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第56話

「なぁ、やっぱり冬馬のご両親に挨拶に行こうよ、だって俺、パートナーになるのに、冬馬の親の事知らないなんて変だよ」  千葉に帰ってきても俺は諦めきれずにいた。自分の親に認めてもらったという事で自信がついてしまったのか、それとも純粋に冬馬の家族に会ってみたいと思ってしまっているのか自分でもよくわからない。  冬馬は困ったような顔をして俺の顔を見ていたが、それでも諦める訳には行かないと思った。  俺にとって冬馬は大切な存在なのだ。彼のことをもっと良く知りたいと思ってしまう。 「なんで隠すの? なんで話してくれないの? 俺は冬馬と家族になるって決めたのに、冬馬はまだ“独り”でいようとしてるみたいじゃんか」  ムキになって問い詰めるように言うと、冬馬はようやく観念したのか口を開いた。 「アキが傷つくところ、見たくないから」 「傷つくってどういうことだよ、俺が傷つくようなこと言うってこと?」  冬馬は何も言わずただ静かに首を振っただけだ。その表情からは感情が読み取れない。 これ以上詮索するのも良くない気がして黙っていると、ゆっくりと話し始めた。 「俺の家は母子家庭で父親はいない、しかも母親は病気で入退院を繰り返してる。その……双極性障害ってやつで……。金とかあると使っちゃうし、色々安定してないから。」  ぽつりぽつりと語られる冬馬の家庭の話は、予想に反して重いものだった。  今でも躁と鬱が激しく入れ替わるたびに入退院を繰り返していて、薬で廃人のようになってしまって動けない日もあるのだと言う。  ヒステリーを起こして怒鳴りつけたかと思えば、今度は上機嫌になって「世界一自慢の息子だ」と言って甘やかして来てみたり、冬馬がジュニアモデルの頃に稼いだお金を使い込んでしまったり、鬱になれば布団から一切起き上がって来ないほど弱ってしまう。  そんな母親に振り回されて、冬馬はモデルで十分稼げるようになった高校2年の春に家を飛び出してきたらしい。 「今は入院してて、長らく退院できてない。俺が出て行ったのがまずかったらしいけど……もう帰る気なんて無いし」  冬馬の言葉に胸が締め付けられるような痛みを覚える、自分は何て軽率なことを言ってしまったんだろう。  彼はこんなにも俺のことを考えてくれていたというのに、自分本位な気持ちで浮かれていた自分を殴ってやりたくなる。 「ごめん」と謝ると、彼は小さく笑って首を横に振った。 「いいよ、誰だってこんな崩壊した家庭なんか想像できるもんか」 「でも、辛かったでしょ……?」 「家飛び出した後は、二重契約のおかげでアキと一緒だったからさ……俺はどっちかって言うと救われたと思ってる」 「冬馬……」 「だからアキが気に病む必要なんて無い、そんな顔すんな」  俺は自分がいかに温かい家庭で育ってきたのかを思い知らされたような気がした。両親が居て、当たり前に愛されていた。  そんな環境で育ったからこそ、冬馬の気持ちを深いところまで理解してやることが出来ない。  だけど、だからこそ、冬馬のことを理解してあげたいとも思う。 「それでも、会いに行こうよ。その過去ごと、俺は冬馬と一緒にいたいって思ってる」  冬馬の手を握ると、彼は困ったように笑った。  その表情からは戸惑いの色が見えるが、それでも嫌だとは言わなかった。 ───────────────……  連休最終日、俺は冬馬に連れられて都内のとある精神科の病院に来ていた。厳重に施錠されたビルの中に入り、持ち物検査をされて、ようやく病棟へと案内された。  廊下に並ぶ重々しい扉には外から中が覗ける小さな窓がついていた。  乳白色に統一された空間に取り付けられた扉の中にポツンとある小窓は、まるで中を監視するためにあるみたいで、一見普通の病院に見えるこの空間がそうじゃないという事が肌を通してビリビリと伝わった。  冬馬は一つのドアの前で立ち止まって、首を垂れて首をブルブルと振った後、俺にその小窓から中を覗くように指示した。  言われた通りに爪先立ちになって覗き込むと、中には骨組みとシーツすら敷かれていないマットレスだけのベットが一つ置かれているだけで、その上には痩せ細った女性が横たわっている姿が確認できた。あれが冬馬のお母さんなのだろうか。 「あれが俺の母親」 「話は出来ない?」 「うん、俺も着替えとか差し入れしに来るけど、ああなってる時は会話できない」  淡々と説明されて複雑な気分になる。あの痩せた女の人が冬馬のお母さんで、いつもああして寝たきりの状態なのだろうと思うといたたまれなかった。 「ごめん、俺、ここまで想像できてなくて……」 「アキが……ちゃんと家族になろうとしてくれたから、だから俺もここに連れてこようと思えた」  そう言うと彼は病室の中には入らず、そのまま俺の手を引いて病院を後にした。何も言わずに、そのまま。  帰り道、俺たちは無言で歩いた、何を言えばいいのかわからなくて黙ってしまったけれど、これがこれから家族になる人の育った家庭の現状なのだと実感させられたことは大きい。  今までは冬馬一人で背負ってきた事だけど、これからはその片方を俺が担っていくことになるのだと思うと、しっかりしないといけないな、なんて思った。 「冬馬」 「何?」 「俺さ、意地っ張りだし意気地なしだし、これからも冬馬と喧嘩したり、すれ違ったりする事もあるかもしれないけどさ、それでも冬馬とずっと一緒にいたいから」  真っ直ぐな気持ちを伝えたくて、真剣な表情で伝える。 「うん、俺も」  冬馬は微笑みながら頷くと、俺の手を握ってくれた。  その手の感触を確かめるように力を込めると、ぎゅっと握り返される。それだけで心が満たされていった。 「帰ろっか」 「ああ」  街路樹の薄緑がざわざわと風に揺れている。夏の気配を感じる風を感じながら、俺達は並んで帰路に着いた。  人生はまだ長い。これから先、色んな困難があるだろう、それでも二人で手を取り合って歩んでいけたらいい。  例え繋いだ手が離れても、心はいつだって繋がっているはずだから。 ───────────────……

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