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第52話

 冬馬は家事ができない、というか、しない。  炊事はもちろん、洗濯や掃除、ゴミ捨てなどの日常的な事も殆ど俺任せなのだ。これは高校時代にルームシェアしていた時から変わらない。  いや、あの頃は洗濯は自分でやっていたと思う、だが、同棲している今は、すべての家事は俺負担になっている。  というのも、俺が家事をせずに放っておけば、家はゴミ屋敷になるし、着る服は無くなるし、食事だって毎食外食で、今頃不健康な生活をしていること請け合いだ。  俺はやりたくて家事をやっているわけではなく、やらざるを得なくてやっている、という事を読者諸君には理解していただきたい。 「冬馬~、俺風呂掃除するから、食器洗っといてよ」  誕生日会という名の夕食を終えて風呂の準備をするためにバスルームに向かいながら、まだ食卓でスマホをいじっている冬馬に向かって声を掛けると、冬馬はスマホを置き面倒くさそうな顔をしながら腰を上げた。  風呂掃除をして湯沸かし器のスイッチを入れて戻ると、キッチンでカチャカチャと皿を洗う音が聞こえてくる。  どうやら俺がお願いした通りに片付けをしてくれているらしい、「ありがと~」と後ろから声を投げかければ、冬馬はこちらを振り返ってニコリと微笑んだので、どんな調子か彼の背後からシンクを覗き込んでみる。  まぁ皿洗い程度で何かミスをするとも思えないが。 「ちゃんと出来てるじゃんか。これからは冬馬に洗い物してもらおうかなぁ~?」 「家事はアキの担当だろ?」  いつの間に俺がこの家の家事担当になったというのか、冬馬がやらないからやってるんだぞ?それなのに、さも当たり前のように言われてしまえば腹も立つというもの。 「はぁ?冬馬がしないから俺が家事してんじゃん、担当って何だよ?」  ムッとして反論するも、冬馬は悪びれもせず飄々とした態度で受け流すと、濡れた手をタオルで拭いつつこちらに向き直って腕を組んだ。  そのドヤ顔にますます腹が立つ。  皿洗い程度の家事をしただけで“やってやった感”を出されるとイラッとくるんだよな。  まぁ、たしかに家賃も食費も光熱費も稼ぎのいい冬馬の方が多く払ってくれてるけどさ。だからって俺がこの家の家事全部請け負わなきゃいけないなんてことないだろ?   だいたい冬馬は俺に甘え過ぎなのだ、飯作ったり掃除したり洗濯したり、他にも色々やってるっていうのに感謝の言葉すら口にしない。  そもそも今日だってそうだ、ディナーの誘いを断ったら拗ねるし、ちょっとしたことで不機嫌になるくせに、俺の焼いたステーキの焼き加減にいちいち文句言ってきて、いつお前は俺の“ご主人様”になったんだって感じだ。  そりゃあさ、感謝を押し付けるような真似はしたくないよ、俺だって同じ立場の人間だからさ。ただ、たまには労ってほしいだけなんだよ、彼氏としては。 「俺、家政婦じゃないんだけどな」  ぼそりと呟くと、冬馬は眉間に皺を寄せた。いつもは男らしく堪える所だけど、今日は今朝の“女物の香水のプレゼント”の事もあって、モヤモヤしていたせいかいつもより強めの口調で冬馬に噛みついてしまった。 「冬馬にとって俺って何なんだろうなって思うんだけど」 「何って、恋人だろ」 「それって彼氏? 彼女? 俺の事、どう思ってんのかなって。俺、冬馬の口から聞いたことないなって思ってさ」 「アキはアキだろ」 「そうじゃなくってさぁ……! 俺の事女扱いしてるんじゃねーの? って聞いてんの!」  ムカムカし過ぎて思わず声を荒らげると、冬馬は驚いたようで目を見開いた。あぁ、しまった。こんなの面倒臭いメンヘラ女みたいじゃないか。  でも一度溢れだした感情を抑えることができず、俺はさらに捲し立てるように言葉を続けた。 「俺は女じゃねぇ! 男だっつーの!! オカマじゃないし、女物の香水だって貰ったってつけねーかんな!? わかってんの!?」  鼻息荒く叫ぶように言ったせいで呼吸が乱れてしまう。ぜぇぜぇという息遣いだけが静かなリビングに響いた。 「そう思ってたなら、言えば良かったじゃん」 「言ったら冬馬が傷つくと思ったからだろ!! 