。』
「でも帰り遅くなるんだろ? 東京でホテルでも借りた方が良いんじゃないか?」
『それだとアキが寂しいだろ』
「んなことねぇよ、仕事で毎日クタクタなのに余計な気使うなよ」
折角家に帰って来ると言ってくれている冬馬に対して、こんな可愛くもない言い方しかできない自分に嫌気がさす。
本当は嬉しくて仕方がないのに。
早く帰ってきてほしいのに。
それでも強がってしまうのは、やっぱり俺も男だからだ。自分が女だったら、なんて思うことは無いが、こういう時に女だったら素直になれたのかなと考えることはある。
性別の壁と言うのは、思っている以上に高く険しいものなのだ。
『でも俺は……』
「いいから、冬馬も今大事な時期なんだから無理すんなって」
冬馬を困らせたくない一心で、心にも無いことを口に出す。
すると、電話口から溜息が聞こえた後に、明らかに落胆したような声色でこう言った。
『役者じゃない俺に、価値なんて無いもんな』
「はぁ? なんでそうなんの」
『いや、いい。悪かった。風邪ひくなよ』
「冬馬もな?」
『うん……』
冬馬は最近疲れてるんだ、あんな事言うつもりなかった。
何であんなこと言っちゃったんだろう? もっと可愛げのある事言えば良かったのに……。
バカだ……俺。
───────────────……
それから数日、何事もなく平和な日々が続いた。
いつも通り朝起きて顔を洗い、朝食を食べて身支度を整えてから出勤して、パートのおばちゃん達や他の作業員と話をしたりして過ごす。
仕事が終われば家に帰り、夕食を作ってテレビを相手に食べて、冬馬と少しの通話をして、風呂に入り、寝て起きての繰り返し。
冬馬が居なくたって日々の生活に変化はなく、淡々と過ぎていくものだった。
今日もいつも通り退勤して夕食を作っている最中のこと。
スマホに見知らぬ番号から着信が入った。誰だと思って恐る恐る出ると、電話の向こうの人は“冬馬のマネージャー”と名乗った。
『すみませんが、TO-MAはそちらにお邪魔してますでしょうか?』
「え、いや、来てないですけど。何かあったんですか?」
『お邪魔していないのであれば結構です。夜分に申し訳ございませんでした。失礼致します。』
そう言って一方的に電話は切られた。何かあったのだろうかと、すぐに冬馬に通話を掛けてみたのだが繋がらない。
普段俺から掛けるとワンコールも鳴り終わらないうちに出るはずなのに、全く反応がない。
どうしたんだろう?何かあったんだろうか?それとも、単に寝てるだけ?
なんだか嫌な予感がして、玄関を開けて扉の前で暫く冬馬が来るかどうか待ってみることにしたが、彼が俺の元を訪れることはなく春夜の空気が凪いでいるだけだった。
───────────────……
翌日、今日は仕事が休みで、本当は朝から風呂掃除とかトイレ掃除とかやりたかったのだが、昨夜の一件で冬馬の事が気になって仕方なく、結局昼を過ぎても、冬馬のスマホに何度もしつこく電話をかけていた。
冬馬の事だ、寝ているだけだとか、スマホを置いて出かけてるだけだとか、理由は様々考えられる。
そう思っていても、彼のマネージャーから電話がかかってきた事を思うと不安で仕方が無い。
何度目かわからないくらいのコール音を聞いていると、突然ブツリと音が鳴って、電話が繋がった。
「冬馬!?」
『……アキ……』
電話越しの冬馬の声は掠れていて、明らかに様子が変だった。
「お前何やってんだよ、マネージャーさんから電話来たぞ?」
『悪い……なんか、全部嫌になって……』
「どういう事?」
『撮影サボった』
なんというか……、予想の斜め上を行っていた返答に拍子抜けしてしまったが、事故とか事件に巻き込まれていたわけじゃなくてホッとした。
「とりあえず家、帰ってこない?」
『アキは……俺が帰っても良いのか?』
「はぁ?冬馬の家でもあるだろ、何言ってんの」
そう返事をしても、返事は返ってこなかった。沈黙が続く。状況もよくわからないし、何を言っていいかわからなくて困っていたら、冬馬の方から口を開いた。
『アキはさ……アキにとって俺ってさ……』
何を言いたいのかよく分からなくて「はぁ?」と気の抜けた返事をしてしまったが、それに対して冬馬は言葉を詰まらせているようだった。
「話聞くからさ、帰って来いよ。な?」
『ん……。』
納得してくれたかは分からないが、冬馬はそれ以上何も言わずに電話を切った。
───……
玄関の外、扉に背を着けて冬馬を待っていると、午後6時過ぎ頃になって彼は帰って来た。
上下部屋着で、まるでさっきまで寝ていたみたいな恰好のまま、手ぶらで帰ってきたのだ。
「どこ行ってたんだよ……まったく」
「……悪い」
見るからに落ち込んでいる様子の冬馬を家の中に招き入れ、ダイニングの椅子に座るように促してから、コーヒーを淹れる準備をした。
ケトルに水を入れスイッチを入れた後で彼の方を見ると、下を向いてジッと黙り込んでいた。
