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第1章-2 業界の日常 ― Ωの孤独

―― 呼吸の共有、四文字の余韻 編集ブースのモニタに、未完の映像が流れている。 波形は青い海みたいに寄せ返し、音の境目に白い線が走った。 秒数が跳ねるたび、胸の奥もずれる。 「真咲、先にナレ台本の修正」 背後で足音が止まった。 名前を呼ばれ、椅子が少しだけ近づく。 視線を上げなくても、誰か分かる。 振り向いた瞬間、画面の光が春臣の横顔を削った。 蛍光灯に縁取られた影が、机の端まで伸びる。 「ここ、言い回し短く。尺、溢れる」 ペン先が紙に触れる。 秒数を指で叩く仕草に合わせて、画面の音声が削られていく。 言葉が削られるたび、呼吸が揃った。 「……はい」 小さく返すと、春臣は頷いて次の島へ歩いていった。 資料の角が揺れ、気配だけが残る。 昼休み。 非常階段の踊り場で、手帳を開く。 「恋人」と書き、また線で消した。 黒い筋だけが、紙の繊維に沈む。 欲しかったのは、言葉だ。 印じゃなく、言葉。 俺を呼ぶための、たった一言。 十五時。 中間確認。 春臣が椅子を隣に寄せ、ヘッドホンを片耳ずつ分けた。 映像が切り替わるたび、袖が肘に触れる。 柔らかくはないのに、落ち着く。 袖口のほつれを直したい衝動が、指先に走った。 「ここ、ワンテンポ置いて」 指が空白を示す。 間がひとつ増えるだけで、画が呼吸した。 呼吸が揃う。 口にしないのに、指示は通る。 言葉にならなくても、届いてほしい。 確認が終わる。 春臣はヘッドホンを外し、メモを一枚残した。 《助かる》 四文字が、胸に沈んだ。 手帳の消し線が、少し薄く見えた。 紙の端を、そっと撫でる。 ――それだけで、今日を歩ける気がした。

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