何でもかんでも思ったこと言えばいいってもんじゃねぇんだよ!」  俺の叫びを聞いて、冬馬は困惑した表情を浮かべていた。その顔を見ていたら更にイライラしてきてしまい、チッと舌打ちをすると、踵を返して風呂場へ向かった。 ───……  ジャバジャバ……と湯船に湯が溜っていくのを眺めながら、先程の苛立ちを思い出す。  何であんなに怒っちゃったんだろう? 折角の誕生日なのに。  普段なら受け流すことが出来たやり取りだったけれど、でもやっぱり、女物の香水なんかプレゼントされてしまうと、俺って女の代替品なのかなって思ってしまうのだ。  女じゃない俺は、彼にとって魅力的ではないのかなって。  そういう不安や焦りがあったから、強く言い返してしまったのかもしれない、最悪だな。  冷静になると自己嫌悪に陥りそうになる、俺は悪くないって頭では分かっているのに、感情をコントロールできない自分が情けなく思えてしょうがなかった。 「はぁ……あとで謝らないとな……」  湯船にお湯が溜ったのを見届けて立ち上がると、服を脱いでゆっくりと浴槽に身を沈めた。 ───────────────…… 「アキ……いいか?」  湯船に浸かってうとうととしていると、脱衣所から冬馬の声がした。 「な……なんだよ」と素っ気なく返事をすると、磨りガラスの扉越しに人影が動くのが見えた。  ガラガラと音を立てて扉が開くと、服を脱いだ冬馬が入ってきた。 「一緒に風呂、入ろうぜ。その、裸の付き合いってやつ」  照れ臭そうにしながら冬馬は笑うと、そのまま浴室に入ってきてシャワーを浴び始めた。  冬馬の裸体を横目に見ながら、俺は溜息混じりに答える。 「やだ、狭いじゃん」  俺の言葉に彼は一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を作り直して、ボディソープをつけたスポンジで身体を洗い始めた。 「いいだろ、腹割って話そう」  そう言い残して洗い終えると、ザブンッと勢いよく湯船に入ってきた。  体積が増えたことで水面が揺れ、溢れた分が排水溝に流れ込んで行く。向かい合わせで浸かれば良いのに、冬馬は俺の背後側に入ってきて、背中から包み込む様に抱き締め、肩に顎を乗せてきた。 「ごめんな、アキ。俺、甘え過ぎてたな」 「……」   いきなり素直に謝罪の言葉を告げられて面食らってしまう、一方的に俺に怒りをぶつけられて嫌味の一つや二つ言われると思っていたのに。 「俺、アキと一緒にいると本当に幸せなんだ、だから、ついアキに甘えて我儘ばかり言ってたんだと思う。ごめん、反省する」 「……あの香水プレゼントした理由が知りたい」 「可愛いアキには似合うと思ったんだが、気に入らなかったか?」 「だって女物だよ……? 俺、女じゃねーもん……」  ぽつりぽつりと呟くと、冬馬は耳元でクスッと笑った。  その吐息がかかって擽ったさに身を捩ると、冬馬は逃がさないとばかりに腕に力を込めてさらに密着してきた。 「お姫様扱いしてた……のかもな、俺……」 「お姫様って……」 「うん、でも、そう言うのアキが嫌がってるって分かったから、もうしない。だから、許してくれるか?」  甘えるような声で囁く冬馬の声が、俺の鼓膜を震わせる。ずるいよなぁ、そんな風に言われたら許すしかないじゃないか。  こくりと小さく頷けば、冬馬は嬉しそうな声を上げて頬に何度もキスをして来た。 「可愛いアキ、俺のアキ……好き、大好き」 「やめろよぉ……」 「やだ、アキに嫌われたと思って心臓止まるかと思ったんだぞ、これくらいさせてくれないと割に合わない」  そう言われてしまえば、何も言い返せなくなってしまう。結局惚れた弱みというやつだろうか。 「家事……冬馬もしてくれよ?」 「……ああ」  苦し紛れに呟けば、冬馬は苦笑いをして答え、ぎゅっと俺の身体を抱きしめた。 「俺も……ご、ごめんな。怒鳴ったりしてさ……」 「嫌だったんだろ、言ってくれてよかった。アキが言わずに拗れて捨てられたら生きていけないし……」 「捨てるなんて……俺だって不安だったよ。女の代替品なんじゃないかって思ったら、悲しくなったし……嫉妬した」  正直に話すと、冬馬は驚いた様な顔でこちらを見てきた。