普段から無口だし、動きの多い奴ではないけれど、今日の冬馬は明らかにおかしかった。
「で、全部嫌になったって具体的に何があったの?」
温かいコーヒーを渡しながら向かいの席に座り、話を聞く体制に入る。すると冬馬はボソボソと聞き取りにくい声で話し出した。
「言ったら、きっとアキは、がっかりするから……」
「良いから話してみ? 話せば少しは楽になるかも知れねーだろ?」
そう言いながら彼の顔を見つめると、冬馬は小さく溜息を吐いてポツリポツリと話し始めた。
「仕事が忙しくなって……アキと触れ合える時間が減った……でも、アキは……寂しくない、頑張れっていうじゃんか……俺、それが辛くて」
「そりゃ、俺が寂しいって言って、冬馬の仕事の邪魔するわけにはいかないからだろ?」
「……だから、なんか……」と呟きながら冬馬はマグカップの中に視線を落としたまま動かなくなった。
こういう時、冬馬はすぐに言葉を飲み込んでしまう癖があって、言いたいことがあっても言わないことがある。これは長期戦になるぞ、と覚悟を決めたところで冬馬が口を開いた。
「アキに会えなくて寂しくて、仕事、やりたくないって思った」
「うん……」
「でも……仕事したくないなんて言ったら、アキに嫌われると思って、そしたらなんか……全部嫌になって……逃げた」
「そんな事で俺が嫌いになるかよ?」と言いたかったが、学生のころからやりたかった役者の仕事をサボってしまう程、今の冬馬は追い詰められているのだと分かって胸が痛くなった。
「俺からの電話に出なかったのは、それが理由?」
「……アキに責められたら……立ち直れないと思ったから……」
「はぁ。成程ね、俺は事件とか事故に巻き込まれたんじゃないかって、すげー心配したんだけど?」
そう伝えると冬馬は申し訳なさそうな表情を浮かべて、小さな声で謝った。その様子はまるで母親に叱られた子供の様で、見ていて可哀想になってしまう。
「アキは……アキはさ……」
「ん?」
「役者じゃない俺に、価値なんて無いと思ってるよな……」
冬馬の瞳からは大粒の涙が流れ出していた、きっと心の奥にしまっていた本音なんだろう。
なんとなくだが、彼が逃げてしまった理由の輪郭が見えてくるような気がした。
恐らくは、俺が「頑張れよ」と励ましたことを“突き放し”のように感じてしまったのだろう。
彼のためを思っていた言葉が、逆に彼を孤独にさせていたのかも知れない。
彼は、役者でいることで、ずっと自分の価値を保っていた。でも、俺の前では“それ以外の自分”でいたかったのかもしれない。
それなのに俺は“俳優として頑張れ”としか言ってこなかった。彼の“人間としての寂しさ”を、ちゃんと見てやれてなかった気がする。
なんだかいたたまれない気持ちになった。
こんな時こそ、寄り添ってやらなくてはならないというのに。
どうして俺はいつもこうなってしまうんだろう? 泣き始めた冬馬を目の前に、自分の不甲斐なさを痛感せずにはいられなかった。
「そんなわけないじゃん、モデルでも役者でもなくても、冬馬は冬馬だよ」
「それ、本心?」
「当たり前じゃんか、じゃなきゃ付き合ってねぇよ」
そう言うと冬馬は顔を上げてこちらを見た後、また俯いてヒクヒクと肩を揺らし始めた。そんな彼を見ていると、こちらも目頭が熱くなってきてしまい、慌てて袖で目元を拭う。
「まったく、あとでマネージャーさんに、ちゃんと連絡しろよ?」
「……ん。アキ……」
「何?」
「キスして良いか……?」
「……いいよ」
本当は連絡がつかなくて不安だった気持ちを冬馬にぶつけてやりたかったけど、初めて俺の前で涙を見せた彼を前にして、そんな無神経な事はできず、俺は彼からのキスを甘んじて受け入れた。
「……アキ、俺はアキに会えなくて寂しかった」
「そんなの、俺だってそうだよ。でも、俺が寂しいって言ったら、冬馬、仕事辞めちゃいそうなんだもん」
正直な気持ちを伝えると、彼は「駄目なのか?」と不思議そうな顔で聞き返してきた。
「当たり前だろ?俳優は冬馬の夢だった仕事じゃん、俺が足引っ張るみたいな事言えっかよ……」と言いつつ、本当は物凄く辛かったし寂しかったのも事実なので、その気持ちを押し殺すかのように冬馬の胸に顔をうずめて抱きしめると、彼も俺の背中に腕を回して抱きしめ返してくれた。
「アキも、ちゃんと寂しかったんだ」
「そうだよ、悪いかよ」
照れくさくてぶっきらぼうな口調になってしまったけど、冬馬は気にしていない様子で「嬉しい」と呟いた。
「ところでさ、俺の電話番号、何で冬馬のマネージャーさんは知ってたんだ?」
ふと気になって問いかけると、冬馬は気まずそうに目線を逸らし「保護者の連絡先って言って教えてある……」と小声で言った。
「いつ俺は冬馬の父親になったんだよ……」
呆れて溜息をつくと、彼は「はは」と笑みを浮かべていた。
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