そりゃそうだよな、普段こんなにネガティブな事言わないし、態度に出す事もないもんな。 「アキが他の何かに代えられるなんて有り得ない、俺にはお前だけなんだから」 「ホントかぁ?」 「うん、アキにしか興味無い」  優しく諭すような言い方に心が落ち着く。我ながらチョロいなとは思うけど、冬馬の言葉は魔法の様にスッと身体に染み込むのだ。  きっと、俺が冬馬を好きなのと同じくらい、冬馬も俺のことが好きなんだと思う。自惚れかもしれないけれど、自信を持って言えるくらいには、俺たちは愛し合っている。  だからこそ、こうやって不安になるんだ。  お互いを大切に想っていればいるほど、すれ違いが生じてしまう事もある。その度に傷つき合って、仲直りして、そうやって俺達は絆を深めていくんだ。  そんな事を考えていたら無性に冬馬に触れたくなってしまって、くるりと身体の向きを変えると彼に抱き着いた。 ───────────────……  ベッドの上で指を絡ませるように手を握りあう、衣擦れの音と呼吸音しか聞こえない空間の中で、俺達は互いの体温を感じていた。 「はぁ……はぁ……ふぅ……」 「疲れたか?」 「ん-や?全然平気」  仰向けになった冬馬の上に覆い被さるようにして首筋に顔を埋めていると、彼は俺の後頭部を優しく撫でてくれて、それがとても心地よくて目を細める。まだ繋がったままの身体は息を整えても火照ったままだ。  冬馬の匂いに包まれて幸せな気分に浸れはするものの、この繋がりの後、身体が離れてしまう事が寂しくて堪らない。  普段は彼が傍に居るだけで十分幸せだと思うのに、身体を重ねた後はいつもこうして感傷的になってしまう。  もっと深くまで繋がりたいという欲求と共に訪れる切なさ、それは一体何なのだろう。  自分でもよくわからない感情を抱えながら、彼の胸に耳を当て鼓動を聞く、規則正しいリズムに安堵しつつも、その音を止めたくなってしまう自分もいて複雑だった。 「俺達さ、いつまでこうしていられんのかな……」 「いつまでって、ずっとだろ?」 「爺さんになっても?」 「当然だろ」  当然のように返してくる冬馬に複雑な気持ちになる、そんな保証なんてどこにもないのに。  俺達を繋ぎ続けているのは感情だけだ、今はお互いに一緒に居たいって思ってるから成立しているようなもの。そんなあやふやなモノだけではいつか壊れる時が来るはずだ。  冬馬もハルみたいに事故に遭うかもしれない、そうしたら俺はまた“親族”ではないという理由で彼と引き離される事になるのだろう。  結局、お互いに愛しているだけじゃ乗り越えられない壁が存在するわけだ。 「お前が俺の身体から抜けていくのが寂しいよ……」 「アキ……」  冬馬の指先が俺の髪を梳く感触を感じながらポツリと本音を漏らすと、彼は少し困ったような顔をして、それから優しく口づけてくれた。 「ずっと一緒に居よう、約束する」 「無理だよ……無理に決まってる……」 「……ハルの時の事、考えてるのか?」 「うん……」  ハルの事を話せば、冬馬は辛そうな顔をした。その表情に胸が締め付けられるような感覚を覚える。  あの時のことは未だに忘れる事が出来ない、生きているかどうかの安否も知れず、同じ病院に入院しているのに面会すら叶わない状況が、今も続いているのだ。正直言ってあの出来事は、俺の思考の根深い部分にがっちりと絡み付いて離れない。まるで呪いのように。 「辛いよな」 「ごめん、嫌な空気にしちゃったな、でも、繰り返し思い出しちゃって……」 「……仕方ない、気にするな」  キスをして彼を身体から解放してやると、冬馬は上半身を起こして俺を抱き寄せた。素肌が触れ合った部分からは温もりを感じて安心できるのに、それでもまだ足りない気がして強く抱き着く。 「俺もアキと一緒に居たいから。二人で考えよう、ずっと一緒に居られる方法をさ……」 「うん……」  冬馬の背中に回した手に力を込める、それに応えるように強く抱きしめられたので苦しくなって息を乱す。  それでも離れる気にはなれなくて、より一層力を込めて抱きつくと、冬馬は俺の頭を撫でてくれた。 ───────────────